よいお日和で

よいお日和で




良いお日和で
2004年6月2日の日記

季節、植物、お天気、空についての日記がやたら多いと言うことに、いまさらながらに気づく。
四季のある国に生まれて、自然大好き人間なので、政治経済の難しい話より
今日のお天気の話が気になる。
タクシーの運転手さんを代表に、はじめての人と話をするとき、あまり親しくない人と会話をしなければ行けないとき
口火は天気の話が当たり障りがない。
ただし、雨だからよいとか、晴れだからよい、という所まで言い切ってしまってはいけない。
落語の中にでてくる、娘思いの父の話にあるように、傘屋に嫁いだ娘は晴れれば傘が売れず、
草履屋に嫁いだ娘は雨が降れば草履が売れない。
娘思いの父は、雨でも晴れでも困った困ったと思っていたのだが、人に言われて気がついた。
雨ならば傘が売れる。晴れならば、草履が売れる。
どちらのお天気であっても、良いことがある、と。
発想の転換。
困ること、をまず考えるから、マイナス思考に走る。
一番先に良かった探しが頭に浮かぶように、プラス思考を常日頃心がけていなくては応用が利かない。
他人様の思惑を図らなかった、気遣えなかった、というだけの話とも言える。
私、か、私に近い人が優先されて、他人、自分に近くない人のことまで慮れない(おもんぱかれない)。
視野が狭い、配慮が足りない、ひいては、大局が読めない・・・
私の一番苦手なことに通じてしまう。
なので、私にとって、は、誰かにとってどうなのか、はプラス思考と同じく、常に頭に置いておかなくては行けない決まり事なのだ。

ある人にとって、雨は困ったものであり、ある人にとって降らねば困るものでもある。
晴れれば困る人もいて、晴れねば困る人もいる。
どんな天気であっても、誰かにとってはいいお日和なのだ。
四季のある国、農作をする国ならば、寒暖の差も、晴雨も、何一つ邪魔なものはないだろう。
ただ。
台風とか、大雨とか強風は、ある程度を越えたら、誰にとってもまずいんじゃないのか。
度は超えない方がいい。それを自然がわきまえてくれるなら、天災なんておこりゃしない。

良いお日和で、と言う世の中で一番当たり障りのない言葉にだって、結構な葛藤が秘められているのである。

さて、本日は快晴。少し肌寒い。
九州に行った家人の日程では、草千里、阿蘇中岳、地獄巡り、班別自由行動。
どれほど綺麗に見えるかしら。
う~ら~~や~ま~し~~い~~・・・(恨めしいとうらやましいは同意語であると気づく瞬間)

空一面のうろこ雲
2003年10月05日の日記

すごかったですよ。6時半ごろの空に、巨大な魚が出現。
どんな大きな魚でしょうね。
地球をその身に巻き込めるほどの竜だったのかしら。
細かで綺麗なうろこが、ある部分は青空に白く、ある部分は光を帯び、綺麗に飾られていました。

車は露だらけで、フロントもミラーも何も見えない。中は冷蔵庫。冷凍庫になる日も遠くなさそう・・・
昨夜7時ごろ、駅のあたりで15度。家だったら12~3度かな。
夜遅くには半そでで外にいられない。
いよいよ本格的に冷え込んできたようです。









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