役作りって、何をするのでしょう。
役作りは、役になるのでも、役を自分に合わせるのでもなく、役に共感することです。私たちが芝居を始めたころは、その芝居の背景、歴史や社会の状況を調べ、またその役がどんな人生を送ってきたか、更にその両親から上の世代の出来事まで、細かく想定して履歴書づくり、身上調査をしました。あまり根拠のない、想像のものでしたけれど。そうしてその人物にできるだけ近づいてゆく、その人物の行動パターンを身に着け、考え方感じ方を同じにしようと努めたものです。役になろうとした、わけです。今の人たちはどうですか。若手劇団の演じる舞台では、登場人物たちはたいてい自分と同じような人間で、あらためてその人物を「知る」必要はないようです。普段の自分がしていることを、ちょっと極端に誇張して、テンション高く叫んだり、飛び回ったりしていればすむようなものが大多数です。だから別人になる、必要はありません。うまく羽目をはずし、機嫌よくスマートにしゃべり動けば、うまい役者と思われるようです。でも、その人の内部に何の変異も進歩もないのでは、「演じている」とわたしは思いません。今の若い人はしばしば、決めつけて役作りをするようです。年寄りだからこう、お茶らけているからこう、乱暴者だからこう、神経質で引きこもっているからこう、という風にですか。それを台本の表面、言葉だけで判断して、その人物がわかった気になってしまう。お手軽に作られたドラマの悪影響です。こうした演技者は、役作りというと、こんな声を出す、こんな動きをする、のを決めることだと思いがちです。そして、ここではこんなテンポ、音程でしゃべる、ここで驚く、ここでは斜に構えて低い声でボソボソしゃべる、っといった「工夫」をして、役作りをした気分になります。それは、「あなたを見せる」見せ方を考えているだけです。そしてあなたの知り合い以外は、役の人物を見たいのであって、あなたを見たいのではないと、心得てください。あなたがスターなら別ですよ。ファンはスターを見に来ます、芝居を観にはきません。by かみざわかずあき