「にかな」考文法の散歩道1 松田ひろむ「にかな」考 白粉の花落ち横に縦にかな 高浜 虚子 藻の花は沼に女は家にかな 富安 風生 秋海棠きらめく露をよそにかな 久保田万太郎 現代の俳句では「にかな」という言葉が意味なく使われていますが、大変気になります。 まず、語感が良くありません。例えば「桜かな」といえばすっきりしますが、これを「桜にかな」とはいいません。 「かな」は切字ですが、「に・かな」はあり得ない言葉です。 「かな」は体言または活用語の連体形に付きますが、「に」は助詞で、体言でもなく、活用語の連体形でもありません。「かな」は助詞には接続しません。これらは池田俊二が『日本語を知らない俳人たち』(PHP研究所)で指摘した例です。 虚子の句がこのもっとも古い例でしょう。これを受けてかどうか「にかな」は現代俳句に氾濫しています。 ただし虚子の「白粉の」の句は『定本高浜虚子全集』(毎日新聞社)では見当たりません。 掬ひ売る海鼠日ぐれの色にかな 有働 亨 コスモスの花の静止を画布にかな 大橋 敦子 日脚伸ぶ木場のたなごを釣りにかな 永井 龍男 山の冷ェいつか浴衣の肩にかな 久保田万太郎 梅雨の月閉めわすれたる窓にかな 久保田万太郎 清明の穂先の破れし筆にかな 岡田 史乃 迎火の猛々しきが袖にかな 佐々木六戈 竹煮草道灌山の崖にかな 森 玲子 ききわけの無き鮟鱇を鍋にかな 櫂 未知子 これと似ているようでも 涼まんと出づれば下に下にかな 一茶 「下に下に」は掛け声です。「下に」で体言的に切れています。 春の海ひねもすのたりのたりかな 蕪村 のたりのたり」の擬態語(副詞)もここで体言的に切れていると考えられます。(これは池田俊二の例示です。 同じような用例を『古典俳文学大系』(集英社)で調べると 山ハ若葉人ハ身軽き比(ころ)に哉(がな) 一茶(『西国紀行』) 小夜しぐれな(鳴)くハ子のない鹿(322)に哉(がな) 一茶(『おらが春』) 322 鹿に哉 鹿でがなあろうの意。 がありましたが、その他の用例はありません。しかも一茶の句はどれも「哉」が「がな」とルビが振られています。「がな」は「かな」ではありません。 『広辞苑』(第六版)では、 がな 【助詞】 1【終助詞】 (1)実現への願望の意を表す。古くは活用語の連用形に付くシガナ、体言に付くモガナの形で用いられたが、平安時代には体言にヲガナ・ガナが付いても用いられるようになった。…したいものだ。…がほしいなあ。竹取物語「かぐや姫を得てし―、見てし―と音に聞きめで給ふ」。伊勢物語「うぐひすの花を縫ふてふ笠も―」。落窪物語「受領のよからむを―」。枕草子300「さらん者―、使はんとこそおぼゆれ」 (2)(中世以降の用法)命令や禁止を表す文の末尾に付いて、相手への願望を表す。閑吟集「湊の川の潮が引け―」→が→しがな→もがな。 2【副助詞】 (1)疑問詞と共に用いて、不定のままでおく意を表す。…か。今昔物語集16「何を―形見に嫗に取らせむ」。狂言、宗論「何と―してあの坊を浮かしたいと存じまする」 (2)意志・推量を表す文中に用いて、一例としてあげる意を表す。たとえば…でも。狂言、塗師(ぬし)平六(へいろく)「幻に―見えられたものでござらう」 明治期以降では「がな」の例句はありません。 かな【哉】 【助詞】(奈良時代の「かも」にかわり平安時代から例の見える語)体言および活用語の連体形に付く終助詞。詠嘆の意を表す。…だなあ。…ものだなあ。 土佐日記「あやしく歌めきても言ひつる―」。古今和歌集恋「秋の野に乱れて咲ける花の色のちぐさに物を思ふ頃―」。平家物語8「あつぱれ剛の者―」→かも つまり、こうしてみると「にかな」は「がな」が忘れられて、願望の「がな」が混用されたものと考えることが出来ます。 また同じく願望の「もがな」の混用とも考えられます。「もがな」は、すっかり消えてしまった助詞ですが、現代でも「なくもがな(だなあ)」、などと成語としてはわずかに残っています。 もがな 【助詞】(奈良時代のモガモに代わって平安時代以降に使われた語)体言、形容詞の連用形、副詞などの連用成分に付き、その受ける語句が話し手の願望の対象であることを表す。…があるといいなあ。…であるといいなあ。源氏物語若菜上「この宮をあづかりて育くまむ人―」。古今和歌集雑「世の中にさらぬわかれのなく―千代もと嘆く人の子のため」。