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鴎座俳句会&松田ひろむの広場

鴎座俳句会&松田ひろむの広場

秀句鑑賞

柿食へば命剰さず生きよの語  石田 波郷
これは境涯の句。境涯俳句には作者を知らなければ鑑賞できないとの批判が付きまといますが、これは波郷を知らなくても理解できます。「命剰さず」は、だれにでもいうことが出来るからです。ただ波郷を知っていればなおのこそといえるのでしょう。柿は林檎にでも置き換えることができますが、ここは柿のつるつるとした食感が命なのです。

秋の夜の鞄は河馬になったまま坪内稔典(『稔典句集』)
稔典さん(稔典氏はふさわしくない)といえばなんといっても甘納豆の句につきるが、その甘納豆の十一月は「河馬を呼ぶ十一月の甘納豆」である。河馬の姿と甘納豆の姿、書かれてみるとなるほどと思えるところがあるから楽しい。ただし十一月がいいのかどうか。
稔典さんといえば甘納豆とともに河馬である。「正面に河馬の尻あり冬日和」「ぶつかって離れて河馬の十二月」「桜散るあなたも河馬になりなさい」など枚挙にいとまがない。
しかし河馬の句では掲出の句が面白い。「かばん」と「かば」。なるほど「ん」一字の違いだ。「かばん」と「かば」、「ばか」と「ばか」。こんな言葉あそびが、この一句のなかに凝縮している。秋の夜という「しんとした」季語が時間をストップさせているようでもある。(松田ひろむ)

梅酒ふふめば捨てし妻の座翳るなり 山田みづえ
 女性が酒を飲むのは、かつては悪でした。しかし梅酒は例外、そんな梅酒を口に含みながら、捨てなければならなかった妻の座、子のことを思い出しているのです。この場合の「翳る」には人生にかさなる複雑な思いが籠められています。
山田みづえは「木語」を主宰していましたが二〇〇四年八月号で廃刊。国文学者の山田孝雄(よしお)の次女。仙台市生れ。結婚して滋賀県今津町に住みました。二児をもうけましたがそれを婚家に残して離婚。その後、波郷の「鶴」に入会。反俗・批判精神が根底にあります。「悪女たらむ氷ことごとく割り歩む」が代表句。(松田ひろむ)

港灣こゝに腐れトマトと泳ぐ子供   金子 兜太
 金子兜太「造型俳句」の時代の作品です。この句は切れの場所をはっきりさせる必要があります。「港灣こゝに」とここで切らないといけません。腐ったトマトが浮いている、そんななかで泳ぎ遊んでいる子供。
作者は腐ったトマトで現実のありようを「造型」しているのです。それがその時代の港湾を汚し空を汚す重工業の時代でした。それをじっと子供の視点で見据えているのです。
「もまれ漂う湾口の莚夜の造船」(金子兜太句集)も似た「造型」といえるでしょう。(松田ひろむ)

ひろむの選ぶ秀句
高浜虚子
箒木に影といふものありにけり
流れ行く大根の葉の早さかな
遠山に日の当りたる枯野かな
子規逝くや十七日の月明に
すぐ来いといふ子規の夢明易き
竜の玉深く蔵すといふことを
(出典「高浜虚子句集」)



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