堕天使のトリック

2008/07/16(水)23:59

文氏の異常な聖書解釈の背景

文氏の教え(統一原理)は何故、一般のキリスト教とあまりに違うのでしょうか? それには朝鮮のキリスト教事情が影響しています。 初期朝鮮キリスト教(プロテスタント)の第一人者は吉善宙牧師で、1907~1910年の3年間、復興運動の中心人物として貢献されました。 早天祈祷会は吉善宙牧師が始めたもので、今日では韓国の全ての教会で行われるようになったそうです。 吉善宙牧師は黙示録を重要視し、末世論を説き、主の再臨と世の終末を強調しました。 キリスト教は、朝鮮の近代化に重要な役割を果たしました。 1910年頃には新しい西洋的な新教育制度導入し、キリスト教系の学校を709校創立。 1920年頃までに全国24の主要都市に西洋の現代医術を導入した病院を設立。 正統的なキリスト教団は朝鮮社会の近代化に貢献し、信徒もみんな熱心でしたが、当時の朝鮮ではキリスト教の出版物が少なく、正しい神学知識が不足していました。 1920~1930年は経済的に厳しい時代であり、神学的知識が不足する中で、熱心な者たちが次々に小さな教団・教派を作り、「再臨の主が来られて世直しをされている」「私こそ再臨のイエスだ」と主張し、それらは神秘神霊主義教団と呼ばれ、その代表的人物が李龍道(1900~1933)でした。 李龍道は監理教の牧師で、ヨハネの福音書を愛し、愛を説き、愛に生き、全国各地に伝道旅行をしました。 彼は誰にでも学ぶべきであるとの主張で、仏教の経典や社会主義からも学び、サタンからも学ぶべきであると説きました。 民族の悲運と苦難の十字架を説き、「イエスに狂え」と説き、自らを苦難のキリストと同一視する過ち、神秘主義に陥ってしまいました。 李龍道は1933年肺結核で、33年の生涯を閉じました。 ○神秘神霊主義教団(イエス教会) 1933年、白南柱、李龍道、李浩彬が「イエス教会」を新設します。 代表者は李浩彬、所属していた教会は40カ所。 文氏もイエス教会所属の明水台教会に通い、後に李浩彬牧師の主礼で最初の妻、崔先吉さんと結婚します。 白南柱や韓俊明が、接神女(霊媒師、いたこ)の劉明花や李維信と交わり、神託にかこつけた降神劇を行った事が、混淫事件として社会問題になり、接神派と呼ばれました。 すると今度は、金聖道を中心に「聖主教会」を作ります。 ○金聖道(聖主教会) 1935年、金聖道を「新しい主」と呼んでイエス教会と関係を持っていた、鉄山の聖主教会でも混淫事件が起こりました。 金聖道の教えは、1923年4月2日に空中の門が開かれ、天上に上り神様と一問一答されたと言うもので、以下の内容でした。 1、罪の根は何であるか。原罪の根は、果実を取って食べたことにあるのではなく、淫行関係によって堕落したのである。 2、イエスは十字架で殺されるために来たのではない。 3、再び来られる主は、雲に乗って来られるのではなく、肉身を持って来られるのである。 4、再び来られる再臨主は東方の日出ずる国、朝鮮に来られる。 統一協会そっくりですが、これらは神秘神霊教団に共通している教理です。 金聖道(聖主教会)―鄭錫天(長男)―鄭壽源(孫、36家庭) 李一徳(聖主教会平壌教会長)―許孝彬(妻) ○李一徳と妻の許孝彬(腹中教) 主が許孝彬氏の体に臨まれる。 神の子イエス様の苦労をお慰めする。 再臨主の服を準備する。 洪順愛さん(韓鶴子さんの母)は29歳まで李龍道派の聖主教・腹中教の教えに従い、その後で統一協会に通うようになります。 洪順愛さんの証しでは、統一教会の教えは聖主教団、腹中教で聞いた内容と似ていたそうです。 <李龍道・黄国柱との出会い> 19歳になった年に、李龍道牧師が新しい役事を起こし始めたのですが、私も三日間恵みを受けました。また同時に、李龍道牧師と同じ復興師であった黄国柱氏が人々に多くの恩恵を与えました。黄国柱氏の一派は、五十余名でしたが、間島から始まって新しい役事を起こしながら、韓半島を巡回していました ・・・私は黄伝道師の妹からも大きな感銘を受けました。・・・ <新イエス教> 新イエス教会は、黄国柱氏と李龍道牧師ら恵みを受けた人たちでつくられており、既成教会からは異端として追われた教会だったのです。・・・・ <聖主教> 友達に知らせれば 「あなたは新しいものがあると言えば、また行く」と反対されそうなので、友達には知らせずに鉄山に行きました。