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徳積みデイトレード

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考え方

2020.08.08
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テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
​​​​​我々の住む日本は海に囲まれており、多くの海の幸を食すことができます。

そして命を頂けることに感謝をして「いただきます」と言って我々は口にしていますが、感謝の度合いはどう異なるのかという疑問に突き当たりました。

海鮮丼の部類に入る、鉄火丼シラス丼​イクラ丼​



この三つについて比較をしてみようと思いました。


まずはどんぶりに入っている命の数の比較をしてみると、

鉄火丼はマグロ一匹のごく一部だけが入っています。

そしてシラス丼は何百という稚魚が入っています。

最後にイクラ丼はまだ命と言えない沢山の卵が入っています。

つまり命の数で並べてみると、

シラス丼 > 鉄火丼 > イクラ丼

と言えるのではないでしょうか。


次は、一つの命が何人の人々を美味しいと喜ばせられるかということついて比較してみると、

イクラ丼はまだ命と言えないという部分を考慮すると、

鉄火丼 > シラス丼 > イクラ丼

という事になります。

​マグロ​は体積が大きい分、多くの人々がその美味しさと栄養にあやかれることになります。

しかし、それは​マグロ​が何年間もかけて、毎日他の小さな命達を捕食して少しずつ成長してきたからこそ体も大きくなったのであって、シラス一匹とマグロ一匹の奪ってきた生命の数はとてつもなく大きな差があると言えます。

そう考えるとマグロ単体ではシラス単体よりも命が重いという結論に持っていく事ができます​​


人間においても、体の大きさは一定期間までしか成長しませんが、奪ってきた命の数と生きてきた年数はほぼ比例します。

人間がその時代の社会に対してどれだけ貢献したかや、どれだけ多くの人間に愛されているかの差異はあっても、高齢者は若者よりも遥かに多くの生き物の命を奪って生きてきたことは間違いないことです。

多くの命を奪うことを"罪である"という認識もできますが、それだけ"命が重い"という見方は変わらないと思います。

実際に自分自身で屠殺を行うことはあまり無いかもしれませんが、我々の手は他の生命達の血でまみれており、毎日寝る時には枕元に何千何万の命が立っているという事も間違いないわけです。

生きれば生きるほど日々積もっていく自分の命の重さを自覚して、今を生かしてくれている多くの生き物達への感謝の気持ちを忘れずに毎日を過ごしていきたいものです。

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最終更新日  2020.08.08 08:01:53
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2020.08.06
テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
自己啓発と言えば有名な成功者の本を読んだり、偉人の教えを学ぶことで自分が新たに生まれ変わり、意欲も上がって良い事尽くしというイメージがある方も多いと思います。

しかし、元々やりたいことも特に無く、なんとなく現状に不満があるような人の場合はデメリットが生じる場合もあります。

なぜなら自己啓発とは「自分のパフォーマンスを上げてもらう」ものではなく「自分のパフォーマンスを上げる為に役立てる」という潜在意識が無いと機能しない為です。

新たに自己啓発の知識を得ることができても、その通りに行動を起こさないと効果は薄く、逆に「何かやってる感」を得たことに満足し、実際に行動と自分自身の変化を起こさないような場合は時間の使い方としては勿体ないと言えるからです。

"知らなかったからできてない人間"ではなく、"知った上でできていない人間"に成り下がってしまうとも言えるのです。


闇雲な資格の取得に関しても同じように言える場面があります。

資格取得を趣味として楽しむ時間と割り切って行うのであれば良いと思いますが、自己成長の為の投資と考えるのならば、浅く広い知識の習得よりも今の足元にある仕事のパフォーマンスを上げるために必要な事に注視した方が良い場合もあります。

何故なら、人は物事を忘れる生き物でエビングハウスの忘却曲線によると復習をしなければ一日後には67%忘れ、一週間後には75%の事を忘れてしまうということが言われています。

何年も前に勉強した資格の数々の知識も結局消えてしまうリスクがあるのであれば、今目の前にある問題を解決するために必要な知識を取り入れる事に今の時間を割いた方が良いとも言えるわけです。


