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テーマ:国際カップル(23)
カテゴリ:遠い目
外国語を使って毎日生活している皆さん。きっかけは何でしたか。
私の場合は、高校生の時、母が「ねえ、近所にできた英会話の学校に一緒に行かない?」と誘ってきたこと。今から考えると、反抗ばかりしていた母に素直に従って行くことに決めたのも、なんだか不思議な話だ。母の意見に乗って英会話を習おうと思った大きな理由は、当時夢中だったスティービー・ワンダーの歌詞が聞き取りたいと思ったから。かなり単純。 それで毎週一回、クラスに通い始めた。先生は、オーストリア人。「ラ」がないことにご注意を。そう、彼の母国語は英語ではなくドイツ語だった。今話すとドイツ語訛があることに気づくのだけれど、当時はそんなことわからなかった。 (それに余談だが、今考えると、彼はどう考えても某宗教団体のメンバーだった。でも、知り合って20年になるけど、一言もその団体の話が出たことはない。その宗教団体にはまったく呆れる話が山積みなのだが、仕事と自分の信仰を切り離している先生を尊重して、その点は考えないことにしている。) とにかく、この先生には、英語だけでなくとても大事なことを教わった。変わっているとよく言われた私は、まわりに合わせようとして居心地の悪い思いをしながら高校生活を送っていた。でも先生は、人と違うのは素晴らしいことだ、と教えてくれたのだ。それから、日本で普通だと思っていた価値観が、ヨーロッパやアメリカ、アジアのほかの国ではどんな風にとらえられているか、教えてくれた。英会話だけでなく、国際比較文化論みたいなクラスだったわけだ。 その先生に感化されて、私はドイツ語に興味を持ち、大学時代ドイツに短期語学留学することになる。そのあと、翻訳や通訳を仕事にしたいと考え、ドイツ語と英語のどちらを選べばいいか考えた末、結局英語の方が近道だろうと決めてアメリカの大学院に留学したのだ。それで旦那に出会ったのだから、やっぱり何かの縁なんでしょう。 さてこちらに住んで通算10年になるが、日本のことをなーんにも知らないアメリカ人(この間も「日本ってハワイぐらいの大きさ?」と親友に聞かれたぞ)のグループに入って完全にリラックスして話せるようになったのは、ほんの数年前。それまではアメリカ人でも日本にいたことがある人や、日本にちょっとでも興味がある人としか付き合っていなかった。でも、旦那の「でも僕も日本にいた 7 年間、アメリカ人としか付き合っていなかったら、すーっごくつまらない 7 年だったと思うよ」という言葉で開眼。 付き合ってみるとアメリカ人って底抜けのお人よしが多いし、単純だし、本当にいい人たち。いやなやつも山ほどいるけどね。それはどこでも同じでしょう。 追記: それで英語に関しては、普通に話せるようになってはいるけれど、でも絶対に正確に発音できない言葉がまだまだある。たとえば、 ▼ 「doll」(「dole」だと思われる) ▼ 「chalk」(「choke」と間違われる) ▼ 「bottle of water」(これは通じたことがない。「bottle」の発音に問題があるので、「water in a bottle」にしてみたらと旦那に言われた) ▼ 「three」ちゃんと言えない。子供に笑われた。くやしい。 などなど。 まあでも、発音なんて気にしていたら生きていけません。ちなみに通じない場合は、綴りを相手に言うと、分かってくれます。 あと、絶対聞きわけられないのが、人の名前で、Kelly と Kerry。この二つ、どちらもある名前なのだけれど、聞いただけじゃどっちか本当にわからない…。これも、バカまるだし覚悟で「綴りを教えて」と聞くことにしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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