|
カテゴリ:文化
生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ 富山県美術館 学芸員 遠藤 亮平
二〇二三年は、版画家・棟方志功(一九〇三~七五)が生誕一二〇年を迎える年であり、各地で宗像にまつわる展覧会の開催が予定されています。その中でも。富山県美術館を皮切りに、青森県立美術館、東京国立近代美術館を巡回する企画展『生誕一二〇年 棟方志功展 キング・オブ・ムナカタ』は、大規模なもので、棟方志功記念館や日本民芸館などから拝借した代表作に、これまで公開される機会が少なかった作品も加えて、棟方の芸術の歩みを紹介します。
木版画の巨匠ゆかりの富山、青森、東京を巡回
展覧会が巡回する富山、青森、東京各地は、それぞれに宗像が暮らし、創作活動を行った重要な場所です。青森出身の宗像は、画家を志して上京しましたが、やがて版画作品を制作するようになり、柳宗悦など民藝同人との出会いを経て才能を開花させました。やがて戦争が始まると、一九四五年に富山県の福光(現・南砺市)に疎開し、この場所で六年八カ月を過ごしています。
福光時代の傑作を公開
この福光時代は、棟方志功が四二才になる年から始まっているため、棟方自身、最も脂がのっていた時期を富山で過ごしたことになります。この福光時代は、これまでの大規模な個展では大きく取り上げられる機会は少なかったのですが、今回は、場所と宗像の関係を軸にしているため、この時代の作品を多く展示されています。注目作品を挙げればきりがありませんが、ここでは《華厳松》と《法林經水焔巻》を紹介します。 《華厳松》は、棟方が福光に疎開する前年、福光(当時は石黒村)にある躅飛山光徳寺の高坂貫昭住職の依頼を受けて描かれた襖絵です。戦争末期から戦後にかけて、棟方は版木の用意もままならない状況に置かれたこともあり、数多くの倭画(肉筆画)を描くことになりますが、この作品は、数ある倭画の中でも傑作として考えられています。寺の裏山に燃えるように咲いていた躑躅にインスピレーションを受け、棟方は襖六面の大画面に松の大樹を描きました。通常は光徳寺内の展示室で公開されているため、寺外で公開される機会はとても貴重です。また、本展では特別に裏面もご覧いただけるようになっていますが、裏面に描かれている作品は、展覧会場でご覧ください。 《法林經水焔巻》は、棟方が疎開した一九四五年に描かれた二巻からなる巻子作品で、福光駅から当時の宗像の住まいまでの約二・五キロの道のりが、棟方の説明書きとともに詳細に描かれています。当時の福光の町並みや、今も変わらない自然風景を辿りながら鑑賞すると、疎開時代の生活を疑似体験することができます。 本展は、ゆかりの場所と宗像の関係が主軸となりますが、棟方と時代、その時々のメディアとの関わりも重要なテーマとし設定しています。会場では、棟方の自画像や、棟方のデザインした包装紙、装画本、そして出演したテレビ番組など、作品に限らない幅広いメディアの資料も紹介していますので、今私たちが思い浮かべる棟方志功のイメージがどのように形成されたのかも考える機会になっています。生誕一二〇年、没後では約五〇年が経過しようとするこの年に、昭和を代表する棟方志功について認識・イメージを新たにしていただければ幸いです。 (えんどう・りょうへい)
【文化】公明新聞2023.4.5 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 15, 2024 04:00:40 PM
コメント(0) | コメントを書く
[文化] カテゴリの最新記事
|
|