自己啓発という良い響きに捉われ過ぎて、新たな自分に変えてもらえるという他人頼みのイメージではなく、今の自分があってその自分を育てるという主体的な自己改善の意識が特に大事だと思う次第です。

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最終更新日  2020.08.06 07:44:11
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2020.08.04
テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
完璧主義というと何事にもストイックに取り組み理想が高く向上心を持っているという良い面もあります。

しかし、自分が描く"完璧"が崩れてしまうとたちまちメンタルが崩れやすくなるとも言え、完璧主義=逆境に弱いとも言うことができます

例えばアクションゲームではよくプレイヤーの体力(HP)を回復するアイテムが存在するものですが、HPが満タンでないと不安になり、少しでもHPが減った状態になるとその事が気になって集中力が下がる場面なんかがあります。

ボス戦などの少しの隙も許されない戦闘時においては、逃げ腰になって無理に回復しようとすることで逆にやられてしまうパターンも良くあることです。

このような完璧主義のタイプの人は、失ったり欠けてしまったことに捉われ過ぎず、割り切って「今持っているものを最大限に活かす」という意識に持っていくことが大事だと思います

FPSのゲームにおいても、乱戦時には一番攻撃力や精度が高いからと言ってメインウエポンのアサルトライフル等をリロードするよりも、その時間を使って性能の劣るハンドガンに持ち替えて戦いきった方が良い場合もあります。


人間社会で"欠けている"と言えば障害者達も当てはまります。

確かに欠けている部分があるとは言えども、そのおかげで逆に発達する部分もあると言えます。

例えば視力を失った方であれば、状況を判断する為には耳や鼻を集中的に使うことになるのでその部分が発達するケースもありますし、足が動かなくて車椅子生活をされている方はその分腕力が付くことにも繋がります。


トレードにおいても完璧主義であることは良くない面があります。

相場というものは大きく分けて上昇トレンド、下降トレンド、レンジ相場に分かれますが、どの状態にも完璧に対応できる一つの手法を作り上げることは難しいと言えるからです。

更に「利益=期待値×エントリー回数」なので、期待値をとエントリー回数は反比例するように出来ている為、沢山のチャンスに出合って毎回大きく利益を伸ばすなんてことは非現実的なことになります。

そのような完璧主義思考による"聖杯"を得ようとするわがままな行為は現実にはどうしてもマッチしないのです。

ですので、トレードに向き合う際は自分都合の完璧主義ではなく、そもそも自分の思い通りにならないと理解して割り切り、予想を裏切られた時にも冷静になって、他人都合によって動く実際の相場に合わせて自分ができる範囲の事をしていくことが大事なのではないでしょうか。

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最終更新日  2020.08.04 07:36:25
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2020.08.02
テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
時代劇やゲームなどの刀を持って戦うシーンでよく見る武者忍者

