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鴎座俳句会&松田ひろむの広場

鴎座俳句会&松田ひろむの広場

大根200602

季語探訪―大根        松田ひろむ

大根の故郷
 私たちが現在食べている野菜の中で、日本原産のものは三つ葉、芹、独活、山の芋(自然薯)、蕗、茗荷、蕨、山葵、百合、松茸ぐらいです。野菜の大半は遠くから海を渡って来たものです。
 その中でも縄文・弥生時代に渡来してきた古典派ともいうべき野菜としては大根・瓜・牛蒡、葱などがあります。
大根のルーツ
 大根は世界中で古くから作られているだけに、原産地についても諸説がありますが一般的にはコーカサス南部からパレスチナにかけてが有力視されています。
 ダイコンは、主として地中海地方、インド、中国や中央アジアを中心とした諸地域で、多くの種や変種が生まれて、育てられ、それらが交雑しながら、民族の移動、文化の交流とともに、各地に分布し今日の様な多様なダイコンが世界中に広がったと考えられています。
古代エジプト人の重要な栄養源
世界的に見ても、地中海地方、特に、エジプトやギリシャでは、古代からダイコンは栽培されており、ピラミッド建設(紀元前二七〇〇~二二〇〇年頃)に従事した人たちがタマネギやニンニク、エンドウなどとともにダイコンを食べていたと言う記録があるといいます。
古代ギリシャにおいても、ダイコンは盛んに栽培されていました。貴重な野菜として主神アポロの神殿にも奉納されていました。紀元一世紀のローマのセルウスの『農業』では、ダイコンの意味としてradicula(根を意味するラテン語のradixからきている)という言葉が使われています。これが語源となり、英語のラディッシュ、フランス語のラディ、イタリア語のラディッキオなどが生まれました。
 もっともヨーロッパ各地に広く伝わったのは十五~十六世紀になってからです。十八世紀には、アブラナ科の一、二年草で海岸に野生するハマダイコンからダイコンを作り出したと言う記録があります。しかし、ヨーロッパではハマダイコンは小さなハツカダイコンやクロダイコンに分化したぐらいで、それほど発達しませんでした。
 ダイコンは、その後東へ東へと伝わり、中国では紀元前四世紀頃から栽培されています。
 紀元前四〇〇年頃の「爾雅」にダイコンが登場し、「唐本草」(六五六~六六〇年)には、華南のダイコンは大形であることが記載されています。「図経本草」(一〇二三~一〇九三年)には、大小二種のダイコンが紹介されています。
 ダイコンは昔からスズシロとの別名で春の七草の一つに数えられています。これら七草を利用して作る七草粥は中国起源の風習です。六世紀に書かれた「荊楚歳時記」に「正月七日を人日と為す。七種の葉を似て羹(あつもの)を為る」と記されており、これが七草粥の始まりとされています。
古代のダイコン
日本への渡来は、かなり古い時代に朝鮮半島を経たと考えられています。まずデンプンの量が少なく水分が多い華南系品種群が、その次にデンプンを多く含み貯蔵性の高い華北系品種群が渡ってきました。
 日本における栽培起源については明かではありませんが、「古事記」(七一二年)には、次の様な仁徳天皇の恋歌が記載されています。「つぎねふ山城女(やましろめ)の木鍬(こくわ)持ち打ちし大根根白(おおねねしろ)の白腕・・・」と、ダイコンはオオネと言う名で、乙女の白い腕を飾る言葉として登場しています。また『正倉院文書』には、「冊二文買大根六把値」とあります。日本最古の古墳として有名な大山古墳(いわゆる仁徳陵)からは、ダイコンの種子が発見されています。
