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カテゴリ:英国女王の摂理
神様&神様&大国常立大御神様&太素盞鳴神様
神様&神様&神様&太陽神様&北斗七星神様&北極星神様&カシオペア座神様 愛するという事は、相手が必要であると。愛さないと、幸せには成れない。愛し合うのが幸せだから。快楽というのは、愛さなくても、得られる。自分だけの現実だから。そして、誰かを愛するという事は、全ての人を愛するという事なのです。ここまで、やらないと、本当の愛ではないと。こうやって、愛の中心存在と成るカップルがどんどん、増えていって、世の中に、愛が満ちていくようになっていくと。そうやって、世の中は、明るく、温かく、暖かく、賑やかに成っていくと。これが、神の摂理であると私は思っています。 ここまで書いて、時間になったので、報告を致したと。しかし、その後の妹、姪、姪の将来の娘を背負うという摂理は全くやれなかった。眠くて無理だった。だから、寝て、先程、起きたと。そしたら、ニュースで、小六の男の子が犠牲に致されたという事を知った。へびは、副担任であるから、そういうやり方しかできないのであろうと思った。私の考え方では、その小六の男の子の副担任を致している方々が、その責任を取らされるのです。人類全員が、それぞれの置かれている状況下で、人類の為に、貢献致し続けているというのが、私の世界観だから。能力が低い方々は、自分の身を犠牲に致して、人類に貢献致すしかないと。しかし、この道は、絶対に貢献できる道と。悪魔の誘惑、試練を受けない道だから。人類全員の摂理の一員と致して、参加致し続けるという事は、人間である為の最低限であると。世の中には、自分から、切ってしまう方々もいるという事を体験致させられ続けたので、この物達よりも、遥かに幸せな存在であると私は思うのです。人間を辞めてしまう物達、失うものがあまりにも大きすぎるから。 仕事の基本18: 神は、19歳の私を猛烈に犯した。聖書を見ても解る通り、これが神のやり方なのだ。猛烈に自分中心であるやり方を致すと。神は、人類始祖に唯一の戒めを与えた。しかし、一つの戒めを与えたという事ではないのです。一つは全部と一緒だから。これがエゴの仕組みなのです。唯一の戒めを守り通して、エゴが死ぬか、反発致して、神を切るか、この二つの未来にしか、ならないのです。だから、神である自分の部下をやるか、やらないかを自己選択させ続けているという事です。これが戒め、御言葉を与える意味です。一つだけの戒めを守ればいいのかという、そういう易しい問題ではないのです。上下関係をやるのか、やらないで、自分中心である存在をやるのかという事を迫り続けていくという問題なのです。勿論、この問題も相対的に考えなければならないのです。釈尊の教えにあるように、弦を張りすぎれば、切れてしまうから。だから、堕落後の人類始祖に、神が働き続けていると。永遠に切ってしまっていないと。私はこの手綱の締め具合が緩すぎると言っているのです。愛が無さ過ぎると言っているのです。自分勝手、自分中心過ぎると感じているのです。即ち、神の本心は、この世などどうでもいいのであると。神には、この世無関係だから。 だから、先ず、自分の魂の修行の為に生きるべきであると私は思うのです。その後、プラスアルファと致して、いい思い出、いい体験を得る為に生きると。優先順位はこうなっていると。天命界へ参入致せるように成れる事が最優先なのです。その後に、思い出を稼ぐ事が来ると。天命界存在である超神霊にも差が有る。天命界にまで残っている思い出の質・量の差が。勿論、聖天界以下で消えてしまう思い出など無駄と。超神霊と致して天命界の存在と成れて後も残る思い出を得る為に、私は生きていると。天命界の超神霊は、天命界で、何でもできるようなのですが、肝心要の欲が無ければ、無駄と。楽しい思い出が無ければ、何の欲も有るわけないから。天命界の親神様に、「何でも祈れば、叶えてあげるよ。」といくら言われても、何の思い出も無ければ、何の欲も有るわけないのです。ニルヴァーナに入った、涅槃致した存在と成っただけという事です。最高の喜び、至上の喜びを求め続けて生きるという事が必要な理由です。だから、能力が高い者は、副担任=妻や子を創って、自分にさらなる負荷をかけると。独身生活、或いは、夫婦だけの生活では、もう楽しくないから。私はこう感じています。やりたくない事、1ミクロンもやるわけないという事です。 仕事の基本19: 私のこの御神業御報告は、N氏には、私に貸しが有るK県民の代表と致して、O氏には、私に貸しが有るN国民の代表と致して、致させて頂いているものです。だから、読む必要など全く無いのです。報告しろと私に職務命令を出し続けている方々が受け取っているのであるから。それだけの事なので、受け取ったら、どんどん、削除致していいのです。それだけのものだから。窓口役という御仕事を御願い致しているだけなのです。ブログにUP致すだけだと、物に報告致しているという事になってしまうと。人に報告致すという事にならないのです。まだ、K県民、N国民がいるという事です。一人もいなくなれば、報告致せと職務命令を出している方がいないので、報告致す理由も無くなるという事です。私をクビに致したという現実有り得るわけない。私はそう思っています。K県民、N国民が一人もいなくなる現実になるわけないと。