19世紀以前の人殺しによる略奪征服が行われ、いかにも野性動物的な思考が強かった時代に実際にあったお仕事です。

両者はある意味対極的な立ち位置にいます。

武者は主に大規模戦争や治安維持のために戦い、集団行動の中で「義を重んじる」規制有の秩序によって統括されています。

一方で忍者は諜報活動や潜入工作を行い、単独行動の中で「何でも有り」の実力行使による暗殺まで行います。

日本では武士道の精神が良い意味で認知されており、外国では忍者の方が認知度も高く人気な傾向があります。

「集団主義と秩序(強硬性)」と「個人主義と無秩序(柔軟性)」という対比ができるのかもしれません。


武者や忍者による人殺しが活躍していた時代とは違い、現代では直接人間が殺し合わずとも資本主義による金を使った戦争へとシフトされている傾向があります。

金持ちが金を使って非人道的な行為であっても、より金持ちになろうとして行動を行うという事です

例えば東南アジアは固定相場制を狙ったヘッジファンドによる国家への意図的な通貨の空売りで不況へと追いこむようなことも起きています。

世界の覇権を争う中国とアメリカの経済戦争もますます過激になっていっております。

もちろんトレードにおいても血は流れないですが、命に直結する金を奪い合う戦争と言えます。

個人トレーダーが無秩序である相場の世界を生き抜くためには柔軟な対応が迫られるので、武者というよりも忍者のような戦い方が適合する形になるのではと思います。

いつの時代も戦いは無くなりませんし、その中身も高度に進化していくことは間違いないと思います。

しかし、実際に命をかけて戦っていた先人達に学べることも多いのではないでしょうか。

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最終更新日  2020.08.02 08:26:21
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2020.08.01
テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
我々生き物は体で生成された部位が欠け落ちることが度々行われています。

例えば伸びた爪を切ったり、美容院で髪型を整えたりといった際にです。

悲惨な事に大きな事故で腕や足を失ってしまったような方々も世の中には存在します。

ここで、体から離れた爪や髪の毛は、元々自分の一部であったが、離れてしまうと忽ち自分ではなくなってしまったと言えるわけです。

こうして「残った本体」と「離れた部位」という二つの部分に分かれることになりますが、何が違うのかという疑問に突き当たります。

私は大きく分けて三つの違いがあると思いました。

まず一つ目の違いは自分で動くかどうかという点です。

切れた腕や抜けた毛は動かないですが残った身体は動きます。

次に二つ目の違いは自分で成長するかどうかという点が考えられます。

少しずつ伸びていた爪や髪も切れたらそこで栄養補給が行われなくなって成長が止まってしまいます。

三つ目の違いは自分で生み出し続けるかどうかという点だと思います。

これは二つ目の「自分で成長するかどうか」にニュアンスは似てはいますが、同じものが大きくなることと、新たなものを生み出すことの違いがあります。

例えば生きている人間は知恵によって新しい技術を発見して創造したり、子どもを作ったりということが行えるわけです。

以上の三点の違いは「本体と欠損部位」の比較だけでなく「生者と死者」の違いの認識にも置き換えることができると思います

「自分で動かない」、「自分で成長しない」、「自分で生み出し続けない」が揃えば「死者」と言えるのではないか?というわけです。

生と死の間の判別が難しい状態として、脳死状態の植物人間と言われる状態が問題となっております。

この場合で言えば、他者無しでは「自分で動かない」、「自分で成長しない」、「自分で生み出し続けない」は成り立っていると言えますので個人的には「死者」の部類に入れても良いと思います。

しかし、患者の事を大切に思う人々からすれば、別れは辛いものであり、その延命をやめるという決断を委ねられることも辛いものであります。

更にこの国では、安楽死や尊厳死が認められていないこともあって更なる複雑な葛藤が生まれるというのが実際のところだと思います。

それでは「臓器移植」についてはどうでしょうか。

ドナーから切り離された臓器単体では「自分で動かない」、「自分で成長しない」、「自分で生み出し続けない」が成り立つので「欠損部位」の認識になると思います。

この部位が生者の体に結合することで動き出すわけです。

ドナーも生きていながら、提供された側の体内でも生きるという特殊な状況も起こることになるのです。

これは所謂人間同士の合体と言えるのではないでしょうか。

ここで、移植された新しい臓器を動かしているのは、脳から送られる電気信号なので、脳が本体だという認識が生まれます。

つまり移植は譲渡であって合体ではないという認識ですね。

実際に身体から取り出した臓器や筋肉等も組織が死んでいなければ、体にくっ付けなくとも電気信号を送れば動かすことはできます。

するとここで言う本体の定義は指令を出す場所になってしまいます。

人体で指令を出す場所と言えば脳であり、脳は多くの細胞達からできています。

つまりこの細胞こそが「自分で動く」、「自分で成長する」、「自分で生み出し続ける」という事を兼ね備えた真の本体と言えるのではないでしょうか。

さらに深堀りをしていくと、その細胞達の始まりは両親の精子と卵子が結ばれた受精卵です。

さらに両親にはその両親がいて…と遡っていくと結局は一つの本体に辿り着きます。

地球で初めて生まれた生命とでもいうものですかね。

宗教的に言えば「創造の神」なんていう言い方もできるかもしれませんが、「生み出された人間達は皆兄弟」なんていう言葉も宗教観抜きで合理的にたどり着ける見解でもあるなと思う次第です。

