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カテゴリ:フランス映画
LE MONDE DE MARTY
Denis Bardiau 89min 寸評:まったく期待していなかったのだけれど思わぬ見つけ物だった。治癒が困難で余命のわからない10才の少年と、思考はしっかりしていて人の話も理解できるが全身不随で話すこともできない70才の老人との心の交流という、決して明るくはないテーマだけれど、お涙ちょうだいではない清々しい後味の、静かに感動できる良い映画だった。 7月29日に亡くなったフランスの名優『ミッシェル・セロー』が出演しているので、DISCASの予約リストの下の方にあったのを繰り上げてレンタルした。予約リストの下の方に入れてあったのは、セローだからフランス映画だと思いつつも題が「約束 ラ・プロメッサ」とイタリア映画っぽいので、お涙ちょうだいの泣かせ映画ではないかと警戒していたのだ。「約束」はフランス語なら「ラ・プロメス」で「ラ・プロミッセ」と副題もイタリア語風。と言ってもイタリア語なら「ラ・プロメッサ」のはず。一体何語なのだろう。原題はフランス語で LE MONDE DE MARTY。「マルティーの世界」だ。映画を見て解るのはマルティーは主人公の10才の男の子マルタンの愛称。 北フランスの海岸から遠くない都市という設定だろうか。病院の小児病棟に入院している10才の少年マルティー。特別な治療を終えたマルティーは治療室のガラス張りの向う側で病状の思わしからぬことを母親に話している主治医の唇を読んでいる。でも治療後のマルティーは元気だ。スケボーで病院内を走り回る。廊下の壁に張られたクストーの映画『沈黙の世界』LE MONDE DU SILENCE の文字にイタズラ書きをして「 老人病棟には脳内出血か何かで全身不随の70才の老人アントワーヌ・ベラン氏がいた。随意的に動かせるのは目蓋の開閉、眼球を左右に動かすこと、そしてたぶん食物のスプーンを差し出されたときの口の開閉、それだけだ。アルツハイマー病とされていて、周囲の人々は他人の話も理解しなければ正常な思考もないと思って接している。本人も自分をアルツハイマーと思っているのだろうが意識はいたって正常だ。例えば病室にあるコイン式のテレビで映画を見ていてもいいところで切れてしまい、テレビの上に用意してあるコインを入れれば続きを見れることを知っていてるが、自分でそのコインを入れることも出来なければ、それを誰かに要求することも出来ない。正に「沈黙の世界」を余儀無くされている。映画では彼の考えることがモノローグとして語られる。 そんな不動で沈黙の老人をある日マルティーは病室に発見する。最初彼にとっては面白いオモチャだ。生きているのに動きも話しもしない不思議な人間、あるいは物体か(?)。マルティーは老人の病室をしばしば訪れるようになる。調子が良ければ今はまったく元気だけれど、やがて訪れるだろう病身と死を10才にして待つマルティーにとって、周囲の人間は恐らくマルティーにとって皆同じように自分とは違う人々だ。そんな彼が興味を示したのは不動で沈黙の老人アントワーヌ。心を通わせることのできる何かをマルティーはアントワーヌの存在に見たのだろうか(?)。寂しく不安な夜、彼はアントワーヌの病室にもぐり込み、空いている隣のベッドで寝た。マルティーの母親はそんな子供の姿を知り、老人の病室に息子を同室させてくれと依頼する。最初は拒否されるが特例的に入れられ、マルティーはアントワーヌと同室することになった。 イタズラをも伴っていたから、老人アントワーヌも心中ではうるさいガキと最初は敬遠していたが、マルティーの一方的なアプローチで(なにせアントワーヌは何も意思表示することもできないから)段々に互いに心を通い合わせるようになっていく。マルティーが質問をし、アントワーヌが目蓋の動きの違いでOUIかNONで答えることが出来るようになる。アントワーヌはOUIかNONを表明するしかないから、すべてマルティーの側が必要な質問をしなければず大変だが、トランプのゲームも出来るようになる。カードを配って机の上に置いたアントワーヌの手にカードを握らせ、出すカードを端から「これ?