・・・そのおばあさんは、聖書も正式に学んだことのない人でしたが、説教も立派にされたのです。」 <統一教会へ入教> 私は新しい宗教をいつも探していたので、その時は統一教会に触れた時でした。 原理を読んでみると、自分が腹中教で学んだ同じ事が書いてあるのです。それでこれを書いた人は普通の人ではないと思い、カムサハルモニのお兄さん(丁長老)に会ったら「統一教会は私が腹中教で教えてもらったことと同じことを言っている。この中心者は若い青年で、美男子で、流行歌をよく歌うし、映画もよく見に行くし、人の悪口もよく言う」と言うのです。私が「その方は来るべき方ではないのですか?」と聞いて、統一教会の食口になりました。 私が統一教会に入ってお父様に会う前に夢を見ました。それは東の方から流れる水の中に白い砂が見えるのです。その水の中から亀甲船が出て来て、それを聞くと金の龍が飛び出て、私の懐に納まってしまうのです。びっくりして目を覚ましましたが、それがメシヤの象徴であるとは知りませんでした。 (洪順愛ハルモニの証し「愛の世界」韓鶴子著より) 洪順愛さんは新しいもの好きなのか、当時異端と呼ばれた教団を渡り歩いたようです。 そして神秘神霊主義教団の教義はどれも似ていたのです。 ○黄国柱(一元的熱狂神秘主義) 黄国周氏は、満州の龍棹から恩恵を受けたといい、その父や姉たちをはじめ数多くの婦女子たちが、新しいエルサレムに行くと言って、出ていった。黄国周氏は満州での百日祈祷中、髭を長く垂らし、髪を伸ばして、イエスのような風采を装い、イエスの血が分かれて自分の中に入ってき、首もイエスの首と代わったのだと言った。説教においても、祈祷においても、最近の有名な復興師の比ではなかった。黄国周の顔はイエス様の写真と酷似していた。そのため、従っている人々は、彼をイエス様だと言った。黄国周氏の祈祷と説教には、感動して陶酔しない者がなかった。しかし、黄国周氏は一年足らずでぼろを出した。男女が一つ場所で間食間寝し、当時の安州老会から調査団が来て問責した時、我々はヨルダン河を渡ったのだから男女間の性問題は超越したのだ、と大声で叫んだ。その後、元山の某幼稚園の保母と大罪を犯し、逃亡した。当時キリスト新報には、「イザベルのような群れを警戒せよ」と、大見出しで社説に記載したことがあった。黄国周氏はすぐに三角山に祈祷の場所を置き、首分けと血分けの汎性欲的原理を実際に教えたと伝えられる。 http://plaza.rakuten.co.jp/retreatcenter/diary/200711200001/ 多くの神秘神霊主義教団の教主が「再臨のイエス」を名乗り、王のように振る舞い、熱狂的な女性信者との間に不適切な関係を持ち、世間を騒がせたようです。 自らの不貞行為を正当化する為に「首分けと血分けの汎性欲的原理」と言う教義を作ったのでしょうか?(笑) 統一協会では「血分け(ピガルム)」は、反対派が統一協会を陥れる目的で造った言葉だと主張するのですが、統一協会以前から「首分け」とか「血分け」とか「原理」と言う言葉はあったようです。 それにしても黄国周が「満州の龍棹から受けた恩恵」とか、洪順愛さんが「李龍道牧師から受けた三日間の恩恵」とは何のことなのでしょうか?(笑) ○神秘神霊主義教団の主な人物 李龍道 白南柱 黄国柱 李浩彬 金聖道 金百文 羅雲門 朴泰善 朴雲女 その他 文氏は1945年10月にイスラエル修道院を訪ね、やはり再臨のイエスを名乗ったと言われた金百文の教えを受けます。 ○韓国の動乱期に興った異端 統一協会運動(1954年)   文鮮明 龍門山祈祷院運動(1954年) 羅雲門 伝道館運動(1955年)    朴泰善 ○現代の統一系分派カルト JMS(摂理) 鄭明析 ウ・グループ 禹明植 天宙統一真の王国連合 中山芳子 その他、実に多くの人物が、我こそは再臨のキリストであると名乗り、一派を興して世を惑わしました。 偽キリストを生み出した背景としては、日本支配と経済的貧困から救ってほしいという、救世主待望論が根底にあったのでしょう。 そんな時に目の前に現れた「再臨のイエス」を自称するカリスマを、神学的無知と強い思い込みで熱狂的に支持したことが、韓国キリスト教界に異端やカルトが多く生まれた理由かもしれません。 参考文献 「韓国キリスト教会史」 閔庚培著  「韓国キリスト教神学思想史」 柳東植著

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