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徳積みデイトレード

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考え方

2020.08.19
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テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
​人間は誰しも失敗をします。

難しいことにチャレンジすればするほどその回数は増えると言えます。

しかし、一言に失敗と言っても大きく分けて2パターンに分けることができます。

それは「​未熟故の失敗​」と「​愚か故の失敗​」です。

前者の未熟故の失敗というものは必ず誰もが通る道です。

知識や経験が無いことによって上手く行かないことは当たり前のことであり、そのような事で失敗することに対して過度に落ち込む事は、客観的に見ても時間とパフォーマンスの低下にしかなりません。

そのような失敗の場合は、寧ろ知見が増えて一段階成長したとポジティブに考えるべきだと言えます


逆に気を付けないといけないのが、愚か故の失敗​の方です。

こちらの失敗は経験が豊富になっても防ぐことが難しく、根本の原因と向き合わなければ何度も繰り返すことになります。

心が甘えや怠けなどの悪い感情に染まっていることで愚か故の失敗というものは生まれます。

表面上や対外的には失敗を反省したつもりでも、自分の心の中までしっかりと浄化しきらないと改善は行われないのです。

この悪い感情を完全に見つめ直す為には緊張感程度ではまだ足りなくて、危機感が必要になってきます。 

危機感を得るには逃げ場所や余裕が無くなるギリギリまで追いこまれる必要があります。

そのような極限状態になって初めて、自分の心の奥にある愚かな部分を削ぎ落とす(スキャルピングする)ことに着手できるようになるわけです。​

「危機感を感じるようなギリギリの状態になんてなりたくはない」というような考え方は多くの人々が持つ一般的なものだと思います。

しかし「本当に危なくなるまでは失敗を見てみぬふりをして現状維持で平和に楽しもう」という感覚ではなく、「失敗にしっかり向き合って自分のパフォーマンスをできるだけ育て上げて行こう」という気持ちがあるのであれば、敢えて自分を危機感が発生するような場所に置いてみることも良いのではないでしょうか。

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最終更新日  2020.08.19 07:45:46
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2020.08.16
テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
​​​​​​​​​​様々なトレーニングや鍛錬を行うにあたって、距離(Distance)型(Form)速さ(Speed)の3要素が重要になります。


距離(Distance)とは現在の地点から目標を達成するまでの道のりの長さです。

例えばダイエットを行う場合では、目的体重に落とすまでの必要なカロリー量を計算して、どれだけの運動をしないといけないかを決めるような事です。

型(Form)とは目的を達成するためにどのような方法をとるかという細かい部分です。

ダイエットで言えばどのような運動をするか、つまりランニングにするのかウォーキングにするのか筋トレにするのか、そして何セットするのか等の部分です。

速さ(Speed)とは目標達成までにどれだけの時間をかけて達成するかに関わる部分です。

ダイエットの場合は、1週間で直ぐに痩せたいのか、それとも数か月後の夏に向けて徐々に調整していくのかといったような形です。


これらの三要素に関して、目標に達するための条件としての重要度に関しては格差があると思います。

それは ​​ 距離 = 型 > 速さ​​​

という形です。

目的までの距離はショートカットや階段の一段飛ばしなどの短縮行為を行わず、どうしても通らないといけない量というものがあります。

そしてに関しても目的を達成するのに全く関係ないことをいくら行っていても一向に辿り着かないものです。

一方で速さに関しては多少のブレがあろうとも着実に前に進んでいれば、いつかは目的に辿り着くものなのでそこまで重要ではないと言えます。

本来の重要度に関してはこのような形になりますが、それぞれに対する人間の意識としては欲や焦りの感情によって真逆の偏りが生じます

「楽して早く目的を達成したい」という気持ちによって、距離をできるだけ短く見積もり、速さを上げて、を一つに決めずにもっと楽なのはないかと色々と試すことになるのです。