 その後、平安時代の和名抄(九二三~九三〇年)には「オホネ」と「コホネ」の記載があり、先に述べた図経本草の記載と一致し、日本にも大小二種のダイコンが栽培されていた事が分かります。ちなみに「オホネ」を音読みしたのが大根です。
主役だったダイコン
 鎌倉時代末期の「徒然草」には、「土大根はよろずにいみじき薬」とあり、兼好法師はダイコンの薬効について注目していました。室町時代に入ると調理方法も発達し、煮る、焼く、炒める、和えるなどが、行われていました。特に、ダイコンやゴボウの酢和え、酢味噌和えが普及しました。
 安土桃山時代から江戸初期にかけての武家の生活を記録した「清良記」(松浦宗案)から、正月の料理に供された野菜を拾うと、蕪菜(かぶらな)、牛房(ごぼう)、芹、法蓮草(ほうれん草)、高菜、たんぽぽ、蓮根(はすね)、葛根(くずね)に混じって大根、野大根の名が登場します。
野大根とは別名ハマダイコンとも言い、野生のダイコンの事です。このハマダイコンを各地で選抜・淘汰して、現在も地方品種として残っている波多野ダイコン、ねずみダイコン、からみダイコン、あざみダイコンなどが作られました。
 江戸時代でも野菜の主役はダイコンとウリでした。
ここで言う瓜とは胡瓜と真桑瓜のことです。宮崎安貞の「農業全書」(一六九七)にも多くのダイコンの種類が登場します。薩摩藩でまとめた「成形図説」(一八〇四)や「本草図譜」(一八二八)には、紫や赤色などのダイコン、黒ダイコン、あざみダイコン、ねずみダイコン等が紹介されています。
 さらに凶作に備えての貯蔵法も開発され、切干しダイコンや漬け物などが生まれました。
 ダイコンは、この様に古くから各地域でそこの食生活と密接に結びついて、多様な発展を遂げてきました。
明治以降には、欧米種のハツカダイコンが導入され、その後もさまざまな品種が加わり、現在、日本のダイコンの品種は一〇〇種以上にもおよび、世界最多となっています。
ダイコンという名前
 和名をオオネ、シロネ、カガミグサと言い、中国名を蘆葩(lupa)、蘿蔔(lopo)と表記します。英語ではradishです。 
はじめは大根と書いて、オオネ(オホネ)と呼んでいましたが、いつしかダイコンと読むようになったものです。その他、正月には「鏡草」と言い、七草では「すずしろ」とも言います。古くから親しまれ、日本は今でも世界一の大根消費国です。
 中国での呼び名(蘿蔔)の名残りもみられ、江戸時代後期の「倭訓栞」には、ダイコンを細く刻んだ「千六本」と言う名は「繊蘿蔔」(せんろーぼー)の訛りであると書かれています。 繊六本とも書かれます。
  蘿葡(すずしろ)と呼べば大根すらりとす    加藤 楸邨
ダイコンの栄養価
 ダイコンには、デンプンを分解する酵素の一種であるジアスターゼが含まれています。生のダイコンとでんぷん食品、例えばダイコンおろしと餅を一緒に食べると消化によく、胃にもたれないのは、そのためです。ジアスターゼは熱に弱いので、煮たダイコンには効果は期待できません。
 ダイコンの生の根には、ビタミンCが100g中15mg程度含まれています。ダイコンおろしとして食べることは、ビタミンC摂取面から望ましいことです。また食物繊維やミネラルも含まれ、かつ低カロリー食品なのでダイエットにもってこいです。ダイコンおろしにすると、含まれるビタミンCは空気中の酸素によって酸化され、三十分後には二〇%も減少します。さらに、ダイコン(根)に含まれているビタミンCは、ニンジンと合わせて紅葉おろしにすると減少します。これはニンジンの中にビタミンCを壊すアスコルビナーゼという酵素が含まれているためです。この酵素はキュウリ、カボチャなどにも含まれています。ビタミンCが少々壊れても、ニンジンに含まれるカロチンの働きは有効です。ダイコンとトウガラシを合わせた紅葉おろしも美味しいものです。
