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風吹けば 愛が生まれる 秋の橋 楓揺らすな 輝け栞

J-POPの黎明

 

J-POPの黎明

1970年には 相変わらず演歌や洋楽が好調だったが 単発で

 

走れコウタロー (ソルティ・シュガー) がヒット 年間26位

 

sのつかないGSとして英語の授業のネタになった(物質名詞だからね)

 

山本コウタロー は現在大学教授らしい。

 

そういえば 水虫の唄 を歌っていた人は ニッポン放送の社長になってるとか・・・・

 

この年 よしだたくろう が イメージの詩 で エレックレコード よりデビューするが

マイナーレーベルのためか オリコンのデータには残っていない

だが 深夜放送やライブでは絶大な人気があった

 

もう1人 URCレコードの 岡林信康 もアングラフォークとして

深夜放送ではよくかかっていた。

 

だから 表のオリコンチャート と 深夜放送のチャート とは

ベスト10全部が違う曲 なんてこともあった

 

そして JーPOP の時代への幕を開いたのは このころから次々と開局した

FM放送であった。サービスエリアは狭いものの オーディオブームとの相乗効果でリスナーが増え

音楽文化の発信源となっていくのである 

 

 

 

 1971年は洋楽の強かった年 オリコンチャートのベスト3を洋楽が独占したこともある

 

いわゆる”歌謡曲”も 相変わらず強いのだが、ド演歌やムード歌謡は少なくなって

POPな曲想のものが多くなってくる。(いわゆるポップス演歌と呼ばれるもの)

 

フォークはチャートにこそ現れないが、深夜放送やFM放送では人気があった

 

あの素晴らしい愛をもう1度(加藤和彦と北山修) が年間46位

(最近 FORKSONGS3 というアルバムで 中澤・後藤・藤本がカバーしている)

 

 

 

1972年はいろんな意味で本格的なJ-POP元年ともいえる年
 はじめて近代的?なフォークがチャート上位に登場する

 

結婚しようよ (よしだたくろう) 年間14位

旅の宿 (よしだたくろう)  年間4位

 

コミカルなものやアングラなものでない この曲によって歌謡曲とフォークの間の垣根は除かれ

はじめてフォークが社会的に認知された。

 

そして J-POP史上 最高のアルバムといってもよい

 

井上陽水の1stアルバム ”断絶” が発売される。

 

セールス的にはそれほど目立たなかったかもしれないが

口コミやFM放送、音楽雑誌などを通じて広まって行く

実際 このアルバムとの出会いがなければ、人生は全く違っていたかもしれない

 

(あれから28年たったがこれを上回るものにはまだ出会っていない)

 

 

 

1973年には フォークはヒットチャートの常連になった。
FM放送では、つければフォークが流れてくるようになり

洋楽と和製フォークの比率は完全に逆転した

 

学生街の喫茶店 (ガロ) 72年6月20日 年間3位

 

神田川(南こうせつとかぐや姫) 73年9月20日 年間6位

 

心の旅(チューリップ) 73年4月20日 年間7位

 

これらの曲は若い人でもきいたことがあるだろう。今もカラオケでよく歌われているらしい

 

そして 井上陽水の 3rdアルバム   ”氷の世界” はミリオンを記録するのだが

 

ラーメンが50円の時代のアルバム2000円というのは かなり高価だったから

このミリオンは500万枚以上の意味があると思う

 

 

 

当時19歳だったわけですが、ギターを買って自分でも曲を作るようになりました。

吉田拓郎と井上陽水の影響は大きかったです



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