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カテゴリ:閑話休題
呂不韋は秦王家の内乱を利用して呂不韋自身が国王になる事を目指す、キングダムの出だしでは王弟の反乱が利用される、今回は王母による反乱、反乱に対する呂不韋の関与は間接的で呂不韋の罪状は王母との不義関連になるかもしれない。
秦王政と其の父の荘襄王は呂不韋により秦王であることができた、呂不韋は秦王政の恩人である、また呂不韋四柱である蔡沢・昌平君・蒙武・李斯は呂不韋の失脚後も活躍するとなると秦王政が偉いのか呂不韋の人材発掘能力が素晴らしいのか。 呂不韋が秦国を運営し築いたものを秦王政が受け継いだのであって両雄並び立たずだったのかもしれない。 国家運営の方針の違いについて乱暴な解釈だが、 人の本質について秦王政は性善説を呂不韋は性悪説を主張する、中華の統一に関して政は武力で呂は経済、呂が戦争は無くならないと主張するに対し政は統一後は戦争の無い平等の世の中になるを主張する。 キングダムでは政は武力で呂に勝利する、呂の処遇は決まっていないので波乱があるかは判らない。 人の欲望を重要視しない平等は破綻すると思う、パワーバランスの世界に経済による統合を目指す自由主義か世界的な武力闘争による共産革命かの選択の主張のようにも思える。 キングダムは『週刊ヤングジャンプ』で連載されている、興味深い場面として「第450話 野盗の意地」(2015.11.5 no.47/10月22日発売) 「絶体絶命」「完全包囲」に於いて殿(しんがり)を置かず全員が脱兎の如く我先にその場から逃げさるに関して桓騎は、 「何だかんだで あの逃げ方が一番多く助かるんだよなァ」 の感想。 殿(しんがり)の存在は少しでも被害を少なくする為ではなく守るべき者(或は者達)が存在する場合に置くものであり、その場に於ける命の平等を前提にすると我先に逃げるが良いの主張に思える。 第40巻で主張された「戦争を無くす為に武力で中華を一つにする」、どのように描かれていくのか、出来れば秦王政を善人ではなく善悪両面を持つ者(目的の為に悪も必要だったではなく)として描いて欲しい。 話はかわるが、ちょっと気になった所 第40巻で昌平君を評する貝億の言葉 「誇張して言うなら 武力は蒙武 そして誇張なしに頭脳は李牧級。 ゾッとするであろう あの御方(昌平君)が『秦』ではなく生国の『楚』で立っていたとしたら」 第39巻では呂不韋が「貴公(昌平君)は本来人の下につくような人物ではない」 キングダムに於ける七国統一の終盤に関係する言葉、原泰久氏は巻を跨いで関係する事を散りばめているのかもしれない。 例えば、王騎のエピソードで ・第7巻:【ひょう公】と王騎の会話 【ひょう公】- 王騎 亜水まで来い酒を飲むぞ 王騎- 残念ですが 用事がありますので 私はこれで 【ひょう公】- 王騎 酒じゃア 王騎- ココココ ・第19巻:廉頗が亡くなった王騎との過去の会話を思い出す 廉頗- さァ上がれ出陣前並に酒を用意した 十日やそこらでは返さぬぞワハハハ 王騎- ココココありがたく すでに二日酔いですが「ひょう公」さんのせいで 王騎の「用事があります」は【ひょう公】の酒の誘いを断る為ではなく廉頗を訪問する予定があった事が解る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.10.31 18:43:54
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