ペンギンさんの書き込みで、近いうちに書こうとしていたコクトーの詩を先に出されてしまいました。
いい詩ですね。
私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ
この言葉に共感を覚えない人はいるのでしょうか。
耳に巻貝の貝殻をあてて海の音を聞く。誰でもやったことがあるのではないですか?
私はあります。何度も何度も何度も・・・
一番よく聞こえた貝殻を仲のよい友人に、海の音を聞いてねとあげたこともありました。
と、書いて思い出したくないことまで思い出してしまいました。
その後、友人宅を訪問したらその貝が戸棚においてあったので『あ。これ聞こえた?』と聞いてみたのです。
『聞こえないのよ。聞いたことがあるの?もって帰って聞く?誰かから貰ったんだけど、あげるよ』
彼女はそれを私から貰ったことすら忘れていたのでした・・
私はそれを貰って帰り、その後も海の音を聞きましたが、彼女には何故聞こえなかったのでしょうね。
耳は巻貝に似ているから『貝殻を耳にあてて聞く』ではなくて、直接的に『私の耳は貝の殻』としたのでしょうか。
海の響きを懐かしむ自分と、海の音が聞こえる貝を同一視したのでしょうか。
人間は、海から生まれたものだから、海に還りたくて、海の響き、波の音を恋しく思うのかもしれません。
懐かしいと感じるのは、自分の中の何かが、そこから生まれたことを知っているからかもしれません。
はたまた、人間の体は大半が水でできていて、血液はもちろん塩分を含みますし、体の中に海がある。からなのかも。
いずれにしても、海というものは人間に対して、母の役目を負っているものだと思いませんか。
懐かしい場所。懐かしい音。
寄せて返す。寄せて返す。その繰り返しの果てしない音の中に私たちは過去も未来も見てしまうのかもしれません。
今まで続いてきたものと、これから続いていくものと。
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