|
カテゴリ:カテゴリ未分類
慧超は慧超である。 法眼は法眼である。これに理屈はない。證明も不要である。 生命そのものが知る事實である。 それを知らない人は狂人に過ぎない。 人間は佛であり神の子であるといふのも、如何なる理由といふことはない。 生命そのものが、そのまゝ知れるところの事實である。 それを知らないのは、たゞその人が自己を晦ましているか、自己が眠っているか、自己をわざと狂はしている痴狂の類に過ぎないのである。 眼を開いて見よ、慧超は其のまゝ慧超であり、谷口は其のまゝ谷口であり、佛は其のまゝ佛であり、この世はこのまゝ神國であり、蓮華蔵世界であり、中心の蓮華王座には既に光明遍照者がましますのである。 その事實を直視するものは、日本國をそのまゝ禮拝し、天皇を宇宙の中心者として禮拝せずんばいられないのである。 右は右であり、左は左であり、中心は中心であり、天皇はそのまゝ天皇でいらせられるのであり、もう一切の疑惧も惑も必要はない、たゞ實相をそのまゝ承認すれば好いのである。 (『碧巖録解釈』谷口雅春先生著/引用) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【×蓮華蔵世界】 の解説 仏語。
共産主義(物を平等に分かち合う?)資本主義(資本=お金本位に発展?)の互いに其の矛盾を超えられない元には、物質は有限であると言う物を互いに奪い合う“奪う心”が本質であると言う事でしょう。 法眼は法眼である。 日本國をそのまゝ禮拝し、此処で言う事は単に狭い民族主義に非らず、人間世界を神、佛を振り返る、徳、慈悲心で世の中が回る。正しく循環(心も物も)世界が豊かな飢えない、争わない世界は、相手(神の子)を其の儘、自己(神の子)が見つめ拝む。 其処から真の世界平和が顕れるのでは。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.03.22 08:49:29
コメント(0) | コメントを書く |