横山幾太(よこやま いくた)【横山幾太】(よこやま いくた)1841-1906は松下村塾の出身。天保12年(1841)1月、萩藩大組士横山半兵衛の子として上野に生まれ、はじめ重五郎といった。村塾には、松陰の下田踏海の評判を聞き、安政4年(1857)9月頃、17歳のとき、友人冷泉雅二郎に連れられて来た。塾中では彼を中心にグループをなしたが、一連の政治活動には参加しなかったようだ。文久2年(1862)に江戸へ遊学、慶応元年(1865)には小姓役に任じ、翌年の四境戦争では諸兵軍監として芸州亀尾川口に出撃、このあと幾太と改名した。 維新後は、明治3年8月に山口明倫館文学寮の教壇に立ち、同5年5月には第19大区(大津郡)区長となった。明治39年(1906)5月没、享年66歳。 (深川村長をつとめ、その間、深川湯本河原に住んだ。) ジャンル別一覧
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