、これ?、これ?」とマルティーが問えばアントワーヌは目蓋でそれを示すことが出来る。アントワーヌの意志の表明によってゲームは立派に成立する。こうなると大人のアントワーヌはマルティーより強かったりする。我慢できないとアントワーヌの示したカードを無視して別のカードを取り上げマルティーはズルで勝ったりするが、不随のアントワーヌにはそれを阻止できないが、そんなことも互いに心を通わせる結果ともなっただろう。たかがカードだけれど、2人の関係にはない実際の健常人の友人関係ならば、甘え、我の張り合い、小さな裏切り、和解などが色々あるはずで、そんな象徴でもあるだろう。こうしてアントワーヌは「沈黙の世界」から引き出され、意志の表明が出来るようになるが、それはそれはマルティーが「マルティーの世界」にアントワーヌを無理矢理引き込むことでもあり、正に冒頭のマルティーのイタズラ書きだ。 (以下ネタバレ) しばらくしてマルティーがアントワーヌの病室に何日も戻って来ない。アントワーヌは寂しくもあり、また不安でもあった。どちらかと言えばコミカルな映画の作りで、病院や医師・看護士等の適当さを表立って批判してはいない様子だけれど、これがけっこうひどい。そんな中で交代した若い新任のアントワーヌ担当看護婦ミリアムはまともで献身的、心がある人物として描かれている。アントワーヌは病気以前からもともと偏屈ジジイだったらしいけれど、ミリアムは美人で優しく献身的なのでアントワーヌもお気に入り。そんな彼女もやがてアントワーヌとの目蓋によるコミュニケーションを解するようになる。やっとのことでアントワーヌの疑問を知ったミリアムは、車椅子にアントワーヌを乗せ集中治療室に連れていく。ガラス張りの治療室の中でマルティーが特殊な治療を受けているのを廊下からアントワーヌは見た。元気そうでやがて退院するだろうぐらいに思っていたマルティーが実は小児ガンにおかされていたことをアントワーヌは知るのだ。同じ頃、毎日元気そうに夫アントワーヌを見舞っていた妻が病に倒れて死んでしまう。 治療を終えてマルティーはまたアントワーヌの病室に戻ってくる。アントワーヌにとっては自分には何も言わなかった妻が死に、またマルティーが小児ガンであることを知ったこと、マルティーにとってはガラスの向う側で話す医師の唇を読んで、治療の効果が薄くいよいよ自分の状態が思わしくないことを知り、また自分も仲良くしていたアントワーヌの妻が死んだことを知って、2人の心のつながりは更に深くなっていた。クリスマスの晩マルティーはアントワーヌと病院を抜け出す計画を実行する。以前アントワーヌを見舞いにきた友人が今は店をやっていることをマルティーは知っていた。そこにはアントワーヌのかつての同僚たちや友達が集まるのだ。マルティーはアントワーヌに服を着せ、車椅子に乗せて深夜病院を脱走した。街のオモチャ屋のショーウインドウで好きなレゴのディスプレーを一緒に見た後、マルティーは道に迷いながら何処かに向かおうとしていた。アントワーヌはなされるがままに任せるしかなかったが、マルティーがやっと到着したのは見舞いに来た友人の店だった。そこでアントワーヌはかつて親しかった友人たちと楽しい時間を過ごすことができた。 そんな友人の一人の車で2人は夜明けの海岸にやってきていた。車椅子を押して砂浜を海辺の方へ向かうマルティー。そんな2人の様子を友人は遠く車から優しく見守っていた。アントワーヌは何かを言おうとしていた。それを察したマルティーはアントワーヌのポケットに自分宛ての封筒を発見した。中にはミリアムに書いてもらった手紙とテーマパーク・レゴランドのパスポートが入っていた。喜ぶマルティーを見ながら「生きるんだぞ!」と心の中で叫ぶアントワーヌだった。 この映画はやはりセローが名演ですが、明るくはないはずの背景を暗くは描いておらず、病院や医師の問題点も茶化している感じで、全体をコミカルなタッチにしているのが良かったです。こういう方が派手な暗さやお涙頂戴よりかえってジンワリと心に沁み入ります。人はどんな状況になっても最後まで誰か人との心の交流を必要とすることがしみじみと描かれていました。そして医療の場ではそういