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今日は、国東半島に位置する豊後高田昭和の町のご紹介です。(地図上の赤い旗の位置)
豊後高田の商店街は、江戸時代から昭和30年代にかけて国東半島一賑わっていましたが 低迷・・・
その後、平成13年に商店街が元気だった昭和30年代の賑わいをよみがえらそうと町づくりに 着手し、誕生したのが豊後高田「昭和の町」です。
新町通りの町並み ← クリックで大きい画像 それでは、豊後高田昭和の町のひとつ、新町通り商店街を歩いてみたいと思います。
昭和の町のお店では、その店に代々伝わる商品を一店一品として販売されています。
昭和の町のお店では、その店の歴史を物語る昭和のお宝を一店一宝として展示されています。
昭和の町のお店では、その店が建てられた頃の昔懐かしい昭和の建物に再建されています。
昭和の町を歩いていると、町並み全体が昭和の博物館のようです。
ハイカラな旧共同野村銀行です。
大相撲で69連勝した双葉山は、豊後(宇佐)の人だったのですね。 生きていらっしゃれば100歳か~・・・
出会いの里!? 覗いてみましょうか・・・
なんとなく出会いがありそうな雰囲気ですね・・・
昭和の街中を走るボンネットバス、お店の人たちがバスに乗った観光客に手を振っています。 昭和の町のお店では、客と目と目を交わし、心と心を交わす昭和の商人を再生されています。
こちらは昭和ロマン蔵です。 昭和ロマン蔵は、明治から昭和にかけて大分県きっての大金持、野村財閥が昭和10年頃に米蔵 として建築したものを活用し、駄菓子屋の夢博物館や昭和の絵本美術館などになっています。
駄菓子屋の夢博物館です、覗いてみましょう・・・
この奥は、小さなお子さん連れのお母さんたちでいっぱいです。 身動きが取れないくらいの感じですので、この先は遠慮しましょうか・・・。 豊後高田昭和の町は活気があり、歩いていても楽しい街でした。 豊後高田昭和の町を散策後、臼杵石仏(国宝)のある臼杵市へ向かいましたが、この日は、 臼杵石仏の火祭りの日で、交通規制が行われ残念ながら車では行くことが出来ず、日を 改めることにしました。 豊前、豊後の旅、まだまだ続きます。
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