さびしい九月
寂しい九月さみしい、さびしい、淋しい、寂しい9月! 空しい、虚しいへ引き込まれないために! 夏の喧騒が去った海岸に残る花火の燃えカス、 片方のゴム草履、 忘れたのか捨てたのか子供のシャベルなどが残る砂浜は ワカメか昆布かの切れ端や細い流木も流れ着いている。 こういう宴の後の寂しさ、それが9月の風景。 グループ旅行の翌朝、路線の違う電車に一人ずつ離れていく。 最後に自分一人になって乗る電車の寂しさ。 子育てなら夢中に過ぎる20年の後の寂しさ。 「子供は社会にあげるんだよ」 と教えてくれる医師。 友達に意味もなく寂しくて夜中に電話する。 「つきあって」 「いいよ」 といつも快く、つきあってくれた。 一人ご飯、一人旅、一人暮らしが好き。 でもそれは友達や家族がいるから。 真に一人きりの場合は真の孤独と向きあわなければいけない。 夢中で働くときの充実の合間にふと感じる誘惑は空虚。 ここに落ち込むと自死の誘惑に向かうことも。 空虚に落ちてはいけない。 どうせ死ぬし、癌になるかもしれないし、事故に遭うかもしれない、地震で災害で死ぬかも。 働いたり楽しんだりしても結局、死ぬわけだし、なにに意味があるの? 失恋? その場合は次の出会いまで自分磨きで見返そう! お金儲けしても何をしても無駄のような気がする。 そこで皆様に「魔法の言葉」を贈ります! 「人の営為は、みな、空しいものです。しかし、空しい営為を積み重ねれば、それが充実になるんです。空しさを積み重ねるのが、人生です」 「空しいとわかっていても、それをまだ積み重ねるのですか」 「そうです。時間が切れるまで積み重ねればいいのです。人の営為の一つ一つは空しいものでも、それを積み重ねていけば、充実になるのです」 そう、人の行為の一つ一つは空しいものかもしれないけれど、その一つ一つを積み重ねればいいのだ。 そう考えれば空しい行為も続けられる、生きていける。