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カテゴリ:子供・献血・白血病
今日は友達が会社近くの病院に子供を連れてくるって事で、お昼に会う約束をしてたのだけどすっかり忘れててお弁当を詰めてきた私・・。で、もう5分で食べて(笑)急いで会いに行ったのです。
子供はアトピーで通ってるんだけどだいぶ良くなったみたいで元気いっぱい!写真を撮ろうにも動くのでなかなかいいショットが撮れなかったのです。卵や牛乳、大豆のアレルギーがあるとの結果が出たみたい。他に小麦とか。子育ても大変だけど今は8ヶ月・・これからいろんな食べ物を口にするときに気をつけなきゃいけないことが多いとさらに大変だ~。。 私にも子供がいました。先日、2年前の離婚について色々書きましたが、一番の大きな原因は・・子供が亡くなったことだと思います。今日会った友達は3年前、病院で知り合ったのです。その2001年の春、私の子供は「急性骨髄性白血病」と診断されて入院しました。まだ2歳2ヶ月のことです。ですが友達の子供はまだ1歳になる前に「急性リンパ性白血病」にかかり、うちの子の1カ月位後に入院してきたのです。彼女の子供も亡くなりましたが・・2歳の誕生日を迎えることはありませんでした。 私の息子は2歳9ヶ月と15日で逝ってしまいました・・。 日記にはいずれ書こうと思ってましたがなかなか踏ん切りがつかなかったのです。今の私の生活からは考えられないことですが、子供のことを思い出さない日は1日もありません。 幼児には付き添い入院をしなくてはいけません。そこで彼が仕事を辞めて日中付き添うことになりました。彼はちょうど転職を(長崎の方に面接に行ったとこだったのです)考えていたこともあるし、子供の保険は私の方に加入していたこともあって、夜は私が付き添うという形で入院生活が始まりました。 仕事が終わって私は一端うちに帰りシャワーを浴びて晩ご飯も取る(または買っていく)。そして病院へ電車とバスを乗り継いで向かう。病院に着くと彼は帰り、私は子供と添い寝する。朝が来たら朝食を食べさせて出勤・・通勤の電車も違う。そして仕事、うち、病院・・。 一番辛いのは子供なのに親同士はそのうちすれ違って喧嘩・・。病室にはほとんどが母親が付き添ってましたから彼も負担を感じていたことでしょう。同じ時間を過ごす事がほとんどないわけですからすれ違って当然だったのかもしれません。相手のために努力する・・と言うことにも欠けていたかもしれません。その時期、私のお父さんも入院、手術したり、おじいちゃんも亡くなって・・。厄年・・ということを考えて(前厄でした。)お払いにも行きました。だけど子供が亡くなり、お互い努力しようと引っ越しもしたりしたのですが・・以前に書いたようなことが結局くすぶって・・別れることになってしまったのでした・・。 父親は結局ガンで、すい臓や胃や胆のう、胆管など切って手術は成功して今に至る訳ですが、手術時期と私の仕事が忙しいのと子供が移植前・・ということもあり・・多分私は軽いうつ病になってたと思います。疲れてるのに眠れないし。 せっかく子供が一時退院でうちにいたのに・・どこにも連れて行ってやれませんでした。今でも心残りです。 その時、病室には4人の子供が入院してて、3人は亡くなったわけです。もう一人は今生存してるか・・連絡を取っていないのでわかりません。その子は再発で入院してましたが兄弟からの移植がうまくいった様子で回復も早かったみたいです。 白血病になる原因が突き止められていない現在、一番有効な治療はやはり骨髄移植です。多くの方が骨髄バンクに登録してくれることを祈ってます。 子供のことについてはこれからもう少し色々と書いていきたいと思います。写真も載せれたら・・と思いますが。 今日は休肝日です。アルコール抜きで寝ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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