 またダイコンには毒消し作用があります。刺身のつまに利用するのは、そのためです。江戸時代には民間薬草として使われていました。特に麺類や魚の毒を消す力があり、当たらない(食当りを起こさない)とされていました。ここから下手な役者を「決して当たらない」と言う意味から「大根役者」と呼んだといわれています。(引用・参考・WEB「拓殖大学北海道短期大学」他)

季語としての人参
大根(だいこん) 羅蔔(だいこん) ・だいこ・おほね・すずしろ(冬)
 『通俗志』(享保元)『靨』(安永六)以下に兼三冬。『田毎の日』(寛政一〇)『改正月令博物筌』(文化五)に十月として所出。『四季名寄』(天保七)には「冬大根」として掲出。『改正月令博物筌』に「大根引」「おほね」「羅蔔」を併出する。(角川書店『図説俳句大歳時記』)
派生季語
(冬)
大根引く・だいこ引・大根引く
大根洗う(洗ふ)
大根干す・懸大根・干大根・・・干し菜・懸菜・干葉
大根畑
大根時
大根市・大根売
大根配
風呂吹き(大根や蕪を白湯で柔らかく茹で、練り味噌をつけて食べる料理)。湯気の連想から風呂吹き。人参にもあります。なお、関東では湯(湯屋)、京大阪では風呂(風呂屋)。
風呂吹や嵯峨の時雨の二度三度      萩風
風呂吹にとろりと味噌の流れけり  松瀬 青々
風呂吹や曾て練馬の雪の不二    水原秋櫻子
風呂吹の味噌火襷となりにけり   阿波野青畝
風呂吹に機嫌の箸ののびにけり   石田 波郷
風呂吹に舌一枚の困るなり     中原 道夫
風呂吹の心髄かくもなめらかに   井沢 正江
風呂吹や闇一塊の甲斐の国     廣瀬 直人
(春)
大根の花・種大根
(秋)
大根蒔く
実作の大根
 すずしろ
ふっと立つすずしろ粥の湯気あがり 斎藤 夏風
妻が提ぐすずな・すずしろ一つ籠  猿橋統流子
 大根洗う(洗ふ)
 大根は川で洗うという当たり前のことが、解説をしないと分からない時代になりました。
*大根を水くしやくしやにして洗ふ  高浜 虚子
大根洗ふ葉よりも蒼き峡の淵    野見山朱鳥
大根を洗ひ終ればもとの川     太田正三郎
大根を洗ふ飛鳥の水引いて     山口 一枝
大根洗ふ妻籠の宿の車井戸     秋山 花笠
大根洗ふ日和の水のやはらかに   小杉 余子
大大根百本程を洗ひけり      会津 八一
 流れと大根
夕月に大根洗ふ流れかな      正岡 子規
*流れゆく大根の葉の早さかな    高浜 虚子
 流れと大根、虚子の発見と思っていましたら子規の句がありました。子規の素朴さに比較して「大根の葉」に焦点を合わせた虚子です。「早さ」も効いています。昭和三年(一九二八)の九品仏吟行での句。
大根煮る
  これも母・婆・祖母が多いようです。
*煮大根や烏賊の諸足そり返り    松根東洋城
*煮大根を煮かへす孤独地獄なれ  久保田万太郎
*大根煮てむかしのやうに抱かれけり 星野 明世
大根煮て小町も年をとりにけり   龍岡  晋
大根煮やタ餉の病舎さざめきて   石田 波郷
大根煮る婆のたのしみ死後浄土   加藤かけい
冬来れば大根を煮るたのしさあり  細見 綾子
われもまた厨俳人大根煮る     山田 弘子
*死にたれば人来て大根焚きはじむ  下村 槐太
誰かが亡くなると、近所の主婦たちが総出で炊き出しをはじめる。今の都会ではすっかり廃れてしまった風習だが、冠婚葬祭に手助けをするのは、昔の近所づきあいの原点であった。下村槐太(一九一〇―六六)は、大阪の人。大阪はこういうことには特にうるさかった。弔いの家の台所という場所は総じて明るかったし、女たちは生き生きと活躍していた。槐太自身は貧窮のうちに不遇な死に方をした。このときにも、大根が盛大に煮かれたのだろうか。『下村槐太全句集』(一九七七)所収(清水哲男)ひろむ抄出
