心はたくみな絵師のごとく

2017/09/18(月)22:24

総合病院の「ふれあいサロン」で音楽療法を担当

生活に生きる信仰(1)

2014年 3月26日総合病院の「ふれあいサロン」で音楽療法を担当 生きる力を奏でるけぇね! 【広島県尾道市】岡田照子さん(58)=日比崎支部、婦人部副本部長=は毎月、地元の総合病院の「ふれあいサロン」で、音楽療法に携わっている。これは、がん患者が歌や楽器の演奏を通し、心理的な効果などから、心身の回復を目的とするもの。「同じ病で苦しんだ分、人の役に立ちたくて」。そう語る彼女の人生とは――。まさか私が… 午後1時過ぎ。病院内から、合唱の声が聞こえてきた。  明るく、ゆったりとくつろげる応接間。歌っているのは、がんと闘う患者や、がんで家族を亡くした人たちだ。曲は「故郷」「かあさんの歌」など、だれもが知っている歌。その輪のなかで、岡田さんがキーボードを奏でている。  合唱中、岡田さんが手を止めた。そして「故郷って、どんなところですか?」「お母さまは、どんな人だったのですか?」と皆に尋ねる。  思い思いの表情で、懐かしい記憶をたぐり寄せる参加者たち。思い出を語ることで、気持ちが前向きになるという。  この病院の「ふれあいサロン」は、音楽療法を取り入れたことが好評で、常時、臨床心理士や看護師らが参加している。  「私自身、音楽で皆さんを励ましながら、励まされとるんよ。私も、がんと闘ってきたけぇ、皆さんの気持ちがよー分かるんよ」                                                   ◇  2002年(平成14年)8月、右胸に、しこりがあることに気付いた。検査の結果、乳がん(ステージ2b)との診断。右脇のリンパ節に転移していた。  夫・勝博さん(60)=地区幹事=は不安に沈んだ。が、当の岡田さんは驚くほど、毅然としていた。悲哀を吹き飛ばすような明るさで、逆に夫を励ました。  「私は、おっちょこちょいでね。ちょっと前に、洗濯物を取り込もうとしたら、勢い余って洗濯機に胸をぶつけたんよ。その時のしこりかなぁと、ずっと思っとったんよ。まさか乳がんとはね。それこそ“ガーン”じゃわいね(笑い)」  支部の同志の祈りに守られ、全摘手術は成功。退院後、通院で抗がん剤・放射線治療を行った。副作用にも負けなかった。  だが術後6年が過ぎた08年、肺への転移が見つかる。さすがの岡田さんも、言葉を失った。  懸命に祈った後、ピアノに向かいたくなり、ショパンのノクターン(夜想曲)を弾いた。鍵盤をたたいた時、ハッとなった。かつて師が奏でた、ピアノの音色が思い出された――。乳がん、肺転移を勝ち越え同苦の思いで希望送る若き日の誓い 1980年(昭和55年)8月24日、当時、福山市でピアノ講師をしていた岡田さんは、東京で開催された女子部の「富士合唱団演奏会」に参加する機会を得た。そこで、池田名誉会長との出会いを刻む。  前年、会長を辞任。そんな中、名誉会長は友をねぎらい、「人生の並木路」「熱原の三烈士」などを奏でた。  岡田さんは5歳からピアノを始め、東京音楽大学でもピアノを専攻。多くの演奏を聴いてきたが、これまでとは大きく異なる感動が、胸に迫ってきた。  そして誓う。“生涯、どんな困難にも負けません。音楽の力で人を救っていける人になります!”と――。  若き日の誓いを思い出し、“今度こそ病魔を勝ち越えてみせる”との腹が決まった。  手術前には、“お題目を送っています”との師の伝言に、勇気を奮い起こした。  手術では、左肺を部分切除し、5日後に退院。毎週、抗がん剤治療を続けた。  再発の不安がつきまとう。そのたびに、長女・雅子さん=女子部員、長男・大祐さん(26)=男子部員=が真剣に祈ってくれる姿に、励まされた。  団長を務めていた尾道大勝圏婦人部の「フェニックス合唱団」のメンバーからの寄せ書きにも、何度となく勇気をもらった。太陽を昇らせ 岡田さんは闘病中、多くのがん患者から、「安らぎの空間がほしい」など、相談に乗っていた。 あるとき、病院で「ふれあいサロン」が開設されることに。音楽療法を学んでいたこともあり、自ら志願して、担当講師に就いた。  2010年(平成22年)にスタートすると、毎月10人ほどの患者や家族が訪れるように。キーボード演奏、打楽器等を使い、皆の心を和ませる。  時には、自身の体験も語った。姉をがんで亡くした家族からは、「ご自身もがんと闘っているのに、同じ病の人を癒やすなんて。岡田さんの姿に、私も元気を出さなければ、と勇気づけられました」と。  その言葉に、岡田さん自身も感謝する。“人に生きる力を送っているようで、自身の生きる力も引き出されている!”  岡田さんは、より専門的な知識を身に付けようと、日本音楽療法学会主催のカリキュラムで、心理学などを学んだ。老人施設等でも演奏し、尾道市男女共同参画推進グループの会長も務めるなど、地域に信頼を広げる。気付けば、「音楽の力で人を救えるように」と、かつて師に誓ったことを、果たす自分になっていた。  そして――昨年夏、医師から「寛解」を告げられた。  尾道には、市街と瀬戸内海を見渡せる「千光寺公園」がある。そこから見える朝日が、ことのほか好きだという。  「この景色を見るたびに思うんよ。“生きていることって、すごいことなんだ!”と。人の心に勇気と希望の太陽が昇るよう、癒やしのメロディーを、もっと奏でていくけぇね。それが私の使命じゃけえ!」 

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