K県知事は、K県民が一人でもいるうちは、仕事がまだ有る、N国首相は、N国民が一人でもいるうちは、仕事がまだ有ると思って、「謹んで、やらせて頂きます」という姿勢でい続けなければならないのは勿論の事です。これが全ての御仕事の基本であると私は思います。 メール受け取りの窓口と致しての御仕事を致して下さっていて、有難うございます。 仕事の基本20: 交通誘導員の方々が、道路に立ち続けて、あれだけの肉体労働を致して、得られる日当は数千円であると。今の日当は知りませんが、おそらく、一万円にもならないと思われます。私が進歩致したので、商品名とその金額を読み上げているレジ係よりも、もっと大変な労働を致している交通誘導員の方々を例に挙げる事ができるように成れました。このポイントは、御客様から戴くお金の中身は、その御客様の生き様を背負わせて頂いた分という事です。これが人生のお金だから。勿論、私の生き様が交通誘導員の方々よりも、上に成ったら、もっと上の考え方を致すように成れると思われます。現状では、彼らが、私の感覚で捉えられる最も上の生き様の方々なのです。その他の方々は皆、もっと遥かに楽な仕事しかしていないと。即ち、実入りはもっと遥かに少ないという事です。私は、仕事の実入りとは、妻から支払い致されるものであると思っています。妻との人間関係を前進できた分が、仕事の達成度であると考えるのです。単なる物のお金などくだらないとしか感じないので。人生のお金でないと、仕事の対価と致してはくだらなすぎるのだ、私にとっては。 即ち、交通誘導員の方々よりも、楽な仕事を致している方々は、もっともっともっと働かなければならないという事です。働かないと、人生の地位、殆ど、彼らにもっていかれてしまうという事です。彼らの仕事に要求致される教養レベルは義務教育だけ、即ち、中卒で十分であろう。即ち、中卒以上の方々は、もっと働かなければいけないのです、本来は。もっと働くという事はどういう事かというと、もっと高い意識を保って仕事を致せという事です。もっと世の中を背負っていろという事です。言葉の問題ではないのです。言葉だけだと物しかやっていないから。意識の問題なのです。言葉だけだと、人生の地位、支払い致されない。どれだけの深い思いが有るかが唯一、重要な事なのです。 仕事の基本21: 一流高校卒というのは、どういう事かというと、一流高校卒の教養を保っているという事です。それだけの意識を保って、社会を支えているというのが、一流高校卒という事なのです。TK容疑者は、県内でも有数の高校を卒業致したそうです。即ち、県内でも有数の社会性を保って仕事を致して、社会を支えていなければならなかったのです。これが本来の姿です。ところが、彼の現実は、猛烈に駄目だった。中卒で、働いている方々よりも遥かに、駄目だった。社会性が無さ過ぎたのです。社会性というのは、社交性という事ではありません。世界史・日本史・地理・政治経済(公民)・倫理社会の現実認識の事です。彼は、自動車短大を卒業して、就職したそうです。即ち、工員、運転手等の職業人として働く、社会参加するのが、その学歴では、特に問題も無い、普通の事ではないかと。特に彼が不当な扱いを受けていたとは思えないのです。何が問題だったのかというと、彼のプライドが高過ぎたという事であると。自分の仕事能力は非常に低いのに、プライドだけが猛烈に高かった、高過ぎたという事が問題だったと私は思います。 だから、7人を殺害し、10人に重軽傷害を与えてしまったと。普通の人間は、動物虐待、植物虐待、文化財への落書きも、悪い事だと思うからしない。社会の常識は、暴力をふるったら、逮捕されてしまうという事です。だから、喧嘩になっても、社会人は、手は出さないのです。手を出すと、超やばいから。訴えられて、社会的地位を失ってしまうから。(子による公園等への落書きは、親の恥だと思われます。社会に迷惑をかけては絶対にならないという躾ができていなかったという事だから。象徴的に、自分の悪業を他人に背負わせるというのが、他の方々の所有物への落書き行為だと私は思います。親はそれがいけない事だと解る。しかし、子には解らないと。子育てしていないから。だから、解るようになるまで、抑えつけておくのが親の責任だと私は思います。私は信頼関係の教え方を致し続けていますが、生き様、背中で、抑えつけていますが、これができないのであれば、言霊で抑え続けているしかないと思われます。) メール受け取りの窓口と致しての御仕事を致して下さっていて、有難うございます。 N氏へ 君は、全K県職員の代表と致して、私のメール受け取り窓口の御仕事を致し続けているのです。当然の事なのです。それだけの御仕事ができるだけの社会との信頼関係が有るのが大人と。君の子供達も、やがて、この事を理解認識できるように成ると私は思っています。成れなかったら、親を否定して生きているアウトロー、放浪者の生活になってしまうだけだから。藤沢市民が私の学級担任を否定したように。私の学級の生徒は、私を否定した責任を永遠に取り続けるしかない立場なのです。自分がやった事だから、自分が責任を取るのは当然の事ですが。彼らは永遠に私の上の地位なのです。永遠に私の上司と。これが学級担任を否定した生徒の永遠の未来と。私には生徒は一人もいない。上司しかいないのです。だから、神の気持ちがよく解るのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.06.29 07:07:06
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