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カテゴリ:ブックレビュー
いよいよ最終巻となる第10巻となりました。
この巻では、物語のなかで印象深いエピソードがいくつかあります。 まず一つ目が、ヘンな日付がでてくるところ。 それはこんなやりとりの中から登場します。 そのような敵といかに戦うか、ユリアンが中央司令室で考えていると、ともに戦うべきたのもしい味方がふたり、間を置いてはいってきた。最初に「永遠の撃墜王(エース)」オリビエ・ポプラン中佐がユリアンに話しかけると、やや遅れて現れたダスティ・アッテンボロー中将が、いやに愛想よくポプランの肩をたたく。 「何をうれしそうにしているんです。気色悪い」 「お前さん、今年、ついに30歳になるんだろう。いよいよお仲間だな」 悦に入った声を耳にして、オリビエ・ポプランは、陽光の踊るような緑色の瞳に皮肉っぽいきらめきをたたえて、僚友をながめやった。 「誕生日が来るまで、おれはまだ20代の若者ですからね」 「いつが誕生日だ」 「15月36日」 「せこい嘘をつくな!悪あがきしやがって!」 耐えきれず、ユリアンは笑い出した。 シェーンコップ同様、自由惑星同盟・・・というか、ヤン艦隊の漁色家(ぎょしょくか)の一翼を担うポプランは、この年に30歳の大台を迎えてしまいます。それを嫌がってのことですので、おもわず苦笑いするほかありませんね。 もうひとつは、ラインハルトの妻であるヒルダが滞在する柊館(シュテッヒパルム・シュロス)が地球教徒によって襲撃・炎上する事件のもの。 炎上している柊館で指揮をとっていた上級大将で憲兵総監をしていたウルリッヒ・ケスラーは、リスのようなすばやさで兵士たちをすり抜けてきた人影を目の当たりにします。その襟首を捕まえると、17歳ぐらいの黒っぽい髪と瞳をした、繊細な顔立ちの少女でした。 どうやら皇妃ヒルダと大皇妃アンネローゼの世話をしていた近侍であったようで、名前をマリーカ・フォン・フォイエルバッハといいます。 二人のために買い物に行っていたようで、ケスラーを 大佐さん と呼んで救出の依頼をするのです。 どこに二人がいるのかを尋ねたケスラーに対し、小首をかしげて考えこんで数瞬の後、「大佐さん」の手をつかんで裏庭へ引っ張り、白い煙がたちこめはじめた2階の角部屋を正確に指さします。そこに二人がいるようなのです。 ケスラーが士官たちに指示を与えていたさなか、少女が両手の指を組み合わせながら、 ホクスポクス・フィジブス、ホクスポクス・フィジブス という、奇妙な呪文をとなえるのを見ます。 それに気づいた少女は、「祖父から教わった呪文だ」とのことで、ケスラーに教えるのです。 銃をかまえる男を発見するやいなや、 ホクスポクス、以下省略! と言いつつ狙撃するのです。 炎上する柊館からヒルダとアンネローゼを救出した後、ヒルダは無事に男児を出産します。ケスラーと少女は踊りながら祝福をします。 後に、少女はケスラーの夫人となるのです。 最後はユリアンとカリンのやりとりです。 「たったそれだけなのね、考えてみると」 「そう、たったこれだけ」 私がかつてアニメ版を見た時に、ラインハルト崩御(※)直前に、ユリアンがラインハルトに対して憲法ならびに議会の設置を要請したのか・・・と思ったのですが、実際には、旧自由惑星同盟の領地であったバーラト星系が、銀河帝国によって帝政となっていたものを民主主義に戻した・・・ということになります。 ハイネセンが命がけで銀河帝国から逃れて蒔いた種を、長い時間をかけて成長させて、ようやく花を開き、実として実現できたわけです。そこまで来るのに、どれだけの時間と血が流れたか・・・感慨深いものがあります。 ・・・ 謀反を起こしたロイエンタールの後釜として、オーベルシュタインが新領土総監に就任した。 ただ、オーベルシュタインの発言は、しごく正論であるのだが、私情をはさまない冷徹な態度であるため、時に反発を生み出すことにつながるのである。 そんなオーベルシュタインは、共和制の考えを抱くもの、そして元自由惑星同盟に関わった政府ならびに軍の関係者を逮捕・拘束するのである。いわゆる「オーベルシュタインの草刈り」である。 ラインハルトだったら絶対にやらないことをオーベルシュタインはやってのける。しかも、ラインハルトの代行として。さらに、「100万の将兵の生命をあらたに害(そこな)うより、1万たらずの政治犯を無血開城の具にするほうが、いくらかでもましな選択と信じる次第である」とも。 これに激怒したビッテンフェルトはオーベルシュタインに殴りかかる。