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缶詰

缶詰

Dr. BirthDay

 沢田綱吉はネギを刻みながら、しきりに首を傾げていた。
 空っぽのビンや缶でできた林。積み上げられたつまみの空袋の丘。
 そのゴミの山に埋もれるこたつ(そもそもオートロック完備全面フローリングのマンション、そのリビングに、花柄のこたつがあること自体がおかしい)に足を突っ込んで、
「お。いいチチだな」
 イタリアからやって来た保健医(兼殺し屋)が、なぜテレビ番組の明日の天気(正確にはそれを伝えている女性アナウンサーの胸…)を見ながら酒を飲んでいるのか。
 なぜ自分が、そんな保険医のために台所に立って鍋の準備をしているのか。


『子どもの理由と大人の悪あがき』


 ことの発端は帰り道。山本や獄寺どころかリボーンさえいない、いつもと少し違う帰り道。
『ツナ君、悪いんだが武の代わりに宅配頼まれちゃくれねぇか?』
 頼まれたら断れない性格は自覚している。ましてや呼び止めた相手は散々お世話になっている友達の父親。
『これ、配達先のメモなっ。シャマル…って変わった名前だから、すぐ分かると思うぞっ』
 とは言え、なぜその名前を聞いた時に、押しつけられた鍋を突き返してでも断れなかったのか。今さら後悔している。


 思い出したら自然とため息が出た。
「辛気くせぇな」
 ふいに耳の近くで囁かれて、綱吉は首筋の毛を逆立てた。
「うあっ」
「まだできねぇのか、ボーズ」
「いきなり後ろに立たないでよっ」
 綱吉は囁かれた方の耳をおさえながら退いた。
「酒取りに来ただけだよ」
 シャマルは綱吉の反応など気にもかけず、小さな冷蔵庫を開け、主に収納されている缶ビールの中から1本、取り出してプルタブを押し上げる。
 鍋を届けに来ただけのはずだった。
 確かに、玄関から現れた男は酷い顔色と声で、人として心配するのは当然だった。
 しかし、事情を聞けばそれはただの二日酔いで、あきれて帰ろうとした綱吉は誰に責められるいわれもないはずだ。
 だが、
「病人をおいて行くのかぁ?」
 と、氷を額に当てた男があわれっぽく咳こむのを見れば、自業自得とは分かっていても帰れなくなった。
 そして今に至る。
「いいじゃねぇか。鍋タダで食って帰れるんだから」
「人に準備させといてなにそのセリフ!?」
 シャマルはこたつに戻るのも待たず、缶をあおって息をつく。
「他の具はそろってんだから、ネギ切るだけじゃねぇか。それにしても…」
 シャマルが「ふ…」と鼻で笑う。
 シャマルが綱吉の手元からつまんだネギは、持ち上げた端からもう一方の端まで、見事一本につながっていた。
「ある意味芸術的だな」
「ほっといてよ!」
 綱吉はあまり…というかほとんど台所に立ったことがない。母親の手伝いもろくにしたことがない自分が、急に恥ずかしくなった。
「あ。ヒレ酒もするからよ、あっためてくれ」
「それぐらい自分でして下さい!」
 と言いつつ、渡された一升ビンを抱え途方に暮れた。
「なんだよ。酒のあっため方も知らねぇーの?」
 結局シャマルは、自分で湯を火にかけ、酒を温め始めた。
「ちょっと先生っ」
 再びこたつに戻ろうとする保健医に、綱吉は包丁片手に腕を組んだ。
「酒飲むのはかまわないけどちゃんと片づけてよっ。鍋置くスペースないじゃないですか」
「あーはいはい」
 シャマルは綱吉の言葉に応じて、こたつの上を占領するごみを押し退けた。
 ただし、それは見事な「右のものを左に寄せる」っぷりで、耐えきれなくなったつまみの空袋は、文句も言わずこたつの反対側に滑り落ちた。
 綱吉はため息をつきつつも、そうして空いたスペースに簡易コンロを置き、土鍋をセットした。
「だいたいなんで鍋なんですか?」
 具の入った皿を抱え、自分もこたつに足を入れた。台所で冷たく冷えた足が、じんわりと暖まる。
「いいじゃねぇか。自分の生まれた日くらい好きなモン食わせろ」
 初耳だった。綱吉は目を丸くした。
「誕生日…なんですか?」
「んー…まぁな」
「それは…おめでとうございます。またひとつおっさんになりましたね」
「…言うじゃねぇか」
「でも、そんならなおさら、女の子に来てもらえばよかったじゃん」
 「オレじゃなくて」と。具をだしの中に加えながら、なんでもないことのように言った。
 するとシャマルは言った。
「んー…おまえの方がいいよ」
 テレビから目を離さず、酒を口にしながら、目を細めて。
 なんとなく聞き流すはずだった言葉に、一瞬、具を入れる手が止まった。
「……え?」
 一拍の間が、あった気がする。
 シャマルは缶を置くと、おどけたように肩をすくめる。
「オレが一人の女を選んだら、オレを想ってくれる百人の女を裏切ることになるだろ?」
 おまえでいいんだよ、と男が片方の口の端を上げた。
「…サイテー。巻き込まないで下さい」
「…言うじゃねぇか。博愛主義者なんだよオレはっ」
「酒、もうあったまったかな?」
「おーい。聞いてんのか?」
 取ってくる、と口の中で言いながら、席を立った。
 やっぱりシャマルは最低だと思う。火を止め、酒を湯からあげながら、そんな気まぐれにつき合わされている自分にうんざりとする。
 なのに。
 なのに、頬があつい。
「―…おい」
「え?なに…」
 呼ぶ声にハッと顔をあげると、湯から取り出した熱燗を倒していた。
「あち…っ」
「何してんだっ」
 熱さに指を引っ込めるより早く、大きな手のひらが綱吉の手のひらを乱暴に掴んだ。
 流しに勢いよく、水道の水が落ちる。シャマルの素早い反応に目を見開いた。
「アホかっ!ボケッとしすぎだっ」
「ご、ごめんなさい…酒こぼして…」
「んなもん、またあっためればいいだろが。…そんなひどくねぇな」
 上げられた目と、かち合った。
 笑った目が、ふいに笑わなくなった。
 水の音が大きい。テレビの中の笑い声が遠い。そう聞こえるくらいの、沈黙が訪れた。
「あの、もう大丈夫だから、手…」
 手を離してほしかった。なのに、冷たい水でお互いの手が濡れているのに、離してくれなかった。
「ボーズ…」
 シャマルの目が、夕陽に染まったあの時の目と重なった。
 怖くて、思わずきつく、目を閉じた。
 けれど
「ぶ」
「なに意識してんだよ、バーカ」
 鼻をつまんでだ男がけらけらと笑らった。
 綱吉はからかわれたことに気がついた。頬がまた熱くなった。
「し、してないよ!」
「安心しろ。ほら」
 投げて寄越された小さな救急箱を受け止める。
「オレの恋愛対象は自分が治療する対象だからな」
「バカッ!」
 男はこたつに戻る。
 綱吉は荒くなる息をおさめようと、深呼吸をした。
 頼みを、断ることはできた。
 それなのに、シャマルの名前を聞いて…
 ここ三日ほど、学校で保健医の姿を見ていないことを思い出して……
 分からない。
 綱吉はひりひりと痛み始めた指先で、くちびるに触れた。
「おいボーズ。冷めないうちに食え」
 男が湯気の立つ鍋の前で手招きする。
 準備したのはオレなんですけど…という文句はこたつに入るまでおあずけにした。

