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2006.07.21
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カテゴリ:現在と大日本帝国
○富田朝彦氏の1988年4月28日付けのメモでの天皇発言(富田氏は当時、宮内庁長官)

┌──
 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが

 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ
└──

※上記は毎日新聞のHP(7月20日14時12分更新)の記事
 「<昭和天皇>A級戦犯の靖国合祀に不快感 元宮内庁長官メモ」より

※松岡洋右(オレゴン大学卒)と白鳥敏夫(東京帝国大学卒)は外務官僚出身。
 松岡洋右は三国同盟締結・日ソ中立条約締結時の外相、極東国際軍事裁判中病死、
 国際連盟特別総会に於いての「リットン報告書による対日勧告案」採決時の日本全権。
 白鳥敏夫は三国同盟締結時の駐伊大使、極東国際軍事裁判で終身禁錮、服役中に獄死。


〓勝手な感想〓

 富田朝彦氏のメモで、
 昭和天皇はA級戦犯(松岡・白鳥を含む)の靖国神社合祀に反対で、
 靖国参拝をしなくなった理由を「A級戦犯を合祀した為」としている。
 (昭和天皇の決意は今上天皇にどのように伝わっているのか知りたいところ)

 メモではA級戦犯に対して昭和天皇がどのように思っていたかは明確にされていない。
 「松岡・白鳥を合祀」に関しては他の「A級戦犯」と比べて、
 良い感情を持っていなかったように感じ取れる。

○「昭和天皇独白録」では、
 東條英機に対して昭和天皇は好意的だが、松岡洋右は嫌われている。

 「昭和天皇独白録」の「南仏印進駐」の項では、
┌──
 この進駐は始めから反対していた松岡は二月の末に独逸に向ひ四月に帰つて来たが、
 それからは別人の様に独逸びいきになつた。
 恐らくは「ヒトラー」に買収でもされたのではないかと思われる。
 現に帰国した時に私に対し、初めて王侯の様な歓待を受けましたと云つて喜んでいた。
 一体松岡のやる事は不可解の事が多いいが彼の性格を飲み込めば了解がつく。
 彼は他人の立てた計画には常に反対する、又条約などは破棄しても別段苦にしない、
 特別な性格をもっている。
└──

 「初めて王侯の様な歓待を受けましたと云つて喜んでいた」は
 松岡の無邪気さを伺わせる場面とも取れるが、昭和天皇の
 「ヒトラーに買収でもされたのではないか」
 「条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格をもっている」
 のコメントは痛い。

 「昭和天皇独白録」での昭和天皇は人物に対して好き嫌いを結構出している。
 松岡洋右に関しては他の場面に於いても昭和天皇は好意的な記述をしていない。
 松岡は意識せずに昭和天皇とヒトラーを比較するような言動を取ったのかもしれない。


○「極東国際軍事裁判」の法廷に溥儀は登場するが、天皇・皇族は登場していない。
 「A級戦犯」は「天皇・皇族を起訴させない」・「天皇・皇族を法廷に出させない」
 為の防波堤の役目も負っていた。

 天皇・皇族はこの意味に於いて、「A級戦犯」に対して恩がある。
 ゆえに、今回の天皇の発言メモは、靖国に合祀された「A級戦犯」を否定ではなく、
 現状存在するような靖国神社の混乱を懸念した為と思いたいが、

 「松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」


○対米英戦に向う大日本帝国の舵取りをしていたのは誰か、
 或いはどのグループかの認識が異なると昭和天皇の言葉の意味も異なる。

 「木戸幸一日記(下巻)」:1941年11月26日11時15分からの木戸の奉答(英米開戦)
┌──
 今度の御決意被遊は真に後へは引かれぬ最後の御決断でありますので、
 御不審の点其の他こうもして見よう、
 ああもして見ようと云ふ様な御気持がある様であれば、御遠慮なく仰せ戴き、
 御上としても後に省りて悔いのない丈の御処置が願はしいと存知ます。
└──

