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留学してからの2年間を振り返ってみると、頭が良くなったとは特に思えないが、人間的には結構成長したような気がする。もちろん、まだまだ発展途中なので未熟なところはたくさんあるが。
今日は寮に住んでいるMBAクラスメートに、明日の面接のために模擬面接をやってくれと頼まれた。彼は荷物を運ぶのを手伝ってくれると約束してくれたのに前日にいきなり「手伝えないから」とドタキャンしたり、その他にも感じ悪いことがいろいろあった。私は基本的に約束を平気で破る人とは関わりあいたくない。以前は親友だと思っていたが、そういうことが何度かあってから、殆ど接することがなくなっていた。模擬面接を頼まれたときも「私が困っていたときには平気で見捨てたのに、こういうときだけ利用しようとするんだな」と思った。私も疲れているしやらなければならないこともたくさんあるので、一瞬断ろうかなとも思った。が、やはり、そういう考えはよくないと思い直し、2時間ほど模擬面接をやってあげた。こういうときは「宇宙銀行に預金しているんだ」と考える。もっとわかりやすい言葉で言うと「徳を積む」。Give&Takeの考え方だと全く割に合わないのだけど、それでも自分で出来ることは一生懸命してあげる。そうすれば、廻りまわって、自分に返ってくるはず。そういう風に考えると、自分に辛くあたった人にも親切に出来るし、随分ずうずうしいお願いだなと思っても、できる限りのことはしてあげようという気分になる。 2時間みっちり模擬面接をしてあげたら「とても助かった」と感謝された。その後、しばらく雑談する。こうやって普通に会話するのも久しぶりだ。「新しい彼女ができたんだ」と嬉しそうに話し出す。以前の私だったらショックを受けたり、周りの皆が次々と恋人を作って楽しそうに過ごしている光景を見て、「何で私だけ。。。」と落ち込んだと思う。バークレーに来てからそういうアップダウンを何度か経験して、今は何とも思わなくなってきた。いや、全く何も思わないと言ったら嘘になるな。やはり「何で私には出会いがないんだろう。。。」と、ちょっとは落ち込む。以前はさらに「私には人間として女性として魅力がないから恋人ができないんだ」と自分で理由をつけてさらに落ち込んでいた。逆に他人から賞賛されると「私は魅力的なんだ」と思う。つまり、自分の評価が完全に自分の外である他人に依存していた。自分で自分のことを認めることができず、他人に賞賛されれば「魅力あり」、そうでなかったら「魅力なし」と判断していたのである。こういう状態だといつも他人の目が気になるし、落ち込むことが多かった。今は「人は人、自分は自分」と言い聞かせ、「私の魅力は私がいちばんよくわかっている。周りがどうであれ、私は人間としても女性としても魅力的なんだ」と自分で自分を認めてあげるように努力している。努力している、というのは、まだ完全にはできていないからなのだが、3歩進んでは2歩下がるようなペースで、少しずつ前に進んでいる。 周りの友達は、皆恋人と別れてもその後すぐに新しい恋人ができて、何でそんなに出会いがあるんだろう?何で私はそういう風にいかないんだろう?と不思議に思うときもあるのだが、Don't be impatient。こうやって少しずつでも前に進んでいれば、きっと素晴らしい人に出会えると信じよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年02月18日 17時32分31秒
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