つまり ​​​​速さ​​​ > 距離 = ​​​​​

となってしまうわけですね。

人間の寿命は限りあるもので、急ぎたくなる気持ちは避けられないということも言えるとは思いますが、「急がば回れ」という言葉もあるように欲を自制して、足元にある必要なことをしっかり意識して、ブレずにコツコツと進めていく忍耐力も必要であると言えるのではないでしょうか。

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最終更新日  2020.08.16 07:54:05
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2020.08.15
テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
お金は物々交換の不便な面を解決するために導入されてからはずっと、いつの時代も人々に信頼され続けています。

紙幣の軽くて小さな紙そのものには価値はありませんが、多くの人がその紙幣に目に見えない信頼を持つからこそ、他の価値ある物と交換することに使用できるわけです。

大人になって社会に出るとお金を崇拝する宗教というものに誰しもが入ることになります。

何故なら神と同じように、ましてやそれ以上に信頼のおける存在だからです。

労働においてもお金の貰えない状況を避け、一度手に入れたお金に関しても失う事を極端に嫌がるようになります。

そしてついには「お金を稼ぐことが最優先で、やりたくないことでも我慢するのが当たり前」という認識に変わっていきます。

こうなってしまえば"お金教"の立派な信者になったと言えるでしょう。

しかしそのような状況は、果たして幸福と言えるのでしょうか?

お金を一旦稼いでも、安寧を得られずに更にお金を稼ごうとするループに突入することは気を休める暇も無いというものです。

世の中には成功をした時に幸せになっていくのではなく、幸福度が高いからこそ継続ができて成功も沢山しやすいという検証データもあると言われています

"お金"に対して目を向け続けている状況から、"幸福度"に対して目を向けてみることで世の中に対して違った見方ができるかもしれません。

お金の動きが非常に激しいトレードに関しても、お金への執着を無くすことこそが一つの攻略法なのではないかと私は感じています。

日々のトレードで変動する損益よりも、自分が選んだトレードの世界にいられることを感謝して、お金よりも幸福度に目を向けて日々を歩んでいきたいと思う次第です。

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最終更新日  2020.08.15 06:58:19
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2020.08.13
テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
​世の中が不況や疫病や凶作で混乱して人々が悩まざるを得ない環境になると哲学に目が向けられると言われています。

哲学とは、ものごとの常識に疑問を持ち、幸せについて改めて考える事です。

悩みが少なく変化の少ない平穏な時代には、ものごとに対して深く考えることもせずに良くも悪くも忙しく黙々と働く日々が繰り返されます。

しかし、その状況が大きく崩れて危機が訪れた時に、「幸せってなんだろう」という疑問や「社会ってこのままで本当に良いのだろうか」などの思考や問いかけが生まれます。

哲学者のデカルトの「我思う、故に我あり」という言葉のように、考える事を行っているからこそ自分が存在し、その沢山考えて思考を巡らせていることこそが人間として輝いている状態とも言えると思います。

楽しかった事でも何度も繰り返しているといつかは飽きてしまうように、人間界を俯瞰する神の立場の目線になってみても、平和であっても代り映えのしない人間の繰り返しの営みは面白くないのではと個人的には思います。


中国には日本でもメジャーな仏教とは別に、​儒教​​道教​という対極的な教えがあります。

​儒​教​​はモチベーションの高いエリート向けで、人民を束ねて大きなことを成す為に必要となる考え方になり、現代では主に経営やビジネスの面で活用されています。

人類は常に進化を続け高度な文明を作り出していきますが、それを維持して更に発展させる為には更なる努力が強いられることになります。

近代の日本においてもスマホを一人一台保有することが当たり前になっており、中高生までも手にしています。

スマホのアプリのゲームで遊んだりSNSで連絡を取り合ったりすることを続けるだけでも月に1万円近くの使用量がかかり、携帯電話が普及する前の中高生のお小遣いの金額の概念では考えられないような状況になっています。

