カテゴリ:日常生活
「断捨離あれこれ」という課題で書いた ****** 「食器戸棚の処分」 母が使っていた食器戸棚が裏庭の庇の下に残っている。母が死んで7年、その前の介護生活5年、併せて10年あまり使っていない。〈処分しなきゃ〉と、思いつつそのままになっている。裏庭のことであり、往来にじゃまになるわけでもなく、他人の目につくわけでもないのを良いことに放置していたのである。戸棚や食器類に愛着があるわけではなく、単に自分の怠惰な性格のせいである。 日常生活では期限があるものや、どうしてもやらねばならないと思うことに優先順位を置く。毎日の暮らしに差しさわりのないことはどうしても後回しになるのが常であり、この食器戸棚の処分などはその一例である。 今回は、特にこれといったきっかけがあったわけではないが、突然理由もなくやる気になった。気まぐれ? あるいは衝動? 自分でもよくわからない。 先々週、まず中身の食器を段ボール5箱に詰めて市の粗大ごみに出した。続いて先週、戸棚本体を有料の大型ごみに出した。費用(証紙)は600円だった。 戸棚は幅1メートル20センチ、高さ1メートル70センチ、上下二段に分かれるタイプである。食器を段ボールに詰めるのはカミさんの手を借りた。戸棚を裏庭から表に出すのはムコドノに手伝ってもらった。大型ごみの指定場所までの運搬は、向かいのご主人に軽トラックを出してもらった。作業を通じて、モノを処分するということは大きなエネルギーが必要だと痛感した。 他人(ひと)から見れば大したことではないかもしれないが、長年の懸案が一つ片付いたのだ。やるまでは面倒だけれど、やってしまえばスッキリする。こういう時の達成感は大きい。気分がさっぱりしたところで、《断捨離》ってどういう意味なのだろうと気になった。早速webサイトで調べた。 断捨離とは、モノへの執着を捨て不要なモノを減らすことにより、生活の質の向上・心の平穏・運気向上などを得ようとする考え方のこと。2009年刊行の『新・片づけ術「断捨離」』(やましたひでこ著、マガジンハウス)により提案された。断捨離はヨガの「断行・捨行・離行」から生まれた言葉で、「断」は入ってくる要らないモノを断つこと、「捨」は家にあるガラクタを捨てること、「離」はモノへの執着から離れることを表す。(後略)―コトバンクより― なるほど、わかりやすい説明である。一種の人生論でもあるのだ。著書は発売7年後には累計300万部を突破したという。断捨離イコール不要なものを捨てる、くらいにしか考えていなかったボクの理解は、間違いであった。 しかし、恥ずかしながら我が家にはまだ不要なものが山ほどある。納戸にある図体の大きい布団箪笥、母のベッドや衣装箪笥などの有難くない遺産である。親の年代の人達はとにかくモノを捨てなかった。なんでも取っておくというのが身についていた。モノのない不自由な時代に育ったのだから仕方がないのだろう。 入ってくる要らないモノを断つこと(断)、モノへの執着から離れること(離)も大切だが、我が家の場合は、とにかく家にあるガラクタを捨てること(捨)から始めるのが先決である。しかも今やらないと、歳を重ねるごとに気力と体力はなくなり、作業はますます億劫になってくるのは目に見えている。必要なのはやる気だけ。(2021年9月) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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