 上記は1941年11月5日の「御前会議」で「帝国国策遂行要領」が再決定された後の事、
 この時点では天皇の判断により米英との戦争を止める可能性が残されていた。
 ただ判断する材料となる内閣・統帥部の主張や情報が正しいとは限らない。
 「昭和天皇独白録」では昭和天皇が主戦論を抑えるとクーデターが起ったと予想、
 「ハル・ノート」を米国よりの最後通牒と認識している。

 日本は米英開戦の3日後に「日独伊共同行動協定」に調印する、
 協定は米英との単独講和を行えず、ドイツ頼みの開戦だったと思わせる。


○「全国戦没者追悼式」と「靖国参拝」

 「全国戦没者追悼式」では天皇皇后・首相・閣僚が参列し、
 慰霊の対象に「A級戦犯」も含まれている。
 場所は武道館なので専用でもなければ恒久的な施設でもない。

 「靖国神社」は大まかに、当時の日本政府の為に戦った人達の為の恒久的な慰霊施設。

 日本が関係した戦争がすべて日本が悪とは思えないし、
 対米英戦に於いても一方的に日本の責任だとは言えない。
 中国との戦争と米英との戦争に対する裁判を「極東国際軍事裁判」で纏めて行った所に
 問題があったりなかったりする。

 「極東国際軍事裁判」は米国主導で行われたが、中国主導・ソ連主導だとどうなったか、
 占領軍が中国軍・ソ連軍だとどうなったか。
 想像でしかないが、現在より圧倒的に良い日本になっていたとは思えない。
 米英と戦争をせずに、大日本帝国憲法が続いている日本を肯定しずらいのは辛いところ。

 靖国に「A級戦犯」が合祀されている事が問題とは思えない、
 靖国が分祀を否定するのも分かるように思う、
 米国にはネイティブ以外にも欧州・アフリカ・アジアから来て米国人になった人がいる、
 いまさら戻れない、合祀・分祀も似た感覚と思う。(分祀できる自由は必要)

 慰霊する前提として、
 日本国憲法に基づき戦争による問題解決を否定する事を強調する事が必要と思う。


●「靖国神社関係資料」の
 『靖国神社・A級戦犯「合祀」の真実と「分祀論」の虚構/大原康男(国学院大学教授)』
 をベースとした纏め。

○「靖国神社」の「A級戦犯合祀」の推移

 「靖国神社」は戦前は「陸海軍省の所管」、戦後は「民間の一宗教法人」

1953年:8月、「援護法」と「恩給法」が改正、「戦犯の遺族」が対象となる
1956年:厚生省の通達により、厚生省・都道府県が選考の「祭神名票」に基づき合祀
    選考基準を「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」のいずれかに該当とした
1958年:「東京裁判」で有期刑や無期刑の者は、全員釈放、本人に恩給が支給された
1959年:BC級戦犯死亡者の「祭神名票」が靖国神社に送られ、最初の合祀がなされる
1965年:2月、A級戦犯(刑死者7名、収監中・受刑中死亡者7名)の「祭神名票」を送付
1971年:「崇敬者総代会」でA級戦犯の合祀が了承される
1978年:秋季例大祭の前日の「霊璽奉安祭」でA級戦犯が合祀された
1979年:4月19日「A級戦犯の合祀」が新聞報道され国民が知った

○「全国戦没者追悼式」

 「全国戦没者追悼式」は8月15日に武道館で行われ、天皇皇后・首相・閣僚が参列。

 式場の「全国戦没者之霊」という標柱の「戦没者」は、全ての戦争の死没者という意味を表わし
 戦没軍人や軍属(靖国神社の祭神)・空襲の犠牲者・終戦時における民間人自決者を含む。

 追悼式には関係遺族とA級を含む戦犯処刑者の遺族も招かれる。

 A級戦犯も全国戦没者追悼式の慰霊の対象に含まれている。






最終更新日  2006.07.21 21:16:21
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