カテゴリ:日常生活
「テレビと食事」
テレビに関して一つこだわっていることがある。それは食事中にはテレビを観ないということである。そういうことを意識したのは結婚して家庭を持つようになってからのことだ。そのために食事をする部屋にはテレビを置かないようにした。テレビがあればつい観たくなることだってあるから。 そもそも食欲と性欲は人間の二大本能である。だから食事とセックスは人間にとっては極めて大切で、特別な行為なのだ。それなのにテレビを観ながらの食事なんてもってのほか、と言いたいところだが、そんな大それたことではない。せめて食事中くらいテレビを観ないようにしようというだけのことである。 食事は、目と鼻と舌で楽しむ。会話やBGMも食事を楽しむ要素であるから耳も必要になる。しかしテレビはいけない。食事に必要なこれらの感覚とは別に、目と耳の二つを必要とする。だから気が散るのである。 二人の子どもたちが小学生くらいになるとブーイングが出たが、そこは頑固オヤジで押し通した。紅白歌合戦であろうと、オリンピックであろうと、変わりはない。どうしても見たい番組と食事時間が重なれば、食事の時間をずらせばよいのだ。録画という手だってある。 結婚した息子や娘の家を訪ねると、どちらも食事場所にテレビを置いている。さすがにそれに対して口をはさむことはない。多分頑固オヤジのもとで育った反動ではないかと想像している。 しかし弟たちの家、いとこの家、友人の家、近所の家、どこを訪ねてもほとんどの家はテレビを観ながら食事をしているのが実情だ。 私も三十代から四十代前半にかけては、かなりの時間テレビを観ていたが、それ以降はテレビ離れをした。観なければ観ないで済むし、その時間は別のことが出来る。 テレビを観るというのは受け身であり、言ってみれば楽な行動である。人間はもともと楽をしたいという気持ちを持っているが、楽ならよいのかと言えば必ずしもそうではない。暑い季節に山歩きをして汗を流すのと同じで、人は身体がきつくても満足感を求めて行動するのである。楽をしたければ家の冷房の効いた部屋でテレビを観ていれば良いはずなのに。 ところでカミさんは、昨年の冬から食堂は寒いといって、昼食だけは居間の掘りコタツでとるようになった。それもテレビを観ながら。しかし結婚して五十七年、一緒に暮らした相手だ。もうこれからは、したいようにしてくれて結構である。(11月22日・いい夫婦の日に) 今日23日は定例のエッセーサークルの日 今回はテレビに関する話を書こうと 三日ほど前から始めたが一向に進まない ところが〆切に近い昨日の夕方になって 突然うまい具合にアイデアがひらめいた そしてなんとか今日の会合に間に合った 今回もまた滑り込みセーフ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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