そうして大人だけでなく子ども達までも、沢山浪費して速く走り続けることが強いられる世の中になっていっているのです。

高度な技術力があり、豊かな国と言われる日本において自殺件数も多いのはそのような面が関わっているのだと思います。

このような息苦しい時代に需要が生まれるのは道教の考えになります。

道教とはモチベーション低めの一般人向けで、地位や名声に捉われず自然に則り目立たないようにして生きようという考え方になります。

本来人間というものは忙しい近代に生まれようが、原始的な古代に生まれようが基本設計やベース自体は同じで、心の安らぎを得られる状況においても共通性があります。

世の中の競争や焦りに縛られない心や、自然に囲まれて得られる安らぎというものは急速に技術が進化する現代にとってはどんどん需要が上がるとも言えるわけです。


世の中には生まれながらにして良い環境に囲まれている人もいれば、その逆もあります。

更に世の中には高度な技術を要して頭脳が必要となる仕事もあれば、誰もが嫌がるようなことでも生活に必ず必要となるような危険で汚い単調な仕事もあります。

このように人々の立場が多様である世の中を上手く回していくには、適材適所が必要であり教育環境に恵まれた者や、そうでない者達を適した場所に配置することだけでなく、それぞれに適した哲学や思想を持つことで心を壊すことなく個人のパフォーマンスも底上げすることができると思います。

哲学や思想というものは、必ずしも一つに絞り切ることが適切とは言えないですが、自分にとって心の支えになるのならどんどん勉強して生活に取り入れていくのも良いことではないでしょうか。

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最終更新日  2020.08.13 07:34:43
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2020.08.08
テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
​​​​​我々の住む日本は海に囲まれており、多くの海の幸を食すことができます。

そして命を頂けることに感謝をして「いただきます」と言って我々は口にしていますが、感謝の度合いはどう異なるのかという疑問に突き当たりました。

海鮮丼の部類に入る、鉄火丼シラス丼​イクラ丼​



この三つについて比較をしてみようと思いました。


まずはどんぶりに入っている命の数の比較をしてみると、

鉄火丼はマグロ一匹のごく一部だけが入っています。

そしてシラス丼は何百という稚魚が入っています。

最後にイクラ丼はまだ命と言えない沢山の卵が入っています。

つまり命の数で並べてみると、

シラス丼 > 鉄火丼 > イクラ丼

と言えるのではないでしょうか。


次は、一つの命が何人の人々を美味しいと喜ばせられるかということついて比較してみると、

イクラ丼はまだ命と言えないという部分を考慮すると、

鉄火丼 > シラス丼 > イクラ丼

という事になります。

​マグロ​は体積が大きい分、多くの人々がその美味しさと栄養にあやかれることになります。

しかし、それは​マグロ​が何年間もかけて、毎日他の小さな命達を捕食して少しずつ成長してきたからこそ体も大きくなったのであって、シラス一匹とマグロ一匹の奪ってきた生命の数はとてつもなく大きな差があると言えます。

そう考えるとマグロ単体ではシラス単体よりも命が重いという結論に持っていく事ができます​​


人間においても、体の大きさは一定期間までしか成長しませんが、奪ってきた命の数と生きてきた年数はほぼ比例します。

人間がその時代の社会に対してどれだけ貢献したかや、どれだけ多くの人間に愛されているかの差異はあっても、高齢者は若者よりも遥かに多くの生き物の命を奪って生きてきたことは間違いないことです。

多くの命を奪うことを"罪である"という認識もできますが、それだけ"命が重い"という見方は変わらないと思います。

実際に自分自身で屠殺を行うことはあまり無いかもしれませんが、我々の手は他の生命達の血でまみれており、毎日寝る時には枕元に何千何万の命が立っているという事も間違いないわけです。

生きれば生きるほど日々積もっていく自分の命の重さを自覚して、今を生かしてくれている多くの生き物達への感謝の気持ちを忘れずに毎日を過ごしていきたいものです。

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最終更新日  2020.08.08 08:01:53
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2020.08.06
テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
自己啓発と言えば有名な成功者の本を読んだり、偉人の教えを学ぶことで自分が新たに生まれ変わり、意欲も上がって良い事尽くしというイメージがある方も多いと思います。

