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2006年06月16日
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テーマ:■雑学王■(671)
カテゴリ:神道豆知識
今日は「和菓子の日」です。
以下のような故事を踏まえて昭和54年(1979年)に全国和菓子協会によって制定されました。
この「和菓子の日」は仁明天皇の祓いの故事にちなみます。

嘉祥元年(848年)の6月16日を吉日として、仁明天皇が賀茂の社に禊を行い、年号を「嘉祥」を改元、供物をもって祭りを行い、悪疫を祓ったというものです。
16個の菓子や餅を神前に供えて、疫病よけと健康招福を祈ったといわれています。

その後、後嵯峨天皇(1220~1271年)が吉例として行ったのをはじめ室町時代には年中行事として行われるようになったことが「武徳編年集成」その他たくさんの古書に記されています。
その他、慶長3年(1598年)6月16日、天下人となった豊臣秀吉晩年の嘉祥の祝いの記録や、慶長19年(1614年)6月16日には徳川家康が嘉祥の儀をしたという記録も残っています。

江戸時代には侍臣に祝儀として嘉祥米を賜り、この日を「菓子の日」としています。
嘉祥の祝いは、諸大名から末は小鷹匠、小普請あたりまで登場し、本丸にて将軍が出座して一同に菓子を賜る儀式です。使われた菓子は、饅頭、羊羹、うづら餅、志んこ、あこや、よりみず、きんとん、いただき、白団子、干麩、のし餅などで、桧葉を敷いて盛られました。

明治のころは、素土器皿に桧葉を敷き、七種の菓子をのせ、大奉書でひし形に包み、紅白の水引をかけたものでした。

民間では、江戸時代に武家の間でもこの日に当時の通貨「嘉祥通宝」16枚で菓子を買い、食べるとその家に福があり、疫病を除くという縁起をかつぐのが習わしになったといいます。

嘉祥食の行事は室町時代末期から江戸時代を通じて行われました。

現在ではこの全国和菓子協会によって制定された和菓子の日は「美しい日本の四季と歴史の中で生まれてきた民族の味「和菓子」の素晴らしさを、もっと親しんでもらい、また和菓子の製造に携わる者も、この優れた日本の食文化を正しく後世に伝え残すために一層の努力を積み重ねていこう」と願って設定されたそうです。

また、このように「○○の日」の制定に、昔の「祓い」や「年中行事」の故事からなるものも多いのです。
特にこの時期は昔から「疫病」などが流行りが心配されたり、不安定な時節柄体調を崩したりもするので、「祓い」に関する行事が目立ちます。

「夏越の大祓」もその「祓い」の1つです。
清浄な心身で元気に夏を迎えましょう。
「形代」は賽銭箱の右横にご用意しております。ご用意して2日間ですが、大変多くの方の形代をお預かりしております。
形代

 





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最終更新日  2006年06月16日 14時27分01秒
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