人日<じんじつ>の節句~春の七草~
本日は1月7日「七草粥」で定着している「人日」<じんじつ>の節句についてお話致します。「人日」とは五節句の1番目の節句で、陰暦1月7日のことをいいます。1月7日を「七日正月」、その前日を「六日年越し」として祝う地方もあります。六日の夜を六日年越し、六日年取りといっている所が各地にありますが、かつては七日を重要な折り目と考えていました。お正月最後のこの日は、七草粥を食べて1年の豊作と無病息災を願います。旬の生き生きした生命再生の象徴である若菜の「七草」を粥にして食べれば、自然界から新たな生命力を頂き、1年を無病息災で過ごし、長寿を得られると信じられています。では、「人日」と「七草粥」の由来は?・・・日本にはもともと、古くから年の初めに雪の間から芽を出した若菜を摘む、「若菜摘み」という風習がありました。また、「若菜摘み」とは関係なく、中国の前漢の文人東方朔(とうほうさく:紀元前154頃~192頃)の「占書」にみられる古い習俗が人日の由来であるとされています。古来中国では、一日鶏、二日狗、三日羊、四日猪、五日牛、六日馬、七日人の日とするならわしがあり、人を尊重する日と定められていた様です。この日に、中国では「七種菜羹<ななしゅさいのかん>(7種類の野菜が入ったあつもの)」を食し、無病を祈る風習がありました。(「荊楚歳事記」)また、この日を人勝節といって華勝(色とりどりの綺麗な飾りのこと)を髪飾りにする風習があったともいわれています。その影響を受けて、日本でも平安時代に日本古来の風習の「若菜摘み」と結びつき、7種類の若菜を使った塩味のきいた「七草粥」を食すようになったと考えられています。初めは平安貴族たちだけの楽しみでしたが、その後、江戸時代(初期)に幕府の公式行事として「人日」を祝日にしたことで、将軍以下諸公が七草粥を食する儀礼があるなど武家において、「人日」は大変に重視された祝日の一つとなり、「七草粥」を食べる風習が一般の人々にも定着していったようです。では、「春の七草」とは何なのでしょう?そして、何故この7種なのでしょうか?まずは、七草・・・セリ(芹)ナズナ(ペンペン草)ゴギョウ(御形、母子草)ハコベラ(ハコベ)ホトケノザ(仏の座、田平子)スズナ(カブ)スズシロ(大根)の7種類。この七種類の由来は、平安時代に、四辻の左大臣<よつじのさだいじん>が詠んだ和歌から、この7種類が「春の七草」として定着したといわれます。また、この時期の七草粥を食すことで、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を七草粥で補った、とも解釈されています。現代でも、お正月の弱った胃腸を整えたり、飽食からくる栄養素不足を補うのに効果的だとされています。七草は、前日の夜「七草なずな 唐土の鳥と 日本の鳥と 渡らぬ先に 七草なずな 手につみ入れて・・・」などと「七草はやし」を歌いながら、まな板にのせ包丁で刻み、調理するようです。鳥は穀物をついばむ農作物の敵。まな板を叩く音で害鳥を追い払い、豊作を願うという呪術的な意味もあるようです。当社参道のお休み処「色ごよみ」では、5日より、「新春特別メニュー」として、「春の七草そば」と「春の七草白玉入りおしるこ」をお出ししております。詳しくはコチラをご覧下さい。