その結果としてビッテンフェルトは謹慎することになったのである。 それと同時期に、ビッテンフェルトが指揮する「黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)」の士官グループが、女を連れ込んで酒場から出て、なおかつ酒瓶に軍務尚書の名を書いて蹴飛ばしたのである。それを見た憲兵が威圧的に取り締まったのだが、相手側は反感を抱き、反論から乱闘へと発展したのである。 そんななか、オーベルシュタインはイゼルローン共和政府に対し、政治犯ならびに思想犯の解放を欲するのであれば、イゼルローン共和政府および革命軍の代表者の出頭に応じるようにしたのである。 ところが、これで逮捕された政治犯が収容されている刑務所で襲撃が発生した。地球教徒がおこしたものであったのだ。 この事件に関わった地球教徒を徹底的に検挙したのだが、そのなかにルビンスキーの愛人が含まれていた。それと同時に、ルビンスキーの所在も判明したのであった。 これに乗じて、ユリアンはハイネセンに移動中であるラインハルトに直接会うため、武装してラインハルトの旗艦であるブリュンヒルトに乗り込むのであった。 ・・・ 冒頭のところで、 たったこれだけ ということに関して話をしたのですが、その後でこんなことが書かれています。 たったこれだけのことが実現するのに、500年の歳月と、数千億の人名が必要だったのだ。銀河連邦(USG)の末期に、市民たちが政治に倦(う)まなかったら。ただひとりの人間に、無制限の権力を与えることがいかに危険であるか、彼らが気づいていたら。市民の権利より国家の権威が優先されるような政治体制が、どれほど多くの人を不幸にするか、過去の歴史から学びえていたら。人類は、少ない犠牲と負担で、より中庸(ちゅうよう)と調和をえた政治体制を、より早く実現しえたであろうに。「政治なんておれたちに関係ないよ」という一言は、それを発した者に対する権利剥奪(はくだつ)の宣言である。政治は、それを蔑視した者に対して、必ず復讐するのだ。ごくわずかな想像力があれば、それがわかるはずなのに。 この一文は、この物語を改めて読んでいた私の中で、かなりズシッとくるものがあります。 正直言って、私は政治というものには嫌なものを感じます。 テレビで放送されているニュースはともかくとして、国会中継を見ていると、そこに「茶番劇」を見いだしてしまうのです。 時には、政治が国民をバカにすることだってあるのです。確かに、日本国憲法で「公共の福祉」というものがきちんと規定されていますから、「反対だ!」と唱えている側のほうが、実は「違憲」だった、というのもあったりするのですけれども・・・。 そんな日本の政治を見ていると、「本当に国民のためにやっているの?」なんて思ってしまったりします。 とはいうものの、だから政治に無関心・無頓着になっては絶対にいけない・・・と、この物語では警鐘を鳴らしているのです。 権力を得る、私腹を肥やす・・・そんなものが政治のひとつの要素であってはほしくないです。 「政治」って、いったいどういうものなのか? 私は決して政治家になることはありませんが、「政治」というものはどういうものなのかを、これからジックリと考えていきたいです。 それともうひとつ。 この一文では、過去の歴史を教訓として捉えて学ぶことの大切さが書かれています。 実は、同じ著者の「創竜伝」シリーズという、いまでいうならラノベ調の長編小説があるわけですが、そこでもこのことに触れております。 私は、この物語を改めて読み始めた時点で、著者が言いたかったことを看破できたのではないか・・・と、自画自賛してしまっております。 とはいうものの、これは自惚れも甚だしいですね。この芸当ができたのは、数多くの著者ならびに数多くの分野の本を、数多く読んだうえで、あれこれと思いふけったからこそできたものです。 これからもさらに数多くの本をむさぼり読んで、謙虚な姿勢で、さらなる精進を重ねていく所存です。 決して、「口先だけの政治屋」のような輩にならないためにも。 田中芳樹著「銀河英雄伝説10〜落日篇〜」徳間書店刊 1987年 ※・・・この物語において、ラインハルトの死のことを「逝去」と表現しています。これは、昭和天皇が崩御される前に発表されているからこそだ・・・ということで、非常に興味深いものがあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.11.18 13:46:19
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