山本梅史(やまもと ばいし)山本梅史(やまもと ばいし 1886年12月12日-1938年7月24日)は、明治・昭和期前期の俳人。本名:徳太郎、大阪府堺市櫛屋町東の生れ。梅沢墨水、安藤橡面坊(とちめんぼう)、高浜虚子に師事。==略歴== 幼いころから利発で温順、神童の名が高かった。7歳のときに父と死別し、以後、祖父と母の手で育てられた。堺市立熊野尋常小学校を卒業後、堺高等学校に学ぶ。14歳のころから、茶道と俳諧を習う。(雅号:雪窓庵梅史) また「文庫」に新体詩、「新星」に短歌を投稿。地元新聞の記者を経て、1911年(明治44年)に「堺日報」を創刊。1916年紙上に「白鳥俳壇」という俳句欄を設けその選句にあたる。1917年、堺に高浜虚子を迎え歓迎句会を開き、関西ホトトギス派の結集の機運を作る。 以後「同人」「山茶花」に参加。1926年「ホトトギス」同人。同年、野村泊月の推薦により「九年母」の選者を引き継いだがのちに辞し、1928年「いづみ」を創刊主宰。 1934年。没後に全句集『梅史句集』私家版(1940年9月)が刊行された。虚子は「梅史もまた作家であった」と序文を寄せている。また逝去に際し虚子は「落つる露止むすべもなし伏し拝む」の句を寄せている。 弟子に森川暁水などがいる。 俳句以外に現在でも親しまれている「堺音頭」(作曲:佐藤吉吾郎、編曲:北木正義。唄: 楠木繁夫・小唄勝太郎)の作詞者。「物の始めは何でも堺 三味も小唄もみな堺・・・」。「新堺音頭」(作曲:細田義勝、唄:花村菊江・山中ひろし)の作詞も山本梅史である。また、堺市水族館の「水族館音頭」も作詞している。 ==代表句== ひとときの時雨先立つ御幸かな 枯茨に投げし筵や雪少し 人の上にいただく膳や大根焚 鹿の子に奈良のあけぼの深みどり 蕗の薹吹きたまりたる如くなり 葛城に重ねてうすし秋の山 探梅やのつと見えたる三笠山 時雨るゝやいよいよまろき鷹ケ峰 風鈴や見馴れたれども淡路島 老いの手にまねき消されぬ雛の燭(俳句検索) 堺市開口神社に「風鈴や見馴れたれども淡路島」の句碑がある。 ==出典== *『定本高浜虚子全集』第3巻p354 *『美術人名辞典』 *「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」 *『現代俳句大事典』(三省堂) 堺音頭(作詞:山本梅史・作曲:佐藤吉五郎) ~物のはじまりゃ なんでも堺 三味も小唄も みな堺 ほんに そやそや よい堺 はぁ そや堺 ~恋し懐かし 蘇鉄でさえも 泣いてかえろと いう堺 ほんに そやそや よい堺 はぁ そや堺 ~空は夕焼け 淡路は映えて 北に帯曳く 大和川 ほんに そやそや よい堺 はぁ そや堺 ~涼し夜市の かがり火ふけて 波に踊るは 桜鯛 ほんに そやそや よい堺 はぁ そや堺 ジャンル別一覧
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