問題意識「格差社会」(2007.12.29)「格差社会」が生まれていることが大きな社会問題として語られています。経済成長が熟した社会は、次に、経済的な格差が拡がっていくということでしょう。「お金」は、無いよりは、あったほうが良い。しかもたくさんある方が安心でしょう。私も、お金があると嬉しいです。しかし、経済的な理由のみで格差社会として語られることには大きな疑問を感じています。格差社会をあおる風潮は、お金への帰属意識やお金自身の価値の過大評価を社会に染み込ませてしまいます。 人は、みな、「幸せ」になりたいと願っていると思います。しかし、その「幸せ」をひとりひとり真剣に掘り下げて探っていくと「お金」に行き着く人がどのくらいいるでしょうか? 夫婦、恋人、親子、家族など愛する人の存在に「幸せ」を見い出す人も多いでしょう。日本では、ほんとうに貧しくて飢え死にする人がどれだけいるでしょうか?食べる物も買えないくらい貧しいときには、「お金」があったらその飢えを凌ぐことができて、お金の真のありがたさを実感するでしょう。 日本は、戦後の経済成長により、経済的には、相対的に豊かな国となったので、人々の喜びは、どんどん多様化しています。喜びが全く見い出せない人と喜びを見い出している人の差こそが「格差」ではないでしょうか? 喜びを全く見い出せない人が大半になったとき、初めてそれが「格差社会」であり、その格差は、絶対に解消しなければならない社会問題だと思います。格差を語る物差を「お金」から「喜び」に変えていくことが必要ではないでしょうか? そして、今、日本で声高に語られる格差社会の中で、一つ、早急な対策が必要なことがあります。それは、「教育を受ける格差」です。教育がビジネス化した為に、勉強したい子どもたちが、独学だけでは前に進めないときに、塾や家庭教師などの周りの手助けが必要となるのですが、その手助けは、お金で左右されます。 本来、その手助けは、学校が成すべき役割のはずなのですが、学校教育が、競争社会に押しつぶされていて、子どもたちが等しく学ぶ権利を確保できていない状況だと思います。子どもが生まれた環境によって、一生の可能性が制限されることだけは、あってはならないと思います。 例えば、学校に通うときに経済的に貧しい子どもたちには奨学金制度があります。さらに踏み込んで、学校の勉強だけでは物足りない子どもたちや、ついていけない子どもたちが、塾や家庭教師に習うときにも奨学金制度があっても良いのではないでしょうか? 親の意思ではなく、ほんとうに勉強したい子どもたちこそが、教育を受ける環境に格差のない社会を!(勉強が嫌いな子どもたちは、別のことで自分を輝かせばいい!) |