000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

烏 森 神 社

全54件 (54件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >

神道豆知識

2006年12月13日
XML
カテゴリ:神道豆知識
お歳暮の時期です。
今日はその「お歳暮」についてお話します。

歳暮<せいぼ>とは、文字通り年の暮れ、1年の終わりを告げる季語で12月の季語でもあります。
これが転じて、一般には、暮れに世話になった人に対し感謝するなどの歳暮周り<せいぼまわり>と呼ばれる年中行事が行われる事が多くあり、 このときに贈り物がされ、この贈答品がお歳暮と呼ばれていました。
現在では「歳暮」「お歳暮」といった場合、この贈答品、または贈り物の習慣を指すことが一般的になり、日頃お世話になっている方に、1年間の感謝を込め、又、来年もより一層のお付き合いを願う為の贈り物です。

古来、お正月には、お盆と同様に先祖の霊が帰ってくると考えられていました。
ご先祖様と年神様(歳神様(としがみさま))を迎えるための祝い肴として新巻鮭・ブリをはじめ、米・野菜・酒などいずれも食料品を中心としたもの(古くは「歳暮の礼」とか「歳暮の賀」といわれています)を親元へ持参していたものが、次第に目上の人や日頃お世話になった人などへお正月用品を贈る「お歳暮」の習慣に変わったといわれます。

お歳暮は一般に、12月初めから12月20日頃までに届くようにします。
お正月の準備に必要な品を贈るので準備を始める12月13日「事始め」ごろに贈る習慣がありました。
関東と関西では贈る時期もすこし違うようです。
関西では12月の始めから中旬あたり、関東では11月下旬から贈られるようです。
しかし、あまりにも早いのも考えものです。
昔から12月13日は、1年の締めくくりとして、新年の準備を始める日とされています。ですので基本はやはり12月中旬がふさわしい時期かと思われます。

今日はその丁度「事始め」の13日ですので、それにちなんだお話を致しました。

ちなみに、韓国でもお中元やお歳暮に似た習慣があり、旧暦8月15日と旧正月に肉類や調味料などを贈るようです。
また中国では、旧暦の8月15日には月餅という餡や卵の黄身が入った菓子を、ミャンマーでは10月にお世話になった人に食料品やロンジーという民族衣装を贈ります。

※事始めについて
事始めとは、新年を迎える事をはじめるという行事です。お正月に向けて家の周りを掃き清める「煤払い<すすはらい>」や、門松などに使う松を取りにいく「松迎え」などを行う日とされています。
また、事始めは師に対して「事始めの餅」いわゆる鏡餅を送るしきたりという意味合いもあります。特に京都祇園の「事始め」は有名です。    
祇園では、12月13日になると芸妓や舞妓が京舞の師匠宅や御茶屋さんへ次々と訪れて、今年一年のお礼と来年のあいさつを行います。
早々と飾り付けられた鏡餅を前にして「おめでとうさんどす」のあいさつが交わされ、芸妓や舞妓は師匠から新しい舞扇をいただいて帰るそうです。
事始めは、江戸幕府が12月13日から正月の準備を始めたことに由来するといわれ、今でも芸事を行う人々の世界では新年を迎える行事として欠かせないものなのです。








最終更新日  2006年12月13日 12時32分24秒


2006年11月23日
カテゴリ:神道豆知識
国旗

本日は勤労感謝の日、国民の祝日です。
「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」として昭和23年(1948年)に制定された国民の祝日です。
戦前はこの日が祝祭日の「新嘗祭<にいなめさい>」(宮中では天皇が新しい米などを神殿に供えた祭事)が、戦後に「勤労感謝の日」として国民の祝日になりました。

