2014年 2月18日
結婚2カ月後に直腸がん(ステージ3b)
生きるって戦いだ!
【長崎市】大手重機メーカーに勤めて6年が過ぎた2008年(平成20年)8月、西村響さん(34)=田上支部、圏男子部長=は、真美さん(34)=地区副婦人部長(白ゆり長兼任)=と結婚。さらに念願だった海外勤務も打診されていた。希望と期待に胸をふくらませた、新しい出発。だが、自身の体調に一抹の不安を抱えていた――。
「至急」の文字
前年の暮れから、便秘が続いていた。年が変わり、今度は頻便に。1日に5、6回とトイレへ行くようになった。ある日、便が黒みがかっているのに気付いた。
“まさか……”
わが身を案じながらも、夏には真美さんとの結婚を控えていた。仕事も、神戸から長崎への転勤が重なり、多忙の日々。病院へ行くことを失念していたわけではないが、延ばし延ばしになってしまう。
受診したのは、新婚旅行から戻った1カ月後。医師は、精密検査が必要と。後日、別の総合病院を受診した際、直腸に腫瘍があり、悪性であることが確定的なクラス5と告げられる。
「手術の必要があります。おそらく人工肛門となります。腫瘍の近くにある神経を切り取る可能性が高いので、子どもは諦めたほうがいいでしょう」
頭の中が真っ白になった。カルテにゴム印で押された「至急」の赤い文字が、ひどく目に焼き付いた。
一人じゃない
病院からの帰り。医師が語った「直腸がん」「人工肛門」「放射線治療」「子どもは諦める」との言葉が、頭の中で何度も繰り返された。
“来年には海外勤務の話があるのに”“結婚したばかりで、妻になんて言えば……”。さまざまな感情が入り乱れる。
思えば、祖父は大腸がんで他界していた。父も9年前、同じ病を発症。その後、大きな手術を受け、今も闘病中だった。
“これが西村家の宿業なのか”。そう思ったとき、はっきりと死を意識し、寒けに襲われた。帰宅しても、本当のことを言い出せなかった。結婚して、妊娠を誰よりも願い、子どもの誕生を楽しみにしている妻。新婚2カ月での苦難を思うと、病状を打ち明けられない。
翌日の夜――。真美さんから責められた。昼間、父親からの電話で本当のことを知ったという。目に涙をいっぱいにためていた。
妻の一言に、ハッとした。「諦めたらダメ! 信心があるじゃない! がんになっても、あなたと結婚したことを、後悔なんてするわけないよ!」
自暴自棄になりかけていた自分に、闘う気力が湧いてくる。
“一人じゃない!”
死魔を打ち払うように祈った。祈るたびに、涙が込み上げてくる。同志も激励に駆け付けた。その真心がうれしかった。
強盛なる信心
手術は、10月28日と決まった。池田名誉会長に決意の手紙を書く。伝言が届いた。地域の同志も連日、祈ってくれた。
手術前、医師から告げられた。「開腹してみないと分かりませんが、一時的に人工肛門を付けます。その場合は、おなかの右側を5センチほど切開し、排出口を作ります。もし一生涯の場合は、左側です」
6時間に及ぶ手術は成功。術後、麻酔で意識がはっきりしなかったが、ベッドのそばにいた妻に尋ねた。「どっち?」
「右よ」。西村さんは妻の返事を聞くと、また深い眠りに落ちた。
入院は18日間。退院時に医師から告げられた。
「がんは、リンパ節に4個以上転移したステージ3bでした。あくまでも統計上ですが、5年後の生存率は、60~70%です」と。
“3人に1人は死ぬということ!?……”。そんな考えを打ち払うように、自分を叱咤した。“生きるって、戦いなんだ。強くなるんだ!”
新たな格闘の日々が始まった。
西村さんが支えとした、名誉会長の指導がある。
手術当日、新時代第23回本部幹部会が行われた。後日、中継行事に参加した真美さんから、スピーチの内容を聞いた西村さんは、“自分への指導だ”と、再起を固く誓ったのだ。
「大変な時に、頑張った分だけ、ぐーっと功徳が増していく。功徳は、さまざまな形で表れる。その時には罰のように思える試練によって、幸福の道が開けていく場合もある。
たとえば、手術や注射は痛みを伴う。しかし、それによって健康な体になることができる。絶体絶命の窮地に思えても、強盛なる信心に立てば、それによって真実の大功徳をつかむことができる」
西村さんは、何度もスピーチを読んでは、御本尊に祈り、決意した。
“先生、必ず勝って報告します!”
大手重機メーカーの営業マンとして奮闘
妊娠の喜び
2週間に1度、短期入院し、抗がん剤の点滴治療が始まる。
仕事は、海外事業の最前線から後方支援に回った。自分の代わりに後輩が海外勤務へ。複雑な気持ちを抱きつつも、“がんと闘い抜いて、宿命転換をするんだ!”と祈り抜いた。
抗がん剤の副作用で、髪が抜け、体重は15キロも落ちた。
当時、男子地区リーダー。メンバーの激励や創価班の任務、仏法対話に全力で取り組むなか、弘教を実らせる。真美さんも続いた。
術後、9カ月で人工肛門を閉鎖。1年後には体力が戻り、職場も以前の海外営業へと復帰した。
その後は、インドの火力発電事業に従事するため、度々、現地を訪れる。
そのころ、真美さんの体調に変化が――。妊娠していた。
闘病中、子どもを持つことを、諦めようと思ったこともあった。それだけに、喜びがはじけた。励まし続けてくれた婦人部の先輩たちに、感謝の心を伝えた。
10年12月、長女の智美ちゃん(3)が誕生。13年1月には、次女の美樹ちゃん(1)が生まれた。
術後5年が過ぎた昨年11月、医師から「寛解」と告げられた。
「時を同じくして、広宣流布大誓堂が完成し、その佳節に、勝利宣言をすることができた。学会員で良かった。妻と知り合えて本当に良かった。池田先生と巡り合うことができて最高に幸せです!」
西村さんは今、その喜びと感謝を、多くの人に語っている。
(九州支社編集部発)