しかし、元々やりたいことも特に無く、なんとなく現状に不満があるような人の場合はデメリットが生じる場合もあります。

なぜなら自己啓発とは「自分のパフォーマンスを上げてもらう」ものではなく「自分のパフォーマンスを上げる為に役立てる」という潜在意識が無いと機能しない為です。

新たに自己啓発の知識を得ることができても、その通りに行動を起こさないと効果は薄く、逆に「何かやってる感」を得たことに満足し、実際に行動と自分自身の変化を起こさないような場合は時間の使い方としては勿体ないと言えるからです。

"知らなかったからできてない人間"ではなく、"知った上でできていない人間"に成り下がってしまうとも言えるのです。


闇雲な資格の取得に関しても同じように言える場面があります。

資格取得を趣味として楽しむ時間と割り切って行うのであれば良いと思いますが、自己成長の為の投資と考えるのならば、浅く広い知識の習得よりも今の足元にある仕事のパフォーマンスを上げるために必要な事に注視した方が良い場合もあります。

何故なら、人は物事を忘れる生き物でエビングハウスの忘却曲線によると復習をしなければ一日後には67%忘れ、一週間後には75%の事を忘れてしまうということが言われています。

何年も前に勉強した資格の数々の知識も結局消えてしまうリスクがあるのであれば、今目の前にある問題を解決するために必要な知識を取り入れる事に今の時間を割いた方が良いとも言えるわけです。


自己啓発という良い響きに捉われ過ぎて、新たな自分に変えてもらえるという他人頼みのイメージではなく、今の自分があってその自分を育てるという主体的な自己改善の意識が特に大事だと思う次第です。

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最終更新日  2020.08.06 07:44:11
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2020.08.04
テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
完璧主義というと何事にもストイックに取り組み理想が高く向上心を持っているという良い面もあります。

しかし、自分が描く"完璧"が崩れてしまうとたちまちメンタルが崩れやすくなるとも言え、完璧主義=逆境に弱いとも言うことができます

例えばアクションゲームではよくプレイヤーの体力(HP)を回復するアイテムが存在するものですが、HPが満タンでないと不安になり、少しでもHPが減った状態になるとその事が気になって集中力が下がる場面なんかがあります。

ボス戦などの少しの隙も許されない戦闘時においては、逃げ腰になって無理に回復しようとすることで逆にやられてしまうパターンも良くあることです。

このような完璧主義のタイプの人は、失ったり欠けてしまったことに捉われ過ぎず、割り切って「今持っているものを最大限に活かす」という意識に持っていくことが大事だと思います

FPSのゲームにおいても、乱戦時には一番攻撃力や精度が高いからと言ってメインウエポンのアサルトライフル等をリロードするよりも、その時間を使って性能の劣るハンドガンに持ち替えて戦いきった方が良い場合もあります。


人間社会で"欠けている"と言えば障害者達も当てはまります。

確かに欠けている部分があるとは言えども、そのおかげで逆に発達する部分もあると言えます。

例えば視力を失った方であれば、状況を判断する為には耳や鼻を集中的に使うことになるのでその部分が発達するケースもありますし、足が動かなくて車椅子生活をされている方はその分腕力が付くことにも繋がります。


トレードにおいても完璧主義であることは良くない面があります。

相場というものは大きく分けて上昇トレンド、下降トレンド、レンジ相場に分かれますが、どの状態にも完璧に対応できる一つの手法を作り上げることは難しいと言えるからです。

更に「利益=期待値×エントリー回数」なので、期待値をとエントリー回数は反比例するように出来ている為、沢山のチャンスに出合って毎回大きく利益を伸ばすなんてことは非現実的なことになります。

そのような完璧主義思考による"聖杯"を得ようとするわがままな行為は現実にはどうしてもマッチしないのです。

ですので、トレードに向き合う際は自分都合の完璧主義ではなく、そもそも自分の思い通りにならないと理解して割り切り、予想を裏切られた時にも冷静になって、他人都合によって動く実際の相場に合わせて自分ができる範囲の事をしていくことが大事なのではないでしょうか。

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最終更新日  2020.08.04 07:36:25
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2020.08.02
テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
時代劇やゲームなどの刀を持って戦うシーンでよく見る武者忍者