※※※

 シャマルがまどろみから覚めれば、意識を失う前に見ていた日本の歌番組が終わるところだった。
「いけね…女の子見逃した…」
 「また来週」と言うサングラスの男に舌打ちしながら、ふと目をやれば子どもは横になっていた。
「ボーズ?」
 そう言えばこの子どもも、鍋を食べ終わった後から舟をこいでいた。最初はつついて起こしていた自分の方が眠ってしまうとは、どうもコタツはおそろしい。
「寝るなよー、寝たら死ぬぞー」
 カーテンのすき間から見える外は暗い。さすがに帰さないとまずいだろうと思ってぺちぺちと額を叩くと、子どもが苦しそうに眉を寄せる。
「ぅ…リボーン…生クリームだけはかんべ、ん…」
「……どんな夢を見てんだ?」
 とりあえず自分が取り上げた赤ん坊は立派にスパルタ教師を務めているらしい。シャマルは小さく笑った。
 笑った自分に気がついて、ため息が出た。
「…ボーズ」
 子どもは健やかな寝息をたてている。目を覚まさないことを祈る。
 試しに制服のシャツをまくった。ふよふよと柔らかいような腹は胃の辺りがぽっこりとふくらんでいて、正しく役割を果たしているのが伝わってきた。
 反対に鼓動の伝わる胸は平らで、当然だが女のようなふくらみはない。
 それでも触れる。
「ボーズ」
 こめかみにくちびるを落として、耳元で囁いた。
 すると子供が身じろぎをして、シャマルは手を止めた。
「ん…やめろってランボ…ふはは…」
 くすぐったそうに体をよじって、くつくつと笑う。幼い顔に、シャマルは見入った。
 服を元の通り直すと、ため息をついた。
 『オレじゃなくて』と子どもは言った。
 自分はなんと答えた?
 気づきたくない。反面、自覚している。
 自分にしては往生際の悪いことだと思う。
「いいさ。あがいてやるよ」
 そう言いながら、少年の隣にごろりと転がり、幼い顔を眺めた。

 ずっと、ずっと。

(2007/10/01 加筆修正)


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