石田純一から考えるソース的考察(?)最近、石田純一っておもしろいなぁと思う。過去においては、トレンディドラマでカッコイイ男だったり、[一流の男]だったり、「不倫は文化だ」なんて発言してみたり、前妻との子どもが俳優になったり、その俳優がいろいろ問題を起こしたり、離婚したり、若い女性と何年も同棲していたり・・・ そして今、バラエティにはなくてはならない人となっている。今度は汚れ役「ダメダメ男」の役だそうだ。 どんな場面でも、ダメダメ役でも嬉しそうなんだよね。 この人の真実ってなんだろう?どれが石田純一なのか? 世間やマスコミの期待を察知して、それにあわせて振舞っているみたい。 世間やマスコミの期待に対応してカメレオンのように自分を変えていく? でも、本質のところは何も変わってないようにも見えるけど、世間で売っているイメージはどんどん変わっていくし、それになんの抵抗もしめさずに受け入れていく・・・ように見える。 それが、全然苦じゃなくて、楽しんでやっているみたい。自分で自分のイメージを固定化させない柔軟性? なんだか憎めないんだよね。 私も含めて、人は自分の自己概念(自分に対する思い込みや枠)を持っていて、なかなかそれを壊せない。周りから自分の自己概念に合わない自分像をつきつけられたら、それが本当であっても、よほどの信頼関係がないかぎり、受け入れられないだろう。それがマイナスのイメージであればなおさらだ。 彼の振る舞いは保身なのか? 保身ならもっと見苦しくなりそうなものだけど、見ているほうも石田純一の振る舞いを受け入れられてしまう。(私は少なくとも受け入れている) 彼は自己概念に対するこだわりというか垣根が低いような気がする。どんどん受け入れて、今までの自分とは違う自分も・・・それが世間からの期待であったとしても・・・受け入れて、「それも自分」と思っているのかもしれない。 石田純一はナルシストだろうか?・・・だと私は思っていたのだけど。 ナルシストって、自分で作り上げたイメージの中の自分を愛するっていうイメージだけど、この人は「いいところもかっこわるいところも全部ひっくるめての自分」を愛している、そういうナルシストのような気がしてきた。 (それってナルシストっていうのか?) 一般的なイメージのナルシストは、自分だけを愛するけど、他の人への要求が高くて、「愛している自分」に「ふさわしい」相手だけを「自分の次に」愛するというイメージ。 石田純一は、自分のこと全部愛してるから自分に甘くて、そして相手にも甘い。この人、嫌いな人なんていなそうなかんじ。受け入れ度が高い気がするなぁ。 話がずれてきたぞ。 ええと、石田純一は、どんな自分をも受け入れている。vs 世間の期待する自分を演じている。 どっちだ? どんなイメージでも注目されることが嬉しいから、その期待される自分像を、自分自身で楽しんでいる。 お、なんか私的にはしっくりしてきたぞ。 ソース的に考えると・・・・ 石田純一の「わくわく」は「注目されること」「期待されること」 だからそういう自分も楽しめる。 「前とは違うマイナスな自分像を受け入れるのは嫌だな」と思うことに焦点をあてるのではなく「注目されている自分を楽しむ」に焦点を当てている・・・ っていう分析はどう? 無意識にやってるんだったら、石田純一ってすごいなぁ。 えーと、結論はありません。 でもなんだか、石田純一の「このかんじ」から学べるものがありそうな気がします。 最終更新日 2005年06月29日 ジャンル別一覧
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