2005/04/22(金)07:25
こーかんにっき
何十年ぶりかに、交換日記なんぞをすることにした。
きっかけは、今日のズーニーさんのコラム。
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もっと言えば、たくさんの人が、
「自分への理解の言葉」に飢えている。
理解を注いでほしいところに、
必要な理解が、「言葉」として注がれない。
それが、「寂しさ」となり、
それが、つもって、
人の判断力をくもらせ、
誤解や、すれ違い、摩擦を生んでしまう。
それが、また、「寂しさ」の種を増やしていく。
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この部分に、とても共感した。
私のまわりにいるたくさんの人たちも、「自己肯定感」や「自己重要感」を
感じることができずに苦しんでいるように思う。
そして、彼、彼女らが求めているのは、まさに「自分への理解の言葉」だと思う。
先日の人間関係のマトリックスの話の中で、Y氏も言っていた。
自分自身を認めることができない、満たされないと感じている人たちは、自分への深い理解があれば、自分の力で歩き始めることができる、と。
人はそれぞれ別々の存在なので、そうそう簡単に理解し合えるものではないかもしれない。
それぞれの人には、それぞれの想いがあって、背景があって、これまでの経験がある。
それを「わかるよ」なんて軽い言葉にはできないかもしれない。
でも、どこか一部分、その人が本当にわかって欲しいと思っている部分を、きちんと理解したいと思う。たったひとつでもいいから。
耳を澄まして、心の声を聞いて、小さなひとことを聞き逃さないように。
大切に言葉を受け止めたいって思う。
そして、ズーニーさんはこうも書いていた。
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あなたからの理解を待っている人はだれだろう?
今日、それをきちんと言葉にして伝えたなら、
それは、思うより、ずっと素敵な、
相手を生かす、まわりを変える力につながると思う。
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私からの理解を、今一番待っているのは、やはり私のチビたちだろう。
彼らに、私の言葉を伝えるために、交換日記を始めてみることにした。
日々に楽しかったこと、思ったこと、驚いたこと。
そんな日記の中に、いつか、ぽろんと大切な言葉が記されたときに、
見落とさないように、日記に綴られた言葉の向こう側をきちんと見ていたいと思う。
交換日記をしようと提案したとき、タイシとマサは、かなり乗り気で喜んだ。
けれど、カズは「ボクはいい…」とひとこと。
それがまた、カズらしいなぁと思いながら、なんとなく微笑ましい。
それでも、いつかカズからも日記が届くような気がして、
そのときを少し楽しみに待っている私もいる。