大根擂る・卸す・おろす
大根擂る欲望なんてあるにはある  永島理江子
?夏大根摺る悪人の手と思う     森澤 義生
大根おろし星かがやくにあと一刻  村越 化石
はつしぐれ大根おろしに甘味かな  大野 林火
雄ぢからでおろす大根や辛し辛し  橋本 榮治
*うすみどり大根おろしたまり来る  篠原  梵
?今朝の栄大根下ろしのうすみどり  川口 重美
?春大根卸しすなはち薄みどり    鷹羽 狩行
 大根を下ろして明日は黒ずめり   津沢マサ子
大根畑
 大根畑は実景としてよく見ますが、本位の冬という感覚は薄いようです。
朝寒や富士を向ふに大根畑     寺田 寅彦
*死の使ひ大根畑抜けゆけり     加倉井秋を
畑大根皆肩出して月浴びぬ     川端 茅舎
青首大根畑にそろひ恋ごころ    柿本 多映
祖谷部落大根畑も急斜面      橋本 蝸角
大方は抜いてあるなり大根畑    藤田あけ烏
 大根引く・抜く
鞍壷に小坊主乗るや大根引        芭 蕉
伊吹には雪こそ見ゆれ大根引       支 考
大根引大根で道を教えけり        一茶
たらたらと日が真赤ぞよ大根引   川端 茅舎
あをあをと河残しゆく大根引き   臼田 青埃
あをのいて足ふんばるや大根引   寺田 寅彦
いま抜きし大根の穴法然院     安原 楢子
大根引く音の不思議に時すごす   石川 桂郎
大根引く瑞巌禅寺目の下に     遠藤 梧逸
大根引く声の大きく飛ぶ信濃    滝沢伊代次
大根引に大根またいで近づけり   篠原 温亭
大根引馬おとなしく立眠り     村上 鬼城
大根馬 
大根を運ぶ馬のことです。
鬣を振ひやまずよ大根馬      高浜 虚子
大根馬かなしき前歯見せにけり   川端 茅舎
大根を下ろせば馬はまた畑に    田村 了咲
懸大根・掛大根・大根稲架
 明るい、暗い、昏意、闇などの対比が目立ちます。
掛大根月あそばせて家眠る     柴田白葉女
掛大根照るにもあらず岩襖     野沢 節子
雲は行き懸大根はとどまれり    後藤比奈夫
蓮如像暗きに祀り掛大根      有働  亨
掛大根一茶の国を明るくす     岩崎源一郎
掛大根気力の少しづつ抜けて    柴田 奈美
掛大根山より闇の降りてくる    大倉 祥男
懸大根ことりと山が昏くなる    石井 一舟
懸大根掛けしばかりに昏るるかな  金田 初子
懸大根広重の濤上りけり      小笠原和男
マンシヨンのベランダ占める掛大根 渡辺 和子
立山の風の降り来る大根稲架    升田 義次
行く雲の眩し傾斜の大根稲架    羽田 岳水
 干大根・大根干す
大根干済めば忽ち夷講       山口 青邨
颪すべく伊吹は立てり干大根    阿波野青畝
干大根貴船鞍馬に道岐れ      吉田 松籟
霊山の威儀を庇に大根干す     遠藤 梧逸
干大根細り細りて一茶忌へ     林   翔
大根干す怒濤を一道もて遮り    北野 民夫
大根干す匂ひのさはに日のさはに  行方 克巳
干大根鼻削ぎにくる山の風     太田 土男
干大根裏手は風の赤城口      小川 笹舟
*干大根綺麗に骨の抜かれけり    円城寺 龍
大根干す家から聞こゆアベマリア  野間  裕
切干大根三河晴とは風吹く日    荒川 心星
*切干大根ちりちりちぢむ九十九里  大野 林火
?太陽にちぢむ切干し大根かな    山崎ひさを
産地・品種
江戸時代から信濃の「景山」、駿河の「清水」、武蔵の「亀戸」・「練馬」、美濃の「守口」、尾張の「宮重」、薩摩の「桜島」など独特の品種があります。それに比べると例句はあまりに少な過ぎます。