新嘗祭は、五穀の収穫を神に感謝する祭礼で、「しんじょうさい」ともいわれます。
新嘗祭の「新」は新穀を、「嘗」はご馳走または食べるを意味します。
宮中では天皇が新穀を神々にお供えし、自らも召し上がります。
『古事記』に天照大御神<あまてらすおおみかみ>が新嘗祭を行った記述がみられるように、たいへん起源の古い祭礼です。
古来、農業を産業基盤とする日本では、春のはじめに「祈年祭<きねんさい>」で五穀の豊穣を祈願し、「神嘗祭<かんなめさい>」で初穂(新米)を最初に神々に捧げ、収穫を終えて「新嘗祭」で神々に感謝を捧げました。
ここで「神嘗祭」と「新嘗祭」の違いを考えてみましょう。
新嘗祭に先だって、これによく似た神事である「神嘗祭<かんなめさい>」という行事があります。
こちらも戦前は祭日でした。
神嘗祭は皇祖である天照大神を祀る伊勢神宮に天皇が幣帛<へいはく>を捧げ、宮中からこれを遙拝する儀式です。
神嘗祭は伊勢神宮で行われ、10月15~16日(外宮)、16~17日(内宮)でその年に収穫された穀物や酒などを天照大神に供えます。
「新嘗祭」はこの「神嘗祭」からおよそ一ヶ月遅れて行われます。
内容は重複する部分が多いのですがよく考えると違いもあります。
それは神嘗祭が「神に供える」だけなのに対して、新嘗祭は「神を祀り、自らも食す」という点です。神嘗祭は感謝を申し上げるだけですが、新嘗祭は感謝し、その新穀の生命力・霊力を天皇自らが食し、体内に入れる儀式も兼ねています。

明治6年(1873年)から昭和22年(1947年)までは「新嘗祭」の祭日とされておりました。
天皇が新穀を天神地祇(天上の神様・地上の神様)に勧め、また、親しくこれを食する祭儀です。
明治5年までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていました。
明治6年から太陽暦が導入されましたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になることもあって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととし、明治6年ではそれが11月23日でした。
翌明治7年には前年と同じ11月23日に行われ、以降11月23日に固定して行われるようになったのです。
戦後は皇室典範からこの儀式は除外されましたが、法的にはこの儀式を行う必要はなくなっても、皇室においては重要な宮中行事として継続されています。
皇室での儀式は、23日の夕方から始まり翌日の未明まで行われます。
また、各地の神社での新穀感謝の祭事は続いております。
当社「新嘗祭」は18日に斎行申し上げました。







最終更新日  2006年11月23日 15時23分37秒
2006年10月17日
カテゴリ:神道豆知識
神嘗祭<かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり>とは、神宮(伊勢神宮)の祭礼です。

昭和22(1947)年までは祝日でした。
皇室の大祭で、天皇陛下が皇居の水田で、自らお作りになり、その年に獲れた新穀(稲穂)を天照大御神(伊勢神宮)に奉る儀式です。
かつては9月11日 (旧暦)に勅使に御酒と神饌を授け、9月17日 (旧暦)に奉納していましたが、明治12年(1879年)以降は月遅れで10月17日に行われるようになりました。
月遅れにした理由は、当時は9月17日では新穀が間に合わなかったからといわれています。
戦前は大祭日の一つでありました。
戦後は国の祭日ではなくなり、宮中と伊勢の神宮で儀式を執り行っています。
宮中では、神宮の祭典に合わせ神宮を遥拝します。
神宮へは、皇室から勅使が遣わされ、奉幣の儀が奉仕されます。

今日はその神嘗祭、伊勢神宮の内宮奉幣が正午に行われる日です。






最終更新日  2006年10月17日 17時38分55秒
2006年10月15日
カテゴリ:神道豆知識
10月15日~25日の間、伊勢神宮では恒例祭では最も重要な祭典の1つとされる「神嘗祭」が行われます。
この神宮の「神嘗祭」は一般の神社で言うと、例祭にあたります。
この「神嘗祭」と「6月月次祭」・「12月月次祭」の3つは「三節祭」といい、最も重要な祭典とされています。
その年の新穀を大御神に奉り、ご神恩に奉謝申し上げる最も由緒深い祭典なのです。
天皇陛下には勅使を差遣されて奉幣が奉仕されます。