19世紀以前の人殺しによる略奪征服が行われ、いかにも野性動物的な思考が強かった時代に実際にあったお仕事です。

両者はある意味対極的な立ち位置にいます。

武者は主に大規模戦争や治安維持のために戦い、集団行動の中で「義を重んじる」規制有の秩序によって統括されています。

一方で忍者は諜報活動や潜入工作を行い、単独行動の中で「何でも有り」の実力行使による暗殺まで行います。

日本では武士道の精神が良い意味で認知されており、外国では忍者の方が認知度も高く人気な傾向があります。

「集団主義と秩序(強硬性)」と「個人主義と無秩序(柔軟性)」という対比ができるのかもしれません。


武者や忍者による人殺しが活躍していた時代とは違い、現代では直接人間が殺し合わずとも資本主義による金を使った戦争へとシフトされている傾向があります。

金持ちが金を使って非人道的な行為であっても、より金持ちになろうとして行動を行うという事です

例えば東南アジアは固定相場制を狙ったヘッジファンドによる国家への意図的な通貨の空売りで不況へと追いこむようなことも起きています。

世界の覇権を争う中国とアメリカの経済戦争もますます過激になっていっております。

もちろんトレードにおいても血は流れないですが、命に直結する金を奪い合う戦争と言えます。

個人トレーダーが無秩序である相場の世界を生き抜くためには柔軟な対応が迫られるので、武者というよりも忍者のような戦い方が適合する形になるのではと思います。

いつの時代も戦いは無くなりませんし、その中身も高度に進化していくことは間違いないと思います。

しかし、実際に命をかけて戦っていた先人達に学べることも多いのではないでしょうか。

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最終更新日  2020.08.02 08:26:21
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2020.08.01
テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
我々生き物は体で生成された部位が欠け落ちることが度々行われています。

例えば伸びた爪を切ったり、美容院で髪型を整えたりといった際にです。

悲惨な事に大きな事故で腕や足を失ってしまったような方々も世の中には存在します。

ここで、体から離れた爪や髪の毛は、元々自分の一部であったが、離れてしまうと忽ち自分ではなくなってしまったと言えるわけです。

こうして「残った本体」と「離れた部位」という二つの部分に分かれることになりますが、何が違うのかという疑問に突き当たります。

私は大きく分けて三つの違いがあると思いました。

まず一つ目の違いは自分で動くかどうかという点です。

切れた腕や抜けた毛は動かないですが残った身体は動きます。

次に二つ目の違いは自分で成長するかどうかという点が考えられます。

少しずつ伸びていた爪や髪も切れたらそこで栄養補給が行われなくなって成長が止まってしまいます。

三つ目の違いは自分で生み出し続けるかどうかという点だと思います。

これは二つ目の「自分で成長するかどうか」にニュアンスは似てはいますが、同じものが大きくなることと、新たなものを生み出すことの違いがあります。

例えば生きている人間は知恵によって新しい技術を発見して創造したり、子どもを作ったりということが行えるわけです。

以上の三点の違いは「本体と欠損部位」の比較だけでなく「生者と死者」の違いの認識にも置き換えることができると思います

「自分で動かない」、「自分で成長しない」、「自分で生み出し続けない」が揃えば「死者」と言えるのではないか?というわけです。

生と死の間の判別が難しい状態として、脳死状態の植物人間と言われる状態が問題となっております。

この場合で言えば、他者無しでは「自分で動かない」、「自分で成長しない」、「自分で生み出し続けない」は成り立っていると言えますので個人的には「死者」の部類に入れても良いと思います。

