ロシヤ向日葵の種です古沢太穗居ない 清水径子/蟷螂の杖堕ちている古奈落 三枝桂子
柳田芽衣(鴎座顧問同人)さんから、三枝桂子の個人誌「SASKIA」の切抜きが送られてきた。 久しぶりに太穂先生の新しい話題が懐かしい。ミニエッセイ俳縁(「SASKIA」十号)ロシヤ向日葵の種です古沢太穗居ない 清水径子この句は、清水径子の句集には収録されていない。 句会に出句されてそのままになった。句会記録ノー卜には二〇〇一年七月二十日の日付がある。径子の自宅で開かれていた句会には毎月七句を出句した。 そのうちのごく一部を、径子は誌上に発表していたようだ。句集に収録される句はさらに厳選される" この句は最初の段階で自選を通過しなかったのだから活字にもなっていない。口語を重ねた直裁的な句だが、この句は心に残った。太穗からロシヤ向日葵の種を賞ったことがあるというエヒソードを句会の席で聞いたためかもしれない。当時、私は古沢太穗についてよく知らなかった。この句が「ロシア映画みてきて冬のにんじん太し」 という太穗の句を踏まえていること、この句会の前年三月に太穗が世を去っていたことを、後日知った。 太穗への追悼句を作った径子も今はもういない。師系も句柄も異なる二人はどのような交流があったのだろうか。|九五六年、太穗は径子の義兄秋元 不死男らと共に「横浜俳話会」を発足させている。 三人とも横浜住いだった。この句を思い出すとき俳縁の不思議を思う。太穂先生と秋元不死男は飲み友達でもあり親友でもあった。秋元不死男が生活に困窮していることを慮って太穂先生が「神奈川新聞」の俳句欄の選者を秋元不死男に譲ったこともあったと先生から聞いている。 この三枝桂子さんのミニエッセイは、大井恒行もHPで書かれている。なおSASKIAとは小惑星のことらしい。 蟷螂の杖堕ちている古奈落 三枝桂子 三枝桂子については、何も知らないが大井恒行の引用されて句を紹介する。 「SASKIA」より クリックよろしくクリックよろしく