迷走するハロプロ 1997年~2000年1997年にシャ乱Qロックオーカリストオーディションの落選者5人からモーニング娘。が結成され インディーズデビューシングル5万枚の手売りを 11月30日のナゴヤ球場で達成し 1998年の1月28日にモーニングコーヒーでメジャーデビュー 2ndシングルで2期生3人が加わり 3rdシングルで最優秀新人賞を受賞 派生ユニットのタンポポもデビュー そこまではすべてが順調でした。 1999年になるとちょっと微妙で 福田の卒業 と カントリー娘。柳原の事故死 でもメンバーの卒業はある程度想定内だし 事故はあくまでも事故 それにこの2つはブレイク前のできごとです。 9月に3期生後藤が加入してLOVEマシーンの大ヒット 派生ユニットのプッチモニが結成されて デビュー曲のちょこっとLOVEが大ヒット ブレイクの年だったとも言えます。 となると迷走を始めたのはやはり2000年 まず石黒の卒業 卒業そのものは問題ないです。 興味のあることができたので進路変更 みたいな理由だったですが そのあとの行動を見ると寿退社っぽい。 それも別にいいんですが 結果的に 前例をつくった ことが後に影響します。 そして娘。本体には影響なくても 派生ユニットのタンポポに大きな影響がありました。 結局これが後のハロマゲドンにつながっていきました。 あか 青 黄 の三食ユニットについては 当時から肯定的にとらえてました。 むしろ生き残れた要因のほうにあげるべき 4期生の加入はやや微妙 卒業加入あってのユニットながら 2人の12歳メンバーはいろんな影響がありました。 もちろんプラスの影響が大きく 低年齢層にも支持が広がりましたが 大変なこともいっぱいおきました。 低年齢のメンバーを指導しきれるだけの力量が スタッフのほうになかったのかもしれません。 ファンサイトは荒れ始めました。 同時に常連の低年齢化に サイト管理者がついていけなかったこともあるでしょう。 そして市井の卒業 これも卒業後の行動に問題が多すぎました。 この年の夏の日テレのハワイ特番 覚えている人いるかな 2000年4月 種よ ひとみの希美の喜びよ 開設 2000年6月 希美の光 独立 ジャンル別一覧
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