源氏物語玉鬘「かかるみちをもみせたてまつる物に―」。源氏物語夕霧「のぼりにしみねのけぶりに立ちまじり思はぬ方になびかず―」。徒然草「あはれ紅葉を焚かむ人―」 子の日しに都へ行ん友もがな 芭蕉 盛りなる梅にす手引く風もがな 芭蕉 春風に吹き出し笑う花もがな 芭蕉 浴衣着て瓜買ひに行く袖もがな 其角 臘八にせめて疑ふ人もがな 白雄 朧八とは釈尊成道の日とされる十二月八日。この日に行われる法会を成道会といいます。 年の暮人に物遣る蔵もがな 一茶 山吹に名を呼ぶ程の瀧もがな 井上 井月 紅梅にあはれ琴ひく妹もがな 夏目 漱石 あゝ降つたる雪哉詩かな酒もがな 幸田 露伴 風花よとて告げやらむ人もがな 西村 和子 秋風に殺すと来る人もがな 原 石鼎 みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな 筑紫 磐井 芹の花かざせば失せむ我もがな 河原枇杷男 例句はいずれも願望がはっきりしています。 かなの接続 『日本文法大辞典』(明治書院)は、「かな」の接続について 1,体言および活用語の連体形につく。 体言につく場合 をちこちのたづもしらぬ山中におぼつかなくも喚子鳥かな(古今集・二九) 亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな(源氏物語・桐壷) 活用語の連体形につく場合 春やとき花やおそきときゝわかむ鶯だにもなかずもあるかな(古今集・二〇) まつ人にあらぬものからはつかりのけさなくこゑのめづらしきかな(古今集・二〇六) 2,活用語の終止形につく、江戸時代、蕪村の句に見られる特殊な例である。として 夕時雨蟇ひそみ音に愁ふ哉 蕪村 を上げています。この例は調べて見ましたがこの一例のみです。一例のみならば、単に蕪村が誤った。でもいいのではないでしょうか。さらに 3,副詞につく。これは俳諧特有な言い方と考えられる。として 春の海ひねもすのたりのたりかな 蕪村 人ちらり木の葉もちらりほらりかな 一茶 を上げています。 『古典俳文学大系』(集英社)で調べてみると、同じような次の例がありました。 梅柳それからゆらりゆらり哉 句空(「きれぎれ」) 一(ひと)夜(よ)さに桜はささらほさら哉 一茶 注・「ささらほさら」は、「ささらほうさら」ともいい、「ぼろぼろになる、手が付けられない、めちゃくちゃ」といった意味の信州方言です。自由律俳句ですが信州青木村出身の つづれさせぼろさせの夜はささらほうさらでごわす 栗林一石路 があり、一石路と友人だった橋本夢道に おかめよヴァイオリンもささらほうさらとえんまこおろぎ 橋本夢道(『無類の妻』) があります。 このように「かな」の接続をいろいろ調べてみても「にかな」はありません。 記述文法(あるままに分析する)の立場は、言葉はみんなが使えばそれで通用するという立場ですが、インターネットで検索しても「にかな」は俳句以外にはありません。 「にかな」は許容できるだろうか 現代では助詞「に」に接続する例も虚子以降の俳句特有な言い方といえるのでしょうか。 言葉は世につれて変って行きます。従って文法も変って行きます。 しかし、現代語、口語では「かな」は使われていません。従って変化のしようがないわけです。 近現代短歌でも「かな」はわずかに使われています。もともと「かな」は「かも」が変化したもので、短歌の「鴨」、俳諧の「哉」と言われて来ました。柳田国男に「鴨と哉」(『国語の将来』)という論文があるといいます。 その、近現代短歌を調べてみましたが、やはり一首も「にかな」はありません。 つまり「にかな」は俳句独特の用法ということになりますが、その根拠はどこにもありません。 はっきりと「にかな」は間違いとしておいたほうがよさそうです。 では、もう一歩踏み込んで現に存在する「に・かな」の意味を調べてみましょう。 に(助詞) 「に」は指し示す助詞です。「へ」と置き換える場合がありますが、「に」は来て止る感じがします。しっかりと指し示す助詞です。「へ」は移動の感じがあります。 1,時間、場所を示す場合 藻の花は沼に女は家にかな 富安 風生 秋海棠きらめく露をよそにかな 久保田万太郎 竹煮草道灌山の崖にかな 森 玲子 掬ひ売る海鼠日ぐれの色にかな 有働 亨 梅雨の月閉めわすれたる窓にかな 久保田万太郎 清明の穂先の破れし筆にかな 岡田 史乃 この「にかな」は「ある」「あり」に置き換えられます。 