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カテゴリ:英国女王の摂理
神様&神様&大国常立大御神様&太素盞鳴神様
神様&神様&神様&太陽神様&北斗七星神様&北極星神様&カシオペア座神様 私は上なので、物々交換と言っています。しかし、動物のヒトレベルの生き様しか為されていない方々にとっては、自分の妻がお金と。日本人の生き様、この程度です。神様はここまで限定致して、日本人を創っているようです。本来は、物々交換がお金の現実なのですが、贅沢をしまくっているので、夫婦の支払いを致す事で、お金の現実支払いをさせていると。この場合、夫にも、親にも、成れません。妻に成って、娘に成って、…と、どんどん、下降致していくだけと。物凄いエゴイスト、ナルシスト、自分勝手な存在と。どうして、コイツは、社会の事を全く学べなかったのかと。はらわたが煮えくりかえっています。職業に貴賤は無いのに。私はコイツらの死後霊界を、動物霊界と言っています。自分だけの霊界だから。当たり前だろ、他人を差別致していたのだから。 日本国のお金が通用致している職業全部、日本国がやっているのです。だから、差別できない。これ、社会人の基本。これすらやれないヤツは、未熟者。妻の子しかできない駄目存在と。社会人の基本と致して、全ての職業を認めなければならないのだ。こんな事は、当たり前の事なのだ。例えば、君は、君のお店、君の会社の玄関に、ば○春婦お断りの張り紙を出せるか。出せなければ、御客様として来られたら、信頼関係上、下の地位をやらざるを得ない。神様が、オマエは、ば○春婦を背負えと寄こしてきたのだから。これが家系の因縁というものです。自分の身に覚えが無くても、自分の血に覚えが有ったら、背負わざるを得ないのです。 少し前、F市の学校運営に関係致していた再臨協助霊方は、殆ど全て、ば○春婦をやらされていたらしいです。婦女暴行罪をやったから。或いは、ヤクザをやっているとか。コイツら、仕事全くしないから、こういう結果になっていたのだ。私は誰から、御給料を戴いているのかという事に非常に敏感だった。民間でどういう職業に就いている者をやっているのかと。税金の御給料、民間人から戴いているのだから。当たり前の事です。 物事には、裏と表とが有る。表は裏返れば、裏になる。即ち、自分の現実の裏の世界の現実も、常に気配り致していなければならないという事です。自分の未来がそうなる可能性は常に有るのだから。自分の側からだけではなくて、相手の側からも物事を見る、感じる、考える、これ、人間関係の基本です。 仕事の基本は、物々交換です。女、娘への転生ではないのです。 以上、成せた御神業を、謹んで、慶大商学部所属の全先生方に、御報告致します。H20.7.19.土 4:51。謹んで、致させて頂きました。「経済学」の基本事項なので。 =平成20年度F市立T中学校生徒(学区)&平成19年度F市立T中学校生徒(学区)&平成18年度F市立T中学校生徒(学区)&平成17年度F市立T中学校生徒(学区)&平成16年度F市立T中学校生徒(学区)&平成15年度F市立T中学校生徒(学区)&平成14年度F市立T中学校生徒(学区)&平成13年度F市立T中学校生徒(学区)&平成12年度F市立T中学校生徒(学区)&平成11年度F市立T中学校生徒(学区)&平成10年度F市立T中学校生徒(学区)&平成9年度F市立T中学校生徒(学区)&平成8年度F市立T中学校生徒(学区)&平成7年度F市立T中学校生徒(学区)を背負う。 霊界について: 自分が興した宗教の信者を、洗脳して、止めたら地獄に堕ちると脅している方々がいるようなので、その協力担任を致して、仕事を致したいと思います。貴方の何がいけなかったのかというと、等価交換という世の中の基本を貴方が身につけていなかったという事が悪かったのです。その自分が得を致したいという邪念に、悪霊が入ったのです。貴方は現実的でなかったと。貴女の夫、貴男の妻に、親がかけた養育費が有ったから、目の前の夫、妻が今、目の前に生きているのです。当然、その親に感謝致し続けなければならないのです。親だから、当たり前。どうしてそう思うの? 昔は貧しかったから、間引きを行っていたと歴史が教えているのに。 貴方がどの宗教を信じようと、等価交換を致し続けていれば何の問題も生じない。その宗教団体に借りをつくったから、その分、洗脳、即ち、支配致されてしまったのです。 私には原罪は有りません。超莫大・超膨大な支払いを致したから。しかし、セックスはできません。世の中の殆ど全て、99.9…9%の方々にはまだ、原罪が有るから。殆ど全ての方々が、私のレベルにすら、ついてこないと。私は最低限の信仰生活しか致していないのに。私の事を一言で言えば、完成イエス・キリストです。イエス・キリストが途中で殺害致されて、できなくなってしまった事を私はやり遂げたから。何を言っているのかというと、霊的基台は創り上げたという事です。 文鮮明は、血分けと称して、新婦と最初に自分がセックスを致して、原罪を脱がせるという事をやっていたらしい。(こういう事をやった方に、「氏」をつける気になれないので、敬称を付けていません。君がやった事は、変だと思うので。社会は納得できていないぞ。) 私の現実感覚では、千回セックスを致しても、セックスを致しただけという結果しか生じないと。文鮮明は、単なるエゴ、プライドの満足だけの世界にしか生きていないのではないかと考えられるのです。私には、女体は無限に深い存在と感じられています。神様が創った肉体、無限に深い構造に成っているのです。彼は、聖書の主なる神の事を、心情の神と言っていますが、人間は心情だけの存在ではないのです。 私に言わせれば、人類の神というのは、人類の親神様であると。人類の一番上の御先祖様です。人類全員を自分の子孫と感じている存在です。血統というのと、セックスの関係というのは異なる気が致します。