『春夏秋冬そして春』キム・ギドク〔金基徳〕監督(2003韓国・ドイツ)
春夏秋冬 そして 春
Fruhling, Sommer, Herbst, Winter... und Fruhling
キム・ギドク(金基徳)
Kim Ki-duk
102min(1:1.85)
韓国語
(桜坂劇場 ホールBにて)
まともに韓国映画を見るのは昨年10月8日と9日にレビューを書いた『シークレット・サンシャイン』と『ユア・マイ・サンシャイン』、チョン・ドヨン主演の2本の「サンシャイン」に続き3本目。だから本国よりも欧米で評価の高いキム・ギドク作品を見るは初めて(この映画もドイツと共同製作)。この後同監督の『ブレス』と『悲夢』も見にいく予定だ。
韓国の山間にある小さな湖。元々は人造湖らしいが、湖中に樹が生えた緑の中の美しい自然。そこに浮かぶ小さな仏教(禅宗?)の僧院(映画のために作られたセットで、寺は実在しない)。外界とはボートで行き来するしかない孤立した世界。そこに老住職(?)と若い修行僧がいた。題名が示すように春、夏、秋、冬、春の5部からなり、修行僧はそれぞれおおよそ10才、20才、30才、40才、50才。「冬」に新しく連れてこられた赤ん坊が、最後の「春」には成長して最初の「春」の主人公と同じような少年となり、円環構造を成す。2つの「春」の少年は同じ子役が演じる。
春:このパートの象徴は犬らしい。少年は魚、蛙、蛇に小石を付けたひもを結びつける。小石の重さで思うように動けないのを見て面白がっている。その様子を住職は陰から見ていた。深夜少年が眠るのを待って、住職は少年の背中に大きな石を縛り付けた。朝起きた少年は背中の石をとってくれと言う。住職は前日の生き物の小石を取り除くことが先だと言い、1匹でも死んでいたら一生その石を心に抱えて生きるのだとたしなめる。少年が重い石を背負い、昨日の場所に行くと、魚は死んでいた。まだ生きていた蛙は小石を取り除いて解放することが出来たが、蛇は他の動物に襲われたらしく血を流して死んでいた。自分のしたことの重さに少年は泣き出してしまう。
この映画に監督が込めた仏教的思想は正直なところ良くは解らない。しかしこの最初のエピソードで重要なことは、人の罪深さの認識であり、心に石を抱えて生きていかねばならないという住職の言葉なのだが、赤ん坊から無邪気に育った少年が、ここで内的「罪意識」を持たされたということだ。
(つづく)