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国民と天皇と大日本帝国

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2016.02.07
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カテゴリ:大日本帝国興亡史
 一億総懺悔を首相である東久邇宮稔彦王(陸軍大将)が1945年8月17日の記者会見で主張、また9月5日の施政方針演説でも主張。

 「前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、我々は今こそ総懺悔し、神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして、戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各々其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります」

 反省者に天皇・皇族が含まれていない、文中の「神」は天皇の意か。

 日本国民は戦時中に責任を取っている、責任を取らないといけないのは指導層たち及び其の周辺である。

 【1945年9月】-2

・09月02日:「天皇陛下が処刑されるかもしれない」、天皇の責任の取り方
・09月04日:8月15日から戦闘停止だったがミズーリ号で降伏調印式が行なわれた、国敗れて山河あり
・09月05日:復員して7日目だが一歩も外に出ていない、村には戦死者が多い復員後の挨拶回りに躊躇
・09月07日:新聞発表で陸海軍関係の戦死傷者数は8月現在で約15万7千人、死におくれた無念さが胸を打ってあるれた、大本営は「皇土には敵の一指も触れさせぬ」と言っていた
・09月10日:世話になった人、帰ってこない人
・09月13日:東条英機大将が自殺未遂、東条が公布した「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪科の汚名を残すこと勿れ」、復員船の乗務員としての誘いを断る
・09月18日:人前で戦場の話だけはしたくない、言葉ではとても説明しきれるものではない
・09月24日:畑仕事、戦場の情景、東条大将は生命をとりとめ新聞に「一発で死にたかった。時間を要したことを遺憾に思う。(略)陛下の御多幸を行く末までお守りしてどこまでも国家の健全な発達を遂げることが出来れば幸いである。責任者としてとるべきことは多々あると思うが、勝者の裁判にかかりたくない」
・09月26日:同級生の復員兵、同級生で戦死したのは6人、徴兵年齢の引き下げでの戦地での戦死
・09月27日:復員前の物資のぶんどり、全員ではないが士官・下士官・兵が行なった士官の方が大掛かりで巧妙だった
・09月30日:天皇はマッカーサーを訪問、新聞に写真が大きく出る


〓勝手に独断と偏見〓

 戦中・戦前に於ける日本人の意識の一つ「神聖にして侵すべからず」なる天皇を頂点とした美意識・選民思想が敗戦により崩れつつある。

 敗戦国の元首と国民の身の処し方が戦前・戦中の美意識とは異なる場合が表面化する、刑法から「皇室に対する罪」が削除されるのは1947年10月、治安維持法は1945年10月4日にGHQが廃止を要求したが東久邇宮稔彦王内閣は拒絶し幣原喜重郎内閣により廃止された。

 所謂「人間宣言」は1946年1月1日の詔書だが敗戦及び昭和天皇のマッカーサー訪問(訪問は1945年9月27日、会見写真は29日付の新聞に掲載)等により天皇=現人神の構図は崩れたと感じられる。

 阿南惟幾大将のように責任を果たして一人で亡くなった人もいると思えば、身柄を拘束されそうになって死んだ者、死ななくていい部下を引き連れて死んだ者、連合国に殺された者。
 哲学者の三木清は治安維持法で拘留され1945年9月26日に48歳で豊多摩刑務所にて亡くなっている。

 東条英機は身柄を拘束されそうになっての自殺未遂、東条が国民に主張していた美意識と正反対の行動だった。
 対米戦を行なわなければ日本人が日本人でなくなってしまうの美意識が戦争を始めた理由の一つではないのか。

 東条英機の自殺未遂と「戦陣訓」との差は日本国民にはきつかったと思う、指導層及び其の周辺は自らの責任を東条に押し付けるのをやりやすくなったのではないか。

 「砕かれた神」の9月13日では、東条の自殺未遂は「恥」として捉えられている。

 「軍人の最高位をきわめた陸軍大将が、商売道具のピストルを射ちそこなって、敵の縄目にかかる。これではもう喜劇にもなるまい。
 東条はこの失態によって、彼自身の恥だけでなく、日本人全体の恥を内外にさらしたようなものだ。おれは東条大将だけは連合軍から戦犯に指名される前に潔く自決してほしかった。あの阿南陸相のように責任者なら責任者らしく、それにふさわしい最後を遂げてほしかったと思う。」

 極東国際軍事裁判より殺された者には冤罪による判決があると思う、また死刑廃止論者は東条などに死刑が執行されたことに対して憤りを覚えていると思うがどうだろう。





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最終更新日  2016.02.07 09:02:01
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