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今日、話した客のうちの一人は、昭和8年生まれの女性。
尋ねてもいないが、彼女は話し始めた。自分の身の上話を。 21歳のとき、胃がんで胃を4分の3、切ったらしい。 がん、というのは、少し前までは、高い確率で死に至る病気として知られていた、というのは、聞いたことがある。 彼女は、自分ががんであることを人に長い間話せず、ずっと独身で生きてきたそうだ。 話を聞くうち、彼女にとって、病気がコンプレックスである、ということがひしひしと伝わってきた。 それでも、時間がたつにつれて、だんだん人にいろいろなことを話し、また人から話を聞くうち、病気のことも話せるようになったらしい。今では、久しぶりに会った知人から「あらまだ生きてたの?」と言われても笑っていられるようになったそうだ。 なんだか、未来の自分を見ているような気がしてきた。 彼女は今は岡山市内のマンションに一人で住んでいると言っていたが、うちの職場まで一人で来て、しかもエレベーターがないので杖をつきながらも階段を上がり、わたしのいるフロアまで来ている。元気なものだ。 わたしは、はっきり言って、彼女の年齢になったとき、彼女と同じくらい体力がある自信は、ない。 でも、病気がコンプレックスであることは、同じ。 誰にも理解なんてされなくて当然だし、理解してほしいとも思っていない。わたしの経験した痛みや苦しみは、わたししかわからないし、他人の苦しみもわたしはきっと理解してあげられないと思っている。 理解されない、できないということは、お互いに心を開けないということであり、踏み込んだ人間関係を築きにくい、と思っている。恋愛とか、結婚とか。 彼女のようにマンションを購入する資力は今、ないけれど、自分も彼女と同じように独身で老後と最期を迎えることになるのだろう、と予想できた。 帰りに彼女は言った。 「あなたも、がんばって生きなさい。生きるしかないのよ。」と。 「がんばって」生きる気力は、すでにないが。死神が迎えに来るのをひたすら待ち続けているわたしには、きっともうすぐ、天罰が下る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年03月11日 21時25分49秒
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