由貴夕大御饌~内宮10月16日22時、外宮10月15日22時

由貴朝大御饌~内宮10月17日2時、外宮10月16日2時

奉幣~外宮・多賀宮10月16日2時、内宮・荒祭宮10月17日2時、月読宮・月読荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮・土宮・月夜見宮10月19日10時、瀧原宮10月23日10時、伊雑宮・風日祈宮・倭姫宮・風宮10月25日10時

両宮に続き、別宮、摂社、末社、所管社でも25日まで祭事が行われます。

地域の伊勢では、このように賑っているようです。






最終更新日  2006年10月17日 17時32分57秒
2006年10月06日
カテゴリ:神道豆知識
お月見イメージ
日本の民間で行われた十五夜行事は、どのようなものだったのでしょうか。
日本における十五夜は、古来の月を祭る信仰に外来(中国)の行事が習合したものと考えられますので、その内容には農耕儀礼的な要素がかなり残されています。

十五夜といえば、多くはススキや花を飾り、さまざまな供えものをするのが全国的にも一般化した行事の形態です。
この供えものには、団子やまんじゅう、おはぎなどの作りもののほか、里芋、さつま芋、豆類、大根などの畑作物、さらに柿や栗、梨、りんごなどの果物があります。
その他、水や酒、灯明なども含めて、これらは地域によってさまざまな組合せがあり、またその供え方ひとつとってみても、たいへん興味深い変化が見られます。特にススキと里芋をめぐっては、この行事が単なる「月見」ではなく、農耕儀礼としての性格を強く示唆する要素として注目されています。
また、地方によって色々な風習があるようです。
・南九州や沖縄では、十五夜に綱引きをする風習があります。
・月見団子を縁側にお供えし、それを子どもたちが盗み食いをする風習があります。家々では、団子を多く盗まれた方が縁起がよいとされました。
・ススキも全国でお供えされています。供えたススキを家の軒に吊るしておくと一年間病気をしない、という言い伝えが全国に分布しています。

中国でも地域によって家庭ごとに祭壇をつくり、月餅や芋の煮物、柿、栗、蓮根、菱などを供えたといわれ、これに類似した習俗は、他のアジア諸国にも見出すことができます。

ところでお供えするお団子ですが、いくつ盛ってますか?
「適当」「盛れるだけ盛る」「子どもの年の数だけ」などいろいろ聞きますが、正しくは十五夜に15個、十三夜には13個だといわれます。
盛り方は、一番下に8個、つぎに4個、2個、1個の順で。
また一説には12個とも言われ、毎月おとずれる満月を数え、1年で12個の満月をイメージしているそうです。こちらの説では、うるう年に13個お供えするそうです。

ところで、「中秋の名月」というのは、単に中秋の月のことをさしていますので、この月が必ずしも満月(望)になるとは限りません。

 ~年毎の 満月の日 と 十五夜の日 ~
2006年 10月 7日 10月 6日
2007年  9月27日  9月25日
2008年  9月15日  9月14日
2009年 10月 4日 10月 3日
2010年  9月23日  9月22日
2011年  9月12日 同左
2012年  9月30日 同左
2013年  9月19日 同左
2014年  9月 9日  9月 8日
2015年  9月28日  9月27日
2016年  9月17日  9月15日
2017年 10月 6日 10月 4日
2018年  9月25日  9月24日
2019年  9月14日  9月13日
2020年 10月 2日 10月 1日
2021年  9月21日 同左
2022年  9月10日 同左
2023年  9月29日 同左

そして、六曜の場合、旧暦で毎月1日の曜日が月ごとに決められていて、旧暦8月の場合の1日は友引とされています。
2日目からは先の順に、先負、仏滅、大安、赤口、先勝、友引、・・・と順番にローテーションされていきます。
ということは、この順番でいけば中秋の名月となる旧暦8月15日は必ず仏滅となります。
大安の日にお月見がしたいと言う方がおられるかもしれませんが、残念ながらかなわぬ願いです。ただ、今年は十五夜の次の日、すなわち明日7日が満月で大安です。

十五夜の翌晩は「十六夜<いざよい>」といいます。
月の出の時間は日ごとに遅くなります。十六夜の月は、十五夜の月よりも出をためらっている(いざよっている)とのことから「いざよい」です。