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最終更新日  2020.08.01 08:16:01
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2020.07.31
テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
「肥える」というと人間が高カロリーの料理を食べ過ぎることによって肉体的に太るというイメージが一般的だと思いますが、味覚や触覚などの感覚についても「肥える」という現象が同様に起こります。

高価で美味しいものを食べ過ぎると、「普通の一般的な美味しさ」であっても物足りなくなったり、安くてチープなものに拒否感を示すようになったりもします。

自分の感覚をより高位なものにすることは必ずしも良いことばかりではなく、世の中の多くの事に対しての感謝の気持ちが薄れ、楽しむこともできなくなるというデメリットも生み出すことになるという事です。

一度レベルを上げて肥えてしまった感覚は戻すことが非常に難しくなります。

体重を落とす為のダイエットと同じように、生活水準を落とす事の難しさは「老後破産」という問題も引き起こすほどになっています。

老後破産とは、学生が運動部を辞めて受験勉強に取り組みだしてからも同じ量のカロリーを摂取し続けて太ってしまうパターンのように、定年後になってもバリバリに働いていた時のように収入が落ちた後も大きな出費を重ねることで貯金が一気に無くなってしまうということです。

人間は一度手に入れたものは離したくないという気持ちと、歳を重ねるほどにその手に入れたものも増えていくという流れ、そして積み上げて身に付いた感覚や習慣を変えることに抵抗が生まれるせいで、どんどん保守的になる生き物であると言えます。

このどうしてもどんどん肥えていく環境の中で満腹度を高く維持しながらも、ダイエットを達成する為に必要な事は、無かった頃の感覚に戻ってみる事だと思います

完全に記憶を消し去ることは無理ですが、人間は想像力によってイメージをすることならできると思います。

得る前の状態、積み重ねる前の状態、純粋無垢で綺麗だった時代。

そのように"無かった状態"に一度戻ることで、"今ある状態"への感謝の気持ちも自然と生まれてくると思います。

私も数年前の働き出した頃は貯金も100万や200万円ほどしかなかったのに生き生きしていました。

しかし、今は貯金がそれの何倍もあるのにもかかわらずトレードで数万円失うだけで、情けないことに苦しい気持ちが生まれる形になってしまっています。


肥えた状態を戻すためのダイエットは本当に難しいものではありますが、「幸せとは気づくこと」という言葉もあるように、今一度自分の中や置かれた状態に目を向けて「恵まれていること」探しをして満腹度を少し上げてみるのはいかがでしょうか。

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最終更新日  2020.07.31 07:43:07
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2020.07.30
テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
私はバイクでサーキット走行を楽しんで一区切りをつけた後、バイクを売り払って趣味はインドア中心になり、主にオンラインゲームをメインに楽しんでいました。

そのオンラインゲームでは、戦争というコンテンツがあり複数のギルドと呼ばれる集団同士で競いあうものでした。

そのコンテンツは「他プレイヤーを全滅させれば勝ち」というものではなく、プレイヤーは何度でも復活ができて「自分の拠点を最期まで守り抜いたら勝ち」という形でした。

つまり、単一のギルドが強過ぎた場合は、他の弱小ギルドが結託して集中攻撃することによってゲームバランスが上手く取られているというわけです。

また、ギルドが一対一の戦いになる場合も、人海戦術による少数精鋭VS烏合の衆という構図で上手く力のバランスが取れることもありました。


オンラインゲームのバランスの話だけではなく、この世の中においても少数精鋭と烏合の衆の対立の構図は終わらないと思います。

例えば選りすぐりの優秀な者を10人集めた場合でも、どうあがいても多少の能力差で順列が付くものです。

更にパレートの法則で「上位2人と下位8人」の2:8の構図に分かれたり、2-6-2法則によって、どうしても「優秀な2人と中間の6人と劣等な2人」の2:6:2の構図に分かれてしまいます。

