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あるけ あるけ

樹が産まれた時のこと

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予定日は2月1日だった。
検診で毎回「少し小さいけどまぁ標準の範囲だし、お母さんが小さいから
そんな大きい子は産めないね。上の子も2700グラムだったものね。
今回もその位かな。はい、問題ないです」と言われていた。
それにしても、小さい気がしていたけど・・・

12月28日。
予定日よりだいぶ早くに少量の出血。おしるしだ。
おしるしは一週間も続き、病院では「陣痛が来ると思うから、そしたら来て」と。
1月3日。
前の晩の夜中から、規則的に弱い陣痛。
3日の朝、7時になるのを待って病院へ連絡。このとき5分間隔。
「すぐ来てください」と言われ、夫を起こして病院へ。
出産に立ち会うとはりきっていたシュウは、寝ぼけていて「行かない」と。

病院に着き内診。
先生の顔色が変わったのが解かった。
随分小さいのかもしれない・・・
すぐに旦那様も診察室に呼ばれ、「今、推定体重で1700グラムくらいです。
もっと大きいかもしれないし、小さいかもしれない。
どちらにしても
逆子だし、今産まれてもすぐに小児科(nicu)がある病院へ搬送することになります。
もう少しお腹の中にいられるように陣痛止めの薬を使って入院することもできますが、
途中でまた陣痛が来た場合、赤ちゃんだけ搬送になります。
それか、このまま母体搬送と言う形で設備のある病院へ移るか。
そのほうが安全ですが、決めるのはご両親ですので。」
先生のニュアンスは「母体搬送のほうがいいですよ」と言う感じだった。
受け入れ先の病院を探してもらうことに。
比較的近くの病院は「一杯です」ということで断られたらしく、じゃ、どこにしようかと。
で、結局実家に割と近い大学病院を希望。
先生が「もう2件ことわられているので、何とかお願いします」と頼み込んでくれてその大学病院へ、
救急車で搬送されることに。
今思えば、この時、この病院を選んで本当によかった。

この時は一応陣痛止めの薬を点滴してもらっていたので、痛みもなくのんきだった。
搬送先の病院に着き、内診。「じゃ、点滴ぬきましょう」と。(@_@)
「赤ちゃんは1500グラムくらいですね。逆子だし、普通分娩は危険なので帝王切開でいきましょう。
このまま陣痛が進むようだったらすぐに出産ですが、様子を見て陣痛が遠のくようだったら、
お腹の中でもたせましょう」と。
ふぇぇ!?
どんどん強くなる陣痛。どうせ切るなら早くやっちゃって、という気分だった。
陣痛が弱くなるのを待つって、じゃこの痛みは無駄なのね・・・と。
その頃には、実家の両親も来ていて、陣痛でふぅふぅ言っている私の横で
ちょっと面白い話なんかをしている。
気を紛らわそうとしてくれているのは解かるんだけど・・・・(;一_一)

午後1時。
「随分痛そうだね、もう陣痛がここまできちゃってるので本人も苦しいでしょうし、切りましょう」
ということで急遽、手術。
内心ホッとする私。
痛みよ、さらばぁぁぁ
手術は局所麻酔で、途中で全身麻酔に切り替えてくれるということで。
麻酔が効いてきたけれど、お腹をいじられているのはわかった。
でもすぐに全身麻酔に切り替わり、意識が遠のいていった。

遠くで、赤ちゃんの泣き声が聞こえる。すごく元気だ、猫みたいな泣き方。
「お母さん、わかる?お母さん!」と。空ろながら目を開けた。
「赤ちゃん元気よ、今綺麗にして見せるからね」と。
猫みたいな声でミャァミャアと泣いていたのは樹だった。
近くで見せてもらった。

元気だ。小さくは見えない。普通じゃん。

ホッとしたのと、元気に産まれてくれた事で、涙が出た。嬉しかった。
でもすぐにまた意識が遠のいて眠ってしまった。


病室に運ばれて、気が付くと、母と夫がいた。
(父は正月早々仕事の用があり、会社へと向かったよう)
その後、姉夫婦も来てくれた。雪が降りそうな天気。
「赤ちゃん、目の大きな可愛い子よ」と母。
体重は1442グラムだという。
そんなに小さかったのか・・・と急に不安になる。
生きられるのか、障害はないのか、色々。
しばらくして夫が先生から話があるということで呼ばれた。

母も一緒に行ったのだけど、中々戻ってこない。
どんどん不安になる。ひょっとして、死んじゃった?
そんなことばかり考えていた。

しばらくして母と夫が戻る。夫だけNICUの中に呼ばれ
、樹と対面したそう。
母は、中でどんな話がされているのか不安で、
NICUの外でずっと待っていたようだった。

病室に来た夫にすぐに様子を聞く。
でも、特に問題はなく(問題らしい問題といえば「肺高血圧」位だった)、2ヶ月くらいで退院になるでしょうとのことだった。

夫がもらってきてくれた樹のポラロイド写真を見た。
小さい体に色んな機械がくっついていて、痛々しく見えた。
また涙が出た。
ごめんね、という思いで一杯になった。
私のせいだ、私のせいだ・・・。

すっかり夜になってしまって雪も降っていた。
姉夫婦は途中で帰ったけど、樹の様子を心配して実家でずっと連絡を待っていてくれた。
もらった写真を持っていってもらった。
みんなに見てもらいたくて。
夫が母を送ってくれた。家ではシュウが不安を抱えて待っているだろう。


この時はまだ、樹がこんなに沢山の病気を抱えていることを思いもしなかった。
2ヶ月経てば、元気に退院できると思っていた。


この何日か後に先天性心疾患を告げられ、
そのまたしばらく後にMcCune Albright症候群であることを告げられた。



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