「秋は月」の美学をもち、月が大好きな日本人はさらに、その翌晩、そのまた翌晩…の月にも名前を付けました。
17日 立待月<たちまちのつき>:立って待っていれば月が出る
18日 居待月<いまちのつき>:月が出るまで座って待つ
19日 寝待月<ねまちのつき>:月の出が遅いので寝て待つ
20日 更待月<ふけまちのつき>:夜も更けてから月が上ってくる
月

気候的に、空気が澄んで、綺麗に月が鑑賞できるこの時期を昔から日本人は大切にしてきたのです。
民間では太陽と同じくらい月を信仰していたことが伺えます。
日待ちの講よりも、月の出を待つ月待ちの講が多いのも、単に日待ちが徹夜する苦業である為ばかりではなく、月のある明るい晩への期待が大きかったものと思われます。

ここで、神道での月の神様のお話をします。
月の神様は「月読命<つくよみのみこと>」(「月読神<つきよみのかみ>」)一般的に月を神格化した、夜を統べる神であると考えられています。
月読神は「三貴子」の一人です。
創造神である伊邪奈岐<いざなぎ>が宮崎の川の河口付近で禊<みそぎ>をした時、左目を洗った時に天照大神<あまてらすおおみかみ>、右目を洗った時に月読神、そして鼻を洗った時に須佐之男<すさのお>神が生まれました。
そして伊邪奈岐は天照に天の世界を、月読に夜の世界(月を読むので、月=暦とも言われる)を、須佐之男に海を統治するように命じたのです。

月読命に関する神話は、天照大神や須佐之男命に比べて少ないのですが、『日本書紀』には、天照大神の命で月読命が保食神のもとへ食べのもの種を分けてもらうために、遣わされる話が記されています。
天照大神の命で訪れた月読命に保食神は口から出した海山の数多くの食物を奉るが、これを見た月読命は「汚らわしい。お前の口から出した物を私に食べさせる気か」と怒り、剣を抜いて殺してしまいます。
天に帰って報告したところ、天照大御神は激しく怒り「お前は悪い神だ。二度と会わない。」と言って、月読命とは二度と会わなかったそうです。
だから月と日は顔を合わせないと記されています。「日月分離」の神話、ひいては昼と夜の起源であります。
『古事記』ではこの神話は須佐之男命の話になっていますが、日月離反で結んだこの話の方が話の筋に無理もなく自然です。
またこの話は月と農耕の関わりの強さも表現されているものと思われます。
太陽=天照大神・月=月読命との関係が、神話で描かれているのも、大変興味深いことです。







最終更新日  2006年10月06日 10時17分02秒
2006年09月29日
カテゴリ:神道豆知識
「古事記」や「日本書紀」にも見られるように、「祭祀」(祭り)は、神代の時代から始まり、今に受け継がれているものです。

