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旅行の二日目にようやく最大の目的である「ご本家」さんに行ってきました。
私にとっては、初めての「発祥地」訪問です。
「発祥地」に近づくにつれ、何か胸が次第に熱くなってくるのを感じながら、目的の町に到着しました。
父親は50年ぶり。叔父にとっても20年ぶりの訪問で、
叔父の記憶と父親の記憶では、
「確かこの四つ角のところに在ったはずなんだか・・・。」
近所の若者に聞いても
「○○さんですか!??」
状態で、どうしたものかの思案していたところ、塀の向こうから
「先生のところですか?」
と声をかけていただいた女性から、500m先に引っ越した場所をお伺いして、ようやく「ご本家」さんのところに辿り着くことができました。
父親がすぐに車から降り、「ご本家」の方に挨拶に行って話をすると
「父親から『東京に本家筋の方がいらっしゃる』と聞いておりました。はじめまして。」
とスムーズに話も進み、まずは「ご先祖さまにご挨拶」と思い霊所に案内をしていただきました。
ご自宅・1000坪の敷地内に「代々の霊所」の一部があり、現在の当主の方が朝晩と、お参りをしているそうです。
以前から父親には
「先祖代々本家は、宮司をしていた関係で墓所は神式で墓石ではなく、石の一つひとつがその墓石にあたる。」
と話では聞いていたので、実際にはどのようになっているのか興味がありました。
実際にみると、入り口には赤い鳥居がありその奥に霊所がありました。
下の写真が、その一部です。
お参りをするときに、「俗名 菅原佐○○○の墓」という墓標がすぐに目に入り、
私 「やはり菅家党で、菅原氏なのですね。」
ご本家 「はい。代々本姓は菅原です。いろいろお調べになったのですね。」
私 「はい。いろいろ調べて、自分なりに考えてきました。」
と、やりとりした後に先祖代々が多く眠る霊所に案内をしていただきました。
下の写真の林がある一帯全体がひとつの古墳のようになっていて、その中にまた写真のにように石が並んで祭られています。
東京に戻り調べてみると、このような埋葬の仕方は、古代の埋葬方法のひとつだそうです。
田畑の間や近くに丘があればその丘に埋葬し、近くの石を今日の墓石代わりにして祭っていたそうです。
ご本家の方のお話をまとめると、
・先代で34代目にあたり、今年2月にお亡くなりになられた
・毎年台風や強風の後は、近くの木々が倒れ霊所を保つのが一苦労である
ということと
・霊所や古文書類は、子孫のためにきちんと残すように
と代々言い伝えられているそうです。
霊所も以前は、四箇所あったそうですが、道路の拡張工事・霊所をまとめたりで、現在は二箇所になったそうです。
現在まで、34代・約900年。先祖が代々この場所で子孫のために守ってこられたことに敬服する思いでした。
子孫の一人として、自分が今後やるべきことがしっかりと確信できた思いでした。
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