セックスによって、自分の持つ想念エネルギーは交流致しますが、子孫というのは、先祖の肉体遺伝子を継承致している。重さが遥かに異なるように思うのですが。 1万人の女とセックスを致したとします。しかし、その1万人の女とはセックスだけの関係と。そして、1万1人目にセックスを致した女が妊娠致して、自分の息子を生んだと。この場合、その1万1人目の女は、自分の息子の母親であると。この女と、以前にセックスを致した1万人の女とは比較できるだろうか。全く問題外であろうという事は納得頂けますか。男の感覚と致して、自分の継承者=自分の息子を授かるという事は、無上に嬉しいのです。これ、普通のお父さんの感覚。普通のお父さんは皆、そう思っているのです、おそらく。もしかしたら、この感覚を与える為には、夫を立てて上げる事が必要なのかもしれません。だから、自分が最初にセックスを致して、奥さんを二番煎じに致しては絶対にならないのです。男の気持ちを潰す事を致し続けた文鮮明もおそらく、男ではないと。自分の妻、自分の子、自分の子孫という感覚を持っていないと。そういう感じが致します。 私は絶対に、夫に現実支払いを致させる。夫の部下しかしない。自分が支払いを致した分しか自分のものには絶対にならないのだから。気分だけという世界、薄っぺらすぎる。深見東州もいいとこ取りの考え方しか致していなかったのですが、結局、彼の身になっていなかったと。彼の人間性の成長に役立っていなかったと。道を歩み続けるのは、人間的成長を得る為なのに。形、結果はどうでもいいのです。道を歩み続けた事によって、学んだ事が尊いのです。形になんか意味が有るのかと。中身が無ければ無駄と私は思います。 これ、学問、学道の基本。新たな知識を得た事によって、その者が何を智慧と致して得るのかという事が重要であるという事です。その者の現実の人生に役に立たなければ無駄と。感じる世界、考える世界、思う世界が大切という事です。非常に限られている、僅かの体験、経験の生活の中で、日々、感じる世界、考える世界、思う世界を豊かに致していく為に我々は生きているのであると私は思います。 自分の人生を生きた事によって得た成果と、他人の人生を生きた事によって得た成果とは異なっていると。そして、私は1ミクロンの人生でも、自分の人生を生きた方がいいと思っているのです。満足度が違い過ぎるので。 教員、1年目の教員も、授業を致している。大ベテランの教員も、授業を致している。何故か。1年目の教員の授業の方がレベルが低いというわけではないから。経験が少なければ少ない程、全力の授業を致すしかない。だから、生徒の役に非常に立つのです。生徒は社会に出たら、1年目から、始めなければならないから。余裕の授業ができるようになる頃には、副担任=妻子や土地や家等が支払い致されていて、やはり、余裕が無いように致されていると。日々、成長できるように、神様が仕組んでいると私は思っています。 ここまで書けて、やっと、洗脳霊界を抜けられると。霊界というのは、全ての霊が主体的に生きている世界なのです。これ、基本。自分の頭で、心で、肉体で、自分の人生を生きていなかったから、主体的に生きるという事ができていなかった。他人に支配致されていたと。世の中には、他人を搾取致して、自分の利益を計る者達が一杯一杯一杯いるのです。私はサタン=動物のオスとエホバ=ヤハウェ=動物のメスと言っていますが。人間の下の存在である動物をやって、自分の利益を計ろうと致している存在と。 私のレベルだと、こういう霊界解説になります。自分、即ち、魂がいる霊界と。体だけの世界ではなく、仏界=心の世界でもなく、自分で感じ、考え、思う世界と。魂の世界と。主体的に生きている世界と。 一寝入りしました。それで、もう一つ、重要な事が有ります。それは、善い事をしたから、善い霊界に行くという事ではないという事です。この世的に、善い事を致せば、この世で評価致される。それだけの事なのです。霊界というのは、単に、自分の現実から、肉体の現実が無くなった、たったそれだけの事なのです、おそらく。世の中には、悪い思いで、善い事を致す方が大勢いらっしゃいます。この世的には、その悪い思いを隠していれば、善い行いだけが評価致されます。しかし、あの世的には、その悪い思いが評価致されるのです。 悪い宗教家の方々は、支配致そうと致しまくっている。だから、自我を放棄させようとしまくっている。自我を破壊、崩壊させようとしまくっている。何故か。もう自分が崩壊してしまっているからである。だから、他人も破壊しようとしているのである。これがサタンとエホバと。この世の物質的快楽、幸福だけを求めて生きている存在と。良心=両親との信頼関係などもう全く残っていない存在方と。 私は誰の責任も取らない。そんな暇人ではないので。だから、誰も踏まない。私が致し続けている事は、世の中を支配から、解放致し続ける事です。自己判断・自己選択・自己責任の主体性有る現実に戻してあげる為の手助けを致し続ける事です。私が致す事はここまで。そこから先は自分で決めろと。リーダーなど絶対にやらない。一番下、一番後ろに居続けると。 リーダーがいると、人は駄目になる。部下をやろうとするから。部下というのは、体、或いは、MEの事です。自分の体の利益だけをやろうとしまくると。物欲だけをやろうとしまくると。この生活、神の観点から見ると無駄。神の観点は、この世の生活を通して、魂を磨く、向上させ続けるという事だから。しかし、これだけでは、肉体が行動を拒否致すので、ところどころに、エサ、褒美を用意致しておくと。中心は、魂の向上なのですが、それだけでは、肉体の行動が止まってしまうのです。だから、肉体的喜びも必要なのです。しかし、それはあくまで従と。主ではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.07.23 22:26:46
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