ここで、優秀な上位2人と言えども、流石に他全員を束ねた8人には勝てない場合が多いと思います。

ですので、個人が強くなろうと吐出するだけでなく、弱い人の心に寄り添って集団を束ねる能力がいつの時代にも必要になるという事が言えるわけです

もちろん上位の才能を持った者が他の者に足を引っ張られて力を伸ばせなくなることも同様に良くは無いことです


このように集団での対立や内部分裂が発生した時には、自分側だけでなく相手側の思想が生まれる原理や気持ちを理解することが大事であり、またそのバランスを考えることも大事なことと言えるのではないでしょうか。

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最終更新日  2020.07.30 07:59:21
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2020.07.20
テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
漫画やアニメ等で舞台になった実際のリアルの世界にある既存の地域は「聖地」とも呼ばれ、作品のファン達が訪れることによって観光業が活性化することがあります。

もともとその地域にあった歴史や文化とは別に、フィクション作品によって新しく作られた付加価値によって人が集まる形になるという事です。

もちろん漫画やアニメの舞台にするだけでなく、「ご当地ゆるキャラ」なんていうものを新たに作ることなんかでも、付加価値が生まれて可愛いもの見たさに人が集まるなんてことも起こります。

このようにして既存のものに付加価値を加えることで人々の注目を集められますが、更に既存のものに再び焦点を当てる事自体が世の中の為になることも同時に言えます

例えば、生きていく中で必要になったり、知っておけば役に立つ情報を再発信することです。

過去に何度か世に発信されて評価されたことがあっても、時間が経つと記憶から薄れていくものです。

更に人間界では次々と新しい世代が生まれてくるので、その情報を初めて受け取る人間は常に存在するということも間違いではありません。

時間が経って一度廃れても「時代は繰り返す」ものであり、本質を突いているものはいつの時代にも「良い物は良い」と言えるものです。


物事の本質を突いている情報とは、例えば"偉人の名言"なんてものが挙げられます。

とても昔の時代に発言された言葉であっても、時代を超えて伝えられる名言にはどこかに物事の本質を捉えている部分が必ずあるということです。

物事の本質とはつまり世の中の仕組みの答えであり、今後も上手く活用していける可能性が高い知識と言えます。

たとえその情報が既知であったとしても良い復習になりますし、このようにして有益な情報を再び世に発信することは必ず世の中の為になる部分があるというわけです。


元々ある"既存のもの"に対して新たに付加価値を付ける事、そしてもう一度世に発信する事は両方とも積極的に行っていくべきことではないかと思う次第です。

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最終更新日  2020.07.20 07:22:12
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2020.07.18
テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
​​​​​​​​​​​​​​​「有機」と「無機」と言われても、化学が苦手な方はあまりピンと来ない方もいらっしゃると思います。

「有機」とは炭素(C)が構造に入っているものです

酸素と結びつくことで二酸化炭素や一酸化炭素を排出して、基本的に燃えるもの全般という見方もできますね。

「無機」とはそれ以外です

鉄や酸素や水などの​​​​​​​炭素が構造に入っていないもの全部です。

我々人間は炭素を多く含む有機生命体と言えます。

有機生命体はとても良くできています。

他の有機生命体を食べて補給するだけで、体は急速に成長して、体内でも物凄く複雑な生命維持活動が行われています。

更に、この星で一番賢い有機生命体である人間は、多くの事を発明し生み出してきました。

そして今や人間を超えるものまで生み出しています。

人間の力ではどうしても足りない場合に機械やロボットを使用したり、人間の頭脳ではどうしても計算できないことをコンピュータに計算させたりといった部分です。

この「機械」「ロボット」「コンピュータ」は潤滑油等の一部を除けば基本的に多くの部分を無機物で構成されています。

電気等のエネルギーの補給が必要にはなりますが、無機物でありながら仕事を行える無機生命体という見方もできると思います。

人間というこの星最高の有機生命体でもこれらの無機生命体に勝てない部分があります。

有機生命体←→無機生命体
柔軟性があるが身体的能力は低い←→特化性があるが能力はどこまでも上げられる
食料補給が必要で寿命がある←→エネルギー補給は必要だがパーツの交換によって寿命は無限
感情があり心が乱される←→いつでも指示通り論理的に動ける

