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歩人のたわごと

2020/02/29
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カテゴリ:歴史
法隆寺の西門を出て、法隆寺の土塀沿いに
坂道を200mあまり北に登ると
『顕彰碑 ウォーナー塔』がある(下図)

0229法隆寺ウォーナー塔3-2

0229法隆寺ウォーナー塔1
このように道路から少し入り込んでいる

0229法隆寺ウォーナー塔2
左がウォーナー塔、右が鐸嶺塔
法隆寺の故佐伯定胤管長が建立したものらしい

まずはウォーナー塔
よくわからないのでウィキペディアの助けを借りる

太平洋戦争時、日本の多くの都市・地域に空爆があったが
京都は爆撃されなかった。この事実の理由として
ウォーナーが、空爆すべきでない地名のリスト
(ウォーナーリスト)を作成して米政府に進言したから
という説がある。
(中略)
京都を救ったのはウォーナーであるという話に基づいて
1958年6月、法隆寺西円堂の近くに、供養塔、顕彰碑
ウォーナー塔(Warner Monument)が建立された。
(ウィキペディア)


しかし「一方、この説を否定する説が後年唱えられた」
と、同じウィキペディアには説明がある(下記)

東京大学名誉教授の平川祐弘は、ウォーナーの他にも
日本の文化財保護の立役者と言われている人物が複数いるが
どれも根拠薄弱であると述べ、「外国人に感謝するのもいいが
するなら根拠のある感謝をしてもらいたい。」
「ウォーナー伝説は日本では美談扱いだが
米国では日本人の感傷的な歪(ゆが)んだ外国認識の実例として
研究対象にされた。」と痛烈に批判している。


0229法隆寺ウォーナー塔4
塔の前にこのような説明文碑があって
この辺りの事情を説明しているのかもしれない
しかし肝心の文字が読めないので役に立たない

ボクにとってはどちらが真実であっても
直接関係はないので、この議論からは退散


ついでに、右の鐸嶺塔(平子鐸嶺(ひらこたくれい)の塔)

法隆寺西院伽藍の金堂・塔・中門・回廊の
建築年代をめぐっての論争があった
つまり、火災にあって再建された(再建論)という説と
そうではなく、再建されたものではない(非再建論)
という論争の中で、平子鐸嶺は「非再建論」を唱えた人である

おおよそ以上のような事情がわかった
この論争は100年にわたって続いたという

60年も前になる学生時代
日本建築史で説明を聞いた記憶が蘇った
いま思うと、教授の説明に相当熱が入っていた

その後、戦後の建物解体修理等に伴う発掘調査の結果
現在では「再建説」に決着しているという


気まぐれな法隆寺訪問で ウォーナー塔を訪ねたばかりに
思いがけなくも、太平洋戦争終戦前後の米国人評価の事情
法隆寺西院伽藍の建築論争のことまで知ることになった

以前ならたくさんの資料をあさる必要があったが
今はインターネットのおかげで、簡単に資料の入手が可能
インスタント学問には実に便利な時代である






Last updated  2020/02/29 06:08:57 PM
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ひろみちゃん8021@ Re:蜻蛉(せいれい)の滝(吉野郡川上村西河)(08/14) New! こんばんは(^^) 滝は 神が宿る場所なの…

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