稲3(夏)200605稲3(夏) 松田ひろむ苗代に稲が生長して、いよいよ本田に水を張り(田水張る)、代を掻き田植えの準備をします。 田の神を呼ぶ「さ開き」「さ降り」、そして田植えが終われば早苗饗(さなぼり)です。 この時期の季語も実作もたいへん多いのです。この光景も田植機の導入で一変しました。 ここで興味深いデータがあります。米の収穫量を比較すると一〇アール(一反=三〇〇坪)に対して 一八八〇年(明治十二年) 二〇〇kg 一九三〇年(昭和 五年) 三〇〇kg 一九八五年(昭和六十年) 五〇〇kg これに対して労働時間は一〇アールに対して 一九五五年 一九〇時間 収穫量は三三五kg 一九九〇年 四四時間 収穫量は四九四kg このような大変革をもたらしたのは、農業機械化・基盤整備と化学肥料、農薬でした。(食糧庁「米麦データブック」二〇〇二年版)有機肥料、無農薬が叫ばれていますが、この圧倒的なデータの意味も考えるべきでしょう。 早苗 さなえ(さなへ) 玉苗 捨て苗 早苗月 早苗の「さ」、早乙女の「さ」など「さ」は、どれも稲作の意味です。「五月・皐月」、「五月雨」(さ水垂れ)、「早苗饗」。そこから出て「早緑」「小百合」「早蝿」などは若く瑞々しいの意味です。 『花火草』(寛永十三)『世話尽』(明暦二)以下に五月として所出。 白河に出ぬ 早苗にもわが色黒き日数かな 芭蕉 しら川の関をこゆるとて古道をたどるまゝに 西か東か先早苗にも風の音 芭蕉 早苗とる手もとや昔しのぶ摺 芭蕉 田一枚植ゑて立ち去る柳かな 芭蕉 「奥の細道」へ旅立った芭蕉を出迎えたのは、白河の早苗であり田植歌でした。 すか川の駅に等窮といふものを尋て、四、五日とゞめらる。 先白河の関いかにこえつるやと問。 長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。 風流の初やおくの田植うた 無下にこえんもさすがにと語れば、脇・第三とつゞけて、三(み)巻(まき)となしぬ。 早苗取 稲取・苗取 田植えをするために苗代の苗をとり、苗を藁でしばります。苗束の根元が揃わないものは植えにくいので嫌われます。藁の縛り方も早乙女が片手でも解けるように決められた方法がありました。 苗取りさんは田植えの前日からかからねば間に合わない。低い木製の腰掛けに桟俵(さんだわら)を敷物がわりにかけ、両手で五、六本ずつ丁寧に引き上げるようにぬきとり、バサバサと水中で泥を洗い落として束にする。締める紐は稲藁で、しかも正月に訪れる人形三番叟で豊年を祈念して拝んでもらったものを使うのを例とした。(「古里の記録」より。愛媛県川内町=現・東温市) 『毛吹草』(正保二)『増山の井』(寛文三)以下に五月として所出。(角川書店『図説大俳句歳時記』) 小山田に早苗とるなり只一人 正岡 子規 早苗とる水うらうらと笠のうち 高浜 虚子 笠二つうなづき合ひて早苗とる 高浜 虚子 いつまでも一つ郭公早苗取 高野 素十 一日を跼み通して早苗取る 大橋 敦子 笠の又さゝと重なり早苗取る 皆吉 爽雨 甲斐駒の雲に雷をり早苗採 水原秋櫻子 早苗とるいつも水輪の中の娘よ 皆吉 爽雨 早苗とるおのが水輪の中の雲 亀井 糸游 早苗とる手元に落ちて笠雫 西山 泊雲 早苗取る雪の立山ふりかぶり 丸山しげる 鶺鴒のたはむれにくる早苗取 八木林之介 早苗たばねる一本の藁つよし 福田甲子雄 早苗篭・早苗箱 とどこほりなきさびしさや早苗篭 松本 文子 月山のうすうす見ゆる早苗籠 皆川 盤水 新しきは空と早乙女早苗籠 野沢 節子 早苗籠負うて走りぬ雨の中 高浜 虚子 早苗箱重ねて傾ぐ畦の窪 蓬田紀枝子 置き並めて飼屋の前の早苗箱 石田 勝彦 早苗・早苗田 手ばなせば夕風やどる早苗かな 芭蕉 湖や鳥のくはへて行く早苗 信徳 時ぞ早苗庄屋の息子泥をふむ 露言 白鷺の羽すりにうごく早苗かな 浪化 みちのべや早苗おかれしあと濡れて 木村 蕪城 愛染や早苗ばかりが眺められ 清水 径子 真清水に早苗浸してありにけり 沢木 欣一 水厚き尾張早苗をさざなみし 小川双々子 早苗束提げ山鳩の啼く方へ 横田 綜市 早苗束濃緑植田浅緑 高野 素十 早苗田となりて野山の今朝やさし 青柳志解樹 早苗田にあやめ立ち添ふ業平忌 松本たかし 早苗田に真っ逆さまの婆の家 川村三千夫 早苗田の風の形のあきらかに 曽我部多美子 霜焼けの黄やみちのくの早苗束 沢木 欣一 婆よりも爺のひそけき早苗村 森 澄雄 白鷺に早苗ひとすぢづつ青し 長谷川素逝 膝ついてみるは早苗の機嫌かな 山本 洋子 漣の早苗を越えてゆきにけり 藺草 