などです。

人間は今や人工AIというものまで開発し、どんどん有機生命体を凌駕した本当の意味での無機生命体を作り出そうという流れに乗っています。

私はこの流れが続く限り将来にはあらゆる面で人間を超える無機生命体が誕生し、最終的には人間を超えて地球の頂点に立つと考えています。

それは我々人間にとっては悲劇ですが、地球レベルで見れば進化だと思っています。

私は地球上で有機生命体達による進化レースが行われているのは、地球の寿命が尽きるまでにこの星から巣立っていけるような有能な生命体を生むためだと考えています

人間さえもその為の布石だという考え方です。

有機から無機へ向かうこの状況をあなたはどう考えますか?

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最終更新日  2020.07.18 08:11:03
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2020.07.14
テーマ:考え方(194)
カテゴリ:考え方
日本は民主主義国家であり、選挙は多数決で行います。

つまり国の予算配分を決める政治家になる為に選挙で勝つ為には「多くの票を集める事」が必要なわけです。

日本においては、年齢別の人口比の偏りが大きい為、若者が幸せになる政策ではなく、シルバー層が幸せになる政策を掲げないとまず"政治家になる"というスタートが切れないのが現状で、シルバー民主主義なんていう言葉も生まれています。

今のシルバー層はベビーブーム等で生まれた時から世代の人口が多かったことで、老いて死ぬまでの間を"数が多かった"という単純な理由で常に選挙を有利に進められ、日本の与党でいられています。

自分の(年代の)幸せを願うことが当たり前で、そのような政策に対して投票するからです。

そして数が多いという自分の世代の強みを手放してまで、「多数決で決める」というシステムをまず変えようとはしません。

…これは本当に世の中を良くしていけるシステムだと言えるでしょうか?

多数派を占める老人が他界していくまでの期間は若者の世代の意見は通らないようなシステムがベストと言えるでしょうか?

日本内部だけで見れば、この老人延命の為の闇の期間を耐えれば、若者向けの教育や成長への投資が再び始まるかもしれませんが、他国との競争においては大きく出遅れてしまうことにも繋がると思います。


今のヨーロッパでは移民問題が深刻になっています。

移民に対して投票権を与えるかどうかの基準はEUの国それぞれですが、移民と原住民の混血が進めばいずれ投票権を得ることになります。

そして1票の価値が原住民と同じになれば、移民達は単純に「子供を多く産む」行為を頑張ることで元の国の政権を握り、元々あった固有の文化を塗り替えることもできるわけです。


「みにくいアヒルの子」という童話はご存知でしょうか。

アヒルの集団の中に白鳥が1匹いるような状態だと、その白鳥がいじめられるだけでなくアヒル達にとってもどうしても不備が生じてしまう事が描かれ、逆に同じ種族達の元に帰れることがハッピーエンドに繋がっています。

この物語のように、文化や思想の大きく違う人々は無理に混血しなくても分かれて住むという選択の方が良いと個人的には思っています。


世の中には「貧乏子沢山」という言葉もあります。

教養が低いと理性よりも生理的欲求が強くなったり、貧乏で娯楽が少ないことで性欲発散が活発になるという部分が関係していると思います。

個人的には、教養の低い貧乏層が子供を増やすという生理的現象を使って国の与党になり、体質を染め変えていくことに対しても危機感を感じています。

日本はお金が無くても子供を育てやすいように補助金を出していますしね。


人々を平等に扱う理念から始まったこの多数決ですが、必ずしも万能とは言いきれないスタイルであると言えるのではないでしょうか。

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最終更新日  2020.07.14 07:26:05
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