しかし、患者の事を大切に思う人々からすれば、別れは辛いものであり、その延命をやめるという決断を委ねられることも辛いものであります。

更にこの国では、安楽死や尊厳死が認められていないこともあって更なる複雑な葛藤が生まれるというのが実際のところだと思います。

それでは「臓器移植」についてはどうでしょうか。

ドナーから切り離された臓器単体では「自分で動かない」、「自分で成長しない」、「自分で生み出し続けない」が成り立つので「欠損部位」の認識になると思います。

この部位が生者の体に結合することで動き出すわけです。

ドナーも生きていながら、提供された側の体内でも生きるという特殊な状況も起こることになるのです。

これは所謂人間同士の合体と言えるのではないでしょうか。

ここで、移植された新しい臓器を動かしているのは、脳から送られる電気信号なので、脳が本体だという認識が生まれます。

つまり移植は譲渡であって合体ではないという認識ですね。

実際に身体から取り出した臓器や筋肉等も組織が死んでいなければ、体にくっ付けなくとも電気信号を送れば動かすことはできます。

するとここで言う本体の定義は指令を出す場所になってしまいます。

人体で指令を出す場所と言えば脳であり、脳は多くの細胞達からできています。

つまりこの細胞こそが「自分で動く」、「自分で成長する」、「自分で生み出し続ける」という事を兼ね備えた真の本体と言えるのではないでしょうか。

さらに深堀りをしていくと、その細胞達の始まりは両親の精子と卵子が結ばれた受精卵です。

さらに両親にはその両親がいて…と遡っていくと結局は一つの本体に辿り着きます。

地球で初めて生まれた生命とでもいうものですかね。

宗教的に言えば「創造の神」なんていう言い方もできるかもしれませんが、「生み出された人間達は皆兄弟」なんていう言葉も宗教観抜きで合理的にたどり着ける見解でもあるなと思う次第です。

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最終更新日  2020.08.01 08:16:01
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2020.07.31
テーマ:考え方(256)
カテゴリ:考え方
「肥える」というと人間が高カロリーの料理を食べ過ぎることによって肉体的に太るというイメージが一般的だと思いますが、味覚や触覚などの感覚についても「肥える」という現象が同様に起こります。

高価で美味しいものを食べ過ぎると、「普通の一般的な美味しさ」であっても物足りなくなったり、安くてチープなものに拒否感を示すようになったりもします。

自分の感覚をより高位なものにすることは必ずしも良いことばかりではなく、世の中の多くの事に対しての感謝の気持ちが薄れ、楽しむこともできなくなるというデメリットも生み出すことになるという事です。

一度レベルを上げて肥えてしまった感覚は戻すことが非常に難しくなります。

体重を落とす為のダイエットと同じように、生活水準を落とす事の難しさは「老後破産」という問題も引き起こすほどになっています。

老後破産とは、学生が運動部を辞めて受験勉強に取り組みだしてからも同じ量のカロリーを摂取し続けて太ってしまうパターンのように、定年後になってもバリバリに働いていた時のように収入が落ちた後も大きな出費を重ねることで貯金が一気に無くなってしまうということです。

人間は一度手に入れたものは離したくないという気持ちと、歳を重ねるほどにその手に入れたものも増えていくという流れ、そして積み上げて身に付いた感覚や習慣を変えることに抵抗が生まれるせいで、どんどん保守的になる生き物であると言えます。

このどうしてもどんどん肥えていく環境の中で満腹度を高く維持しながらも、ダイエットを達成する為に必要な事は、無かった頃の感覚に戻ってみる事だと思います

完全に記憶を消し去ることは無理ですが、人間は想像力によってイメージをすることならできると思います。

得る前の状態、積み重ねる前の状態、純粋無垢で綺麗だった時代。

そのように"無かった状態"に一度戻ることで、"今ある状態"への感謝の気持ちも自然と生まれてくると思います。

私も数年前の働き出した頃は貯金も100万や200万円ほどしかなかったのに生き生きしていました。

しかし、今は貯金がそれの何倍もあるのにもかかわらずトレードで数万円失うだけで、情けないことに苦しい気持ちが生まれる形になってしまっています。


肥えた状態を戻すためのダイエットは本当に難しいものではありますが、「幸せとは気づくこと」という言葉もあるように、今一度自分の中や置かれた状態に目を向けて「恵まれていること」探しをして満腹度を少し上げてみるのはいかがでしょうか。

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最終更新日  2020.07.31 07:43:07
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