慶子 早苗田の風も旅人道の駅 青木 千秋 早苗時 若牛の角もみどりに早苗どき 百合山羽公 深山田に雲なつかしや早苗時 原 石鼎 早苗舟 早苗舟朝の雲雀を四方に揚ぐ 相生垣瓜人 早苗舟朝凪ぐ水脈を右左 水原秋桜子 早苗投ぐ 朝富士の天窓(あたま)へ投げる早苗かな 一茶 水煙あげて早苗の投げらるゝ 高浜 虚子 早苗束放る響の谷間かな 松本たかし 少年の匂ひの早苗束放る 新海あぐり 早苗束投げしところに起直り 杉田 久女 早苗束二つ投げられ受けとれず 高野 素十 早苗束抛りし影のとびにけり 岸 風三樓 早苗束抛りし空の浅間山 福田 蓼汀 早苗投げ媼は距離をあやまたず 米澤吾亦紅 肉親へ一直線に早苗投ぐ 能村 研三 翠微にもかさねて早苗束投ぐる 井沢 正江 「翠微」は、ここでは「遠くに青く見える山」(大辞林)のことでしょう。緑の早苗と遠くの山の緑が重なっているという句です。蕪村に「かやつりて翠微つくらん家の内」があります。 玉苗 玉苗やけふ手よごしの二三反 几董 玉苗や乙女が脛の美しき 井月 玉苗を洗ひあげたる濁りかな 松瀬 青々 玉苗を置きつぱなしに伊吹山 関戸 靖子 法華寺の里に玉苗余りけり 大屋 達治 捨苗 隠岐うかぶ沖より夕日捨苗へ 宮津 昭彦 捨て苗の流るる型に根づきたる 今瀬 剛一 捨苗のたゞよひ子等の舟来る 高野 素十 捨苗の束ごと根づき祭来る 皆川 白陀 捨苗の流し雛めき河口いづ 羽部 洞然 余り苗 菩薩とはならでや道の余り苗 乙州 いつしかに余り苗にも耳や舌 宇多喜代子 余り苗束のままにて長けゐたり 山口 誓子 ばうばうと長けてゐたりし余り苗 藺草 慶子 ひかり立つものに棚田の余り苗 大橋 利雄 括られしままに根づきて余り苗 小澤 初江 寄せられて風に戦げず余り苗 関森 勝夫 余り苗さざなみ迅くなりにけり 藺草 慶子 余り苗紀貫之に捨ててあり 藤田 湘子 余り苗平家の墓に供へけり 飴山 實 代掻き 田掻く 代田 田掻馬 代馬 田掻牛 代は田の区画のことです。畦塗りが終わった本田に水を張り、牛や馬を使って平らに掻き均すのです。もちろん牛馬を使わない場合は人力で行います。田が水平になっていないと田植えは出来ません。広島県の田植歌に「かき手がかいたやら今日の代のよいこと」と早乙女が代掻きを誉めそやす句があります。(『図説大俳句歳時記』) こうした光景も耕耘機の発達で姿を消しました。 代掻の一歩一歩の深濁り 黒田櫻の園 代掻の水一滴ももらさざる 真山 尹 代掻の泥電柱の裾よごす 高浜 年尾 代掻女おのが水輪を置き去りに 加倉井秋を 代田掻く蓼科山を濁しては 伊藤 白潮 代田掻汗と光を撒き散らし 相馬 遷子 滝壺の水わけあひて代田掻く 山田 信夫 掻き了へて代田に残る耕耘機 小比賀三重子 代掻機ひとつはるかな田に動く 大高 千代 代田掻 くつがへるゐもり幾つや代田掻 藤原たかを 赤松に海のひかりぞ代田掻 中 拓夫 田掻波きらめきゐしが夜となりぬ 米澤吾亦紅 田掻波をさまり巡る源五郎 藤原たかを 田水掻く 水を手で叩きもしたり田水掻く 谷口 智行 代牛 田掻牛 地に上がる勢い残り田掻牛 森田 智子 田掻せる泥の姿や五島牛 阿波野青畝 田掻牛いよよ叱咤の雨はげし 山野邊としを 田掻牛おのが重みに沈み鳴く 彦根伊波穂 田掻牛角低くすぐそこが海 猿橋統流子 田掻牛観世音寺の前を曳く 水原秋櫻子 田掻牛暮れゐる畦に追ひあぐる 亀井 糸游 硫黄の湯噴くやむせびて田掻牛 水原秋櫻子 代馬 田掻馬 うながされまたひとしきり田掻馬 福田 蓼汀 しづかにもつやけき汗の田掻馬 河野 南畦 つきまとふ仔馬顧み田掻馬 八木澤高原 はげまさる首をふりふり田掻馬 高浜 年尾 愛されて塩食ひこぼす田掻馬 鈴木 松山 *荒息の果はいななく田掻馬 加藤知世子 代馬の泥の鞭あと一二本 高野 素十 田掻馬己がしぶきにかくれつつ 西本 一都 田掻馬棚田にそびえ人かがむ 西東 三鬼 隣田へ顔出てとまる田掻馬 今瀬 剛一 田水張る 安曇野や窓近くまで田水張る 桂 信子 山々を沈めて田水張る越後 桂 信子 田水張れ姨捨山のふもとまで 原田 喬 田水張つて一と日は雲をあそばしぬ 山口 草堂 田水張つて湖北あかるき仏たち 鷲谷七菜子 * 田水張られさえずりひびきよかりけり 岩間 清志 田水張る椀に卵黄張る出羽薄日 澁谷 道 田水満ち日いづる露に蛇苺 飯田 蛇笏 島人の足腰を責め田水張る 原 裕 苗植うと漆光りの田水張る 有馬 籌子 ジャンル別一覧
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