大宝元年(701年)の『大宝律令』には、祭祀に関する規定が示されていました。
さらに、平安時代967年に施行された『延喜式』には、より詳しく示されています。

今日はその『延喜式』に示された、宮中の年中行事の祭をあげてみようと思います。

◆祈年祭<としごいのまつり>…五穀の豊穣と天皇の安泰、国家の安寧を祈願する祭。

◆鎮花祭<はなしずめのまつり>…花の散る季節には疫病が流行するので、これを鎮める為に行う神事。

◆神御衣祭<かむみそのまつり>…毎年5月と10月に朝廷から皇大神宮に夏・冬の衣服を奉る祭。

◆三枝祭<さいぐさのまつり>…酒樽に三枝花(ミツマタあるいはヤマユリ)を飾って酒造神を祀る。

◆大忌祭<おおいみのまつり>…4月と7月に稲の生育に、悪い水の害が無いように祈る祭。

◆風神祭<かぜのかみのまつり>…風災を鎮め、穀物の豊作を祈る祭。

◆月次祭<つきなみのまつり>…6月と12月に行われる年中行事。

◆道饗祭<みちあえのまつり>…6月と12月に京都の四隅に神を祀って、路上で怪物・妖物を饗応し、都に入るのを防ぐ為に行う行事。

◆鎮火祭<ひしずめのまつり>…6月と12月の末に皇居の四隅で神を祀り、火災防止を祈る神事。

◆神嘗祭<かんなめのまつり>…天皇がその年の新穀で造った、神酒と神饌を(伊勢)神宮に奉献する祭。

◆相嘗祭<あいにえのまつり>…新嘗祭の前に、71座の神々に新穀を奉る祭。

◆新嘗祭<にいなめさい>…新穀を天神地祇に勧め、共に親しく食する祭。

◆鎮魂祭<たましずめのまつり>…天皇・皇后・皇太子などの魂を鎮め、御代長久を祈る祭。

◆大嘗祭<おおにえのまつり>…天皇が即位後、初めて行う新嘗祭。「だいじょうさい」とも言う。

以上が『延喜式』に示されている宮中の年中行事(祭祀)です。


当社の行事でも、これからの季節で言うと11月に「新嘗祭」を執り行い、年末には「年越えの大祓」と併せて、「道饗祭」「鎮火祭」の祝詞奏上を行います。
大昔からの祭祀は、時代の流れと共に変遷し、そして今も尚脈々と受け継がれているものなのです。






最終更新日  2006年09月29日 13時31分04秒
2006年09月26日
カテゴリ:神道豆知識
社日(秋)
雑節の1つ。
春分・秋分にもっとも近い戊<つちのえ>の日。
生まれた土地の産土神<うぶすながみ>に参拝する日。

春と秋にあり、春のものを春社<しゅんしゃ・はるしゃ>、秋のものを秋社<しゅうしゃ・あきしゃ>ともいう。
社日は古代中国に由来し「社」とは土地の守護神、土の神を意味し、また部族の守護神、その祭祀のことをいいます。
その為、「社日」とは「社の祭を営む日」のことです。
ですから、この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝するのです。
土地神としての地神を祀る習俗、農神の去来伝承、社日参り(七鳥居参り)など地域によって様々な伝承があります。

春の社日の記事はコチラ






最終更新日  2006年09月26日 20時15分12秒
2006年09月04日
カテゴリ:神道豆知識
警蹕<ケイヒツ>って、一体何のこと・・・?と思われるかも知れませんが。
今日は祭典中に神職(神主)が「オー」と声を発する「警蹕<ケイヒツ>」についてお話したいと思います。

祭事に参列されている方から、以前、「何の為に『お~』と声を出しているのか。きっと何か理由があってのことだろうが、何でか教えてくれないだろうか・・・」と聞かれたことがありました。

警蹕とは、祭事では御扉<みとびら>(神様のいらっしゃるすぐ前の扉)の開閉時に、又、身近な祭事では地鎮祭などの降神<こうしん>・昇神<しょうしん>の際などに神職が発する「オー」という声です。

「あの「おー」という声を出すことで、神様を呼んでいるのか?」という質問も以前聞かれたことがあります。
神様に発するというよりは、むしろ参列者に発せられているのです。
「警蹕」の「警」には、「警戒する」という意味があり、「蹕」には行く人を止めるという意味があります。
もともと「警蹕」とは、天皇のお出ましや貴人の通行の際、人々が不敬の行為をしないようにと先払いが声をかけて注意をし、警戒するというのが本来の意味です。
天皇の出御の際や、天皇のもとに御膳を運ぶ時、また貴人の通行の際などに「おお」「しし」「おし」「おしおし」などと言いながら、先払いするのです。「みさきばらい」「みさきおい」「けいひち」とも平安言葉では言われています。

分かり易く、例えると、時代劇などで将軍や身分の高い人が通る際に「したにぃ、したに」などという掛け声をかけながら歩いている様子を見たことがありませんか?
まさに、その「したにぃ、したに」の声かけが、神事の際の「お~」という声と同じ意味合いなのです。
このことが神事においても、取り上げられ、警蹕の間には神職も参列者も頭を下げて敬礼するようになりました。
「警蹕」の発声は一般的に「お」または「を」の音を長くのばすものとされています。