例えば「かな」を省略して 藻の花は沼に女はどの家に 秋海棠きらめく露をよそにして 竹煮草道灌山の崖(きりぎし)に 掬ひ売る海鼠日ぐれのその色に 梅雨の月閉めわすれたる高窓に とすることも出来ます。 ただ、 清明の穂先の破れし筆にかな は「かな」を取ると切れが判然としません。また「に」の必然性がありません。失礼ですが 清明や穂先の破れし筆にまで 清明の穂先の破れし小筆かな とでもしたいところです。 2,目標対象を示す場合 日脚伸ぶ木場のたなごを釣りにかな 永井 龍男 これは素直に「行く」に置き換えられます。 3,変化する結果を示します。 白粉の花落ち横に縦にかな 高浜 虚子 コスモスの花の静止を画布にかな 大橋 敦子 山の冷ェいつか浴衣の肩にかな 久保田万太郎 迎火の猛々しきが袖にかな 佐々木六戈 ききわけの無き鮟鱇を鍋にかな 櫂 未知子 これは「なる」「描く」「来る」「来る」「入る・する」の動詞に置き換えられます。しかし、この動詞はなくもがなで、「かな」と詠嘆する必要性も薄いものです。 例えば 白粉の花落ち横に●●縦に 「また縦に」 コスモスの花の静止を●●画布に 「この画布に」 山の冷ェいつか浴衣の●●肩に 「わが肩に」 迎火の猛々しきが●●袖に 「たが袖に」「振袖に」 ききわけの無き鮟鱇を●●鍋に 「この鍋に」「大鍋に」 と、●●の部分を、下のようにいろいろと置き換えることも出来ます。おそらく「にかな」は拙いという意識があれば、私の下手な例でなくいくらでも変えられたはずです。 か(係助詞) 「か」は反語、不定、問いかけ・疑問という助詞で複雑な思いです。 な(終助詞) 「な」は意志、願望・要求・勧誘、禁止、命令の助詞です。 この二つの助詞が合わさって「かな」は「詠嘆」の意味になりましたが、その成立から考えても、「や」のように賛美ではなく複雑な思いです。 動詞の省略として考えられるか では、これらの「にかな」は、前述したように、動詞を省略した「に(ある)かな」と解釈していいでしょうか。確かに無理矢理、動詞の省略だといえばいえるでしょう。 しかし、例句をみてみれは、下五がすべて二文字の名詞+「にかな」です。 「に」という助詞を使う必然性があるとすれば、つまり「に」に必然性があるとすれば、字余りでも三文字の名詞+「にかな」が場合によってはあってもいいはずです。しかし、そのような例はありません。 つまり「にかな」は五音にするために「に」+「かな」としたものといえます。また、前述のように「かな」や「に」も、多くは省略または置き換えられものです。 私はこのように無理無体な「にかな」は使いません。 しかし以上のように「にかな」は、誤りとしても、多くの俳人が無自覚的に使うならば、今後も増え続けるでしょう。 それがいいか悪いかは、最終的には読者あるいは後世にまかせるべきでしょう。 少なくとも、それでも「にかな」を使うかどうか、よく考えて欲しいのです。 その他の「にかな」の例 さくらしべ降る歳月の上にかな 草間 時彦 大寒の仮面貼りつくやうにかな 井上 康秋 ミンクショール東京行きの肩にかな 影島 智子 宵山を逃れ常世の闇にかな 荻田 恭三 寒雁の声の浅寝の胸にかな 恩賀とみ子 五欲置き忘れ青萱山にかな 吉川 昌子 霜降の二日前なる霜にかな 久保 青山 夏薊五院六坊跡にかな 久保 青山 初紅葉甘えたくなる色にかな 高田 自然 夏足袋を杉村春子のやうにかな 諸田登美子 蟻の列ドーム廃墟の裾にかな 静 良夜 扇風機明日出走の馬にかな 石田 克子 桜咲く水の流るるさまにかな 折井 眞琴 紙漉く灯月の庇の奥にかな 川村 紫陽 星合の長距離電話妻にかな 太田 土男 花筏狐映りし池にかな 太田 土男 虚栗鴫立庵の露地にかな 町田しげき 見つづけて全身桔梗色にかな 田口 晶子 大氷柱住み捨てられし軒にかな 田守としを ギターの音春分の日の寺にかな 藤井寿江子 (作品出典「俳句情報検索」、「現代俳句データベース」) 「鴎座」2009年1月号に掲載したものです ジャンル別一覧
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