368559 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

国民と天皇と大日本帝国

PR

プロフィール


kamuy_nupe

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カテゴリ

カレンダー

バックナンバー

2020.05
2020.04
2020.03
2020.02
2020.01

お気に入りブログ

電波帝国 MJ-12さん
帝国陸軍好きの読書… 五年現役兵さん
むうみんの脳内妄想 むうみん@ぶたぢるさん
くまのつれづれにっき 森のくまさん4877さん
2006.07.27
XML
カテゴリ:大日本帝国興亡史
 北一輝と西田税は2.26事件の関係者として死刑となっている。

○北一輝に対する警視庁聴取書(1936年3月19日)の
 「国内改造方針 1.社会に対する認識および国内改造に関する方針」では、

 日本の国体は一天子を中心として万民一律に平等無差別であるべきとして、
 私有財産の制限、華族制度の全廃、を述べ
 改造の断行は天皇の決定によるとしている。

○「三井・三菱献金帳/和田日出吉」/日本評論(1936年11月号)によると

 北一輝は三井から盆暮れに1万円ずつ渡されていた。
 敷地千数百坪の洋館二階建ての邸宅に住み、西田税の活動資金の大半を面倒見ていた。
 2.26事件後の訊問では、
 「桂や西郷が藩侯に禄をもらったのと大差ない」と主張している。

■「新訂 二・二六事件 判決と証拠」に於ける
 北一輝(死刑)・西田税(死刑)・亀川哲也(無期禁錮)に対する判決理由の概要

※「北の系2005」さんのHPに「二・二六事件北一輝、西田税、亀川哲也判決」
 の全文が掲載されています。
 私は、本の「新訂 二・二六事件 判決と証拠」を読みながら進めたいと思います。

●経歴

○北輝次郎(北一輝):

 中学を病気の為中途退学、上京し独学で社会学科に関する研究に没頭した。
 29歳の秋頃に支那第一革命が勃発すると単身渡支して革命に参加、
 31歳のときに帝国領事に3年間支那在留禁止処分を受けて帰朝。
 大正5年ごろ支那に渡り第三革命に参加した。

 左翼思想の瀰漫、重臣・官僚・政党なのど特権階級と財閥との結託の現状から
 国家改造の急務を痛感、近代革命の中核は軍部と民間志士の団結により形成されるの信念の下
 大正8年8月頃に「国家改造案原理大綱」を執筆
 大正15年頃「日本改造法案大綱」と改題し西田税に版権を渡し出版させた。

 昭和7年の5.15事件前後より2.26事件の主要メンバーの思想的中心となり、
 要路の大官・政党の領袖・財界の巨頭に接触し巨額の生活資金を獲得。
 法華経に帰依し、誦経中に妻女が神懸りとなった口授を霊告として国政を予断、
 自ら警世の士を任じていた。

○西田税:

 大正4年9月に広島陸軍幼年学校に入校。
 陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校本科など陸軍将校生徒の課程を卒へ、
 大正11年10月陸軍少尉、大正14年6月に病気の為に依願予備役となった。
 大正15年北海道御料林払下問題で暴力行為処罰に関する法律違反に問われた
 (昭和5年10月30日上告棄却で懲役5月の判決確定、疾官)

 大正14年6月上京して、大川周明等の行地社に入り機関紙「日本」の編集に携わった。
 後、行地社を脱退、北一輝の傘下に入った。
 大正15年4月頃「日本改造法案大綱/北一輝」を出版し、思想の普及に努めた。

 昭和6年の十月事件では陸海軍一部青年将校同士を代表し、
 橋本欣五郎中佐との連絡折衝を行った。

 昭和7年の5.15事件では陸軍側青年将校の参加を牽制阻止した為、
 裏切り者として狙撃され瀕死の重傷を負う。

○亀川哲也:

 沖縄県立第一中学校卒業後、台湾総督府専売局・会計検査院・東京逓信局等の
 属官として勤続し昭和2年9月退職し、政党の領袖に接近し政界浪人となった。

 満州事変勃発以後は軍首脳部に接近し陸軍部内の各種情勢を久原房之助等に提供し、
 多額の生活資金を獲得していた。

 昭和10年8月の相沢中佐の永田軍務局長殺害事件では相沢中佐の弁護人選定を
 山口一太郎大尉・西田税より依頼されて鵜沢総明弁護士・満井佐吉陸軍歩兵中佐を
 推薦し、自宅を相沢の公判対策の打ち合わせに等に使わせた。

 「日本改造法案大綱」を国家革新の指導原理として昭和維新を目指す青年将校と
 接触を緊密にして各種の策動を行った。






最終更新日  2006.07.27 19:48:53
コメント(0) | コメントを書く
[大日本帝国興亡史] カテゴリの最新記事



Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.