最終更新日  2006年09月04日 15時49分53秒
2006年09月02日
カテゴリ:神道豆知識
今日は「三方」についてお話します。
「三方<さんぼう><さんぽう>」とは、神饌(神様へのお供え物)を載せる為の台です。
夏越大祓H18.6.30神前


通常は檜などの素木<しらき>による木製で、折敷<おしき>と呼ばれる盆の下に直方体状の台<胴>がついた形をしています。
「三方」という名称は、台の三方向に穴があいていることから、「三方」とつけられたといいます。
三方を上部から見ると、四角または八角形をしています。
大昔は木の皮などを単に折り敷いただけで台はなかったことから、元々は折敷と台は分離していて、使用するときに台の上に折敷を載せて使用しました。
また、台に載せずに折敷だけで使用することもあります。
台の有無に関わらず真上から見た場合の形は四角形や八角形となり、そして、「折り敷く」という言葉から折敷と称されるようになりました。
今日では折敷と台が完全に結合したものが使用されており、折敷だけで使用するものは三方とは別に用意するようになっています。

台に開いている穴は「刳形<くりがた>」もしくは「眼象<げんしょう>」と呼ばれ、宝珠の形に彫られていますが、穴そのものには意味がなく、一種の装飾と考えます。

折敷には縁の板を留めるための綴り目(継目)がありますが、これは穴のない側の反対側になるように作られています。神前に供える際は、この綴り目(継目)を手前(自分の方)に向けて置きます。(穴のない側(綴り目の反対側)が神前に向くようにします。)

この「三方」、古代には、高貴な人物に物を献上する際にも使用されておりました。
寺院でも同様のものが使われますが、三宝(仏・法・僧)にかけて三宝<さんぽう>と書かれることもあります。

折敷には縁の板を留めるための綴り目(継目)がありますが、これは穴のない側の反対側になるように作られています。神前に供える際は、この綴り目(継目)を手前(自分の方)に向けて置きます。(穴のない側(綴り目の反対側)が神前に向くようにします。)









最終更新日  2006年09月02日 21時34分49秒
2006年07月12日
テーマ:■雑学王■(596)
カテゴリ:神道豆知識
現在行われている「お中元」の形が定着しはじめたのは明治30年代といわれております。
1年の上半期の区切りの意味で、6月下旬から8月上旬までの間に、日頃お世話になっている方々に贈り物をするようになりました。

さて、この「お中元」の由来を今日はお話致します。

お中元の起源は古く、古代の中国にまでさかのぼります。
古代中国の道教には天神(神様)を「三元」の日に祭るといった、「三官信仰」というものがありました。
この三元とは陰暦の1月が「上元」、7月が「中元」、10月が「下元」の「三元」であり、それぞれの十五日に三官(の神様)が生まれたと言われております。

~三官といわれる神様とは~
天官(天神様):上元(1月15日)生まれの福をもたらす神様
地官(慈悲神様):中元(7月15日)生まれの善悪を見分けて人間の罪を許す神様
水官(水と火を防ぐ神様):下元(10月15日)生まれの水害など災害を防ぐ神様

お中元のもとになったのは、この三官のなかでも地官(慈悲神様)。
7月15日に行われていた誕生を祝うお祭が、仏教の同じく7月15日の「盂蘭盆会<うらぼんえ>」(お盆)の行事と結びついたことから、お中元が始まりました。
中元は日本に伝わり、お盆の行事と混じり合い、親類や隣近所に仏様に供えるお供物を送る習慣ができたようです。

そのため地方によっては、この「お中元」を、地方によっては「盆供」や「盆礼」と呼んでいるところもあるそうです。
その後、江戸時代になってからは1年の半ばにあたる中元の7月15日に、1年を半期に分けて盆と暮とに区切り、先祖へのお供えと共に商い先やお世話になった人に贈り物をする習慣ができたようです。その頃から、庶民一般の贈答行事へ広まり、今では「お中元」と言えば「中元の贈答品」を指すようになりました。

「お中元」は元々は「神様をお祀りする」意味があったのです。






最終更新日  2006年07月12日 17時59分01秒
このブログでよく読まれている記事

全54件 (54件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >

PR

X

© Rakuten Group, Inc.