大根の青首がぬと宇陀郡      大石 悦子
引越や練馬大根二葉出づ      村山 古郷
争ひて尾張大根乾く日ぞ      中村 汀女
身を載せて桜島大根切りにけり   朝倉 和江
切る切られる三浦大根ふくらはぎ  さかすみこ
大根足という比喩が背景にある面白さ。現在の三浦大根は青首大根です。
春大根・夏大根・秋大根
大根は四季を通じて需要があるため、季節に合わせて春大根、夏大根、秋大根があります。しかし俳句としては、特に春、夏、秋として独特の情趣が生れるでしょうか。
春大根は細くて小ぶりの春取りダイコン(春ダイコン)。二年子、時無、亀戸系、朝鮮系の小形青首ダイコンなど。味がさっぱりとして、かつ柔らかいため生食や漬け物用に向いています。
夏大根は、中形で四〇cm前後。中心は美濃早生、強い辛みが特徴のため、昔風のビリッと辛いおろし大根に向きます。 
秋大根は、練馬ダイコンの丸尻系や宮重ダイコン(ともに冬取り品種もあります)例句はありません。
冬大根は都、三浦などの中太系品種が主です。
春大根
  しなしなとして春大根買はれけり  秋元不死男
春大根ぶつきら棒にまけて売る   高橋 悦男
春大根を無知蒙昧と君は言へるか  栗林 千津春大根洗ふ明るさ野の明るさ    栗原 米作武蔵野の雲照りそめつ春大根    秋山三之助
夏大根
木曾は今桜もさきぬ夏大根        支考
ふるさとの辛味さばしる夏大根   松本 陽平
堰一つ国を隣りぬ夏大根      小林 輝子
夏大根女が生める男かな      鳴戸 奈菜
別の死が夏大根のうち通る     飯島 晴子
大根の花(春)
大根の花紫野大徳寺        高浜 虚子
大学の庭に大根花咲けり      沢木 欣一
大根の花の中より幸田文      峰崎 文子
大根の花ほどこころ揺れにけり   大串  章
大根の花まで飛んでありし下駄   波多野爽波
大根の花や青空色足らぬ      波多野爽波
大根の花や昨日の旅役者      青柳志解樹
大根配
 かつて、こやしのお礼に農家がおいていった大根のこと。例句がありません。
【実作注意】
一、「大根焚」十二月(もと十一月)九日・十日京都の鳴滝、了徳寺で催される行事。檀家から献じた大根を煮て親鸞聖人に供え、また参拝の信者にふるまうもの。これも「大根焚く」「炊く」「煮る」と混用があるようです。なお大根焚の句に婆は付き過ぎです。
お釜はんの鳴り出しにける大根焚  岸田 稚魚
人の上にいただく膳や大根焚    山本 梅史
大根焚控への釜が湯気を噴き    西村 和子
大根焚母の年また問はれけり    佐藤 信子
日だまりは婆が占めをり大根焚   草間 時彦
婆さまの世話婆がする大根焚    辻田 克巳
亡夫のことに吾れから触れて大根焚 関戸 靖子
二、「大根の花」は問題ありませんが、「花大根」というと諸葛菜(むらさきはなな・おおあらせいとう)と混同されます。便宜上、例句の「花大根」はすべて諸葛菜に分類しました。
諸葛菜といひ花大根といひ花ざかり 岸田 稚魚
風呂吹き大根振る舞う―浅草の聖天さま
年初に大根を食べて健康を願う「大根まつり」が一月七日、浅草の待乳山聖天(待乳山本龍院)で開かれ、風呂吹き大根が参拝者に振舞われた。「聖天さま」と呼ばれる同寺で、大根は供え物にされ、その「お下がり」を食べると心身が健康になると伝えられている。元旦から六日までに参拝者らが供えた約千本を輪切りにしてゆであげ、みそ四種類とユズを合わせたたれをつけた約二千食分の風呂吹き大根が作られた。「中日新聞」(荒井六貴)〈抄出―ひろむ〉

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