1月12日(月)成人の日・祝日。
この日のアクセスは、珍しく100件をはるかに越えた。
日記も1回しか送信しなかったというのに。
アクセスカウンターを見ると、そのほとんどがゲスト。
もちろんいつも来てくださる方々のアドレスもあるのだけれど
見たことがないアドレスも多い。
23時には、私がログインして掲示板レスを書いたり、ページ移動したりする他は
全部ゲストになってしまった。
それを見ていて、掲示板に書き込んだ。
これはまた・・・ 海のあを
たくさんのゲストさんですねえ。
お初にお目にかかるアドレスさんが多いこと。
もともとゲストだらけの掲示板ですので
お気に召した話題がありましたら、お気軽にご参加下さい。
お気に召すまま 気の向くままに 喫茶去。
喫茶去。きっさこと読みます。
あれ?長くなっちゃいそうだ。
日記行きの話かな?
ま、とりあえず、喫茶去。
(1月12日23時25分)
|
喫茶去
お茶席の軸にかかっていたり、お茶屋さんの壁に飾ってあったり、お店の名前になっていたり。
茶道を習ったり、ことさらお茶好きでなくても、結構目にすることも多い言葉ではないかと思います。
喫茶去。きっさこ。
茶を飲んで去れ。と、読んでしまいそうですが、さにあらず。
これは、『お茶でもどうぞ』『お茶を召し上がれ』と読むのです。
去、というのは、強調の助詞。是非どうぞ。
いわれは、はるか昔の禅僧の、禅問答。
今から1200年ほども昔、唐代の禅僧、趙州従しん(じょうしゅうじゅうしん。しんの字は、PCにありません)は、
訪問者に、必ず「喫茶去」と言う。
『ここへ来られたのははじめてですか?』『はい』『喫茶去』
『ここへ来られたのははじめてですか?』『いいえ』『喫茶去』
それを聞いていた院主さんが、
『なぜ、はじめての人にも、以前来たことがある人にも、同じようにお茶を勧めるのですか?』と聞きました。
聞かれた趙州従しんは
『院主さん』『はい』『喫茶去』
一休さんなら、すぐさま解説してくれるのでしょうが、不可思議な会話です。
始めてきた人にもお茶をどうぞと言い、来たことがある人にもお茶をどうぞと言い
院主(いつもそこにいる、格上の人)にもお茶をどうぞと言う。
誰であっても、ということなのですね。
始めて来られた方にでも、二回目に来られた方にでも、いつも来てくださる方、一緒に住んでいる方にでも、お茶をどうぞと勧める。
一期一会と同じ意味ですね。回数にこだわらないから、一期の方ではなくて、一会の方。
相手の、職業や家柄、年齢、貧富や知己か否か、そう言うことにとらわれず、
今お茶を飲む機会、差し上げる機会があるのだから、お茶を飲んで行きなさいよ、と勧める。
誰であっても対応が変わらない。
私たちには、縁のないことだけれど、禅僧の人たちはそう言う問答をして、教えや悟りを開くものらしいから
私たち凡人には、お茶しか指さない言葉なのだけれど、禅僧の人たちは、これを、
教えを受けに来たのなら、はじめてであっても、二度目であっても、何度目であっても、また、よく学んだ人であっても
教わることは平等に学べますよ。平等に学ばなくてはいけません。
と読むのでしょう。
せっかく来られたのですから、お茶でもどうぞ。家主(サイト主)が勧める。
訪問者は、今差し出されたものが、お茶であるなら、お茶を、文章であれば、文章を、読む。
誰であっても、来られたならば。その気持ちを汲むか汲まないか。
双方が成り立ったときは、喫茶去。ごゆるりと。
美花さん
喫茶去
なんかすごく感動したんですけど。どうしてでしょ?(笑)
うまく言葉にできないけど、昔の人ってすごいなって。
で、物知りの海のあをさんもすごいなあ・・・。
こんな事かいても、海のあをさん困っちゃうだろうけど(^^;
とても勉強になりましたv
私もそんな管理人になりたいなv
(1月13日16時16分)
|
海のあを
貴女が知ってることで私が知らないことだって多いと思います。
たまたま同じモノに興味を持った時に、教えあったり、話し合えたり出来たら、大成功♪です。
禅の世界の問答は難しくて、なかなか分かりにくい話が多いですが
この趙州従しんと言う人には、ほかにも分かりやすい話が残されています。
ちょっと触れてみても面白いかもしれません。
犬に仏の教えがわかるか?みたいな話もあるんですけど
さて、趙州従しんの答えは何だったと思います?
(1月14日9時10分)
趙州従しんの、もう一つの話はこちら。
ありやなしや
|