■繰り返す『か・ら・だ』、「やまい」の再発について“フッ”と思いついた。。
■なんでこんな風に考えちゃうんだろう。。でも考えるの嫌いじゃない。考えてるのが好きなんだ。日記の日付は“9日”になっているけれど本当は15日に書いている。なんでそうなのか?というと15日分の欄にはもう別の事で日記を書いてしまっていて空いてる空欄をさがしたら“9日”があったから。最近「忙しすぎて体調を崩して寝込んでしまった。」という話しを聞いたのが今日の思いつきのキッカケにもなっている。例えば忙しくて、忙しすぎて十分に体を休ませることができない状態が続いて“バッタン”と体調を崩して寝込んでしまってゆっくり休む事になってそしてまたそれまでと同じように忙しくて、忙しすぎる生活をしていたらまた同じように“バッタン”と体調を崩して寝込んでしまう時が来るのは十分予想がつく。ちょこっと無理やりかもしれないけれどとっても太ってしまっている状態の体の太ってしまっている一部を切り取ったとしてもその太ってしまっている体というのは「今まで長年積み重ねてきた生活」がその要因だったらこれまでの生活が変わらないとまた同じ状態を作り出すってなりそうな気がする。そうなるまでの時間は“長いかもしれない”し“短いかもしれない”。その時間差は『基本的に持っている体質』に影響されるもの。。。。ってなるかも。「手術は成功したけれど“再発するかもしれない”し“しないかもしれない”」という感じの言葉がなんとなく分かる気がする。お医者さんが言っている意味と私が感じる意味は違っているかもしれないけどね。“目”の栄養の勉強会によく行っていた時には白内障や網膜剥離の手術の話しをよく聞いた。顔面に強い衝撃が与えられてなってしまった網膜剥離でなく傷つけられてなってしまった白内障でもなかったらそのこれまでの生活でジワジワその素を作ってそうさせてしまっている事なら空気入れてうつ伏せのまま生活させるとかメス入れて液体取り除いて液体入れ替えるとかそういう感じの技術的な対応はやっぱり今すぐ何とかしているものでその技術的対応後の生活が今までと何ら変わらなかったなら“遅かれ”“早かれ”また同じような状態を作り出すんじゃないだろうか。白内障の手術は綺麗に見える状態を保っているのはンン年、十ンン年と聞いている。そしてそう何度もできる手術でもない。身近で「白内障の手術をしたの。すっごいハッキリ見えるようになったって!」という話しを聞くとついつい「へぇぇ。その手術受けた人の歳っていくつなの?」と聞いて手術を受けた人の年齢を確かめている自分が、、、、。(今の所なんて言ったらいいかわからないし。。この小心者め!)でも、見えるようになって本当に喜んでいるのは確かだし、、、あ。そっか。再発しないようにする事このまま見える状態を続ける為の事を話せるようになればいいんだ。もし、意見を求められた時には。____________________________身近人のおかげで白内障にかかりやすいおおよその年代を知る事ができました。そして手術を受けた人の喜び様から「見えない不便」と「見える状態」の気持ちの負担も知る事ができました。そして、自分の知っている知識を体験して確かめる事もできました。同じ意味でも内容でも話し方は“ひとつじゃない”事も気付かされました。ありがたい・ありがたい・ありがたい・ありがたい。あ。大腸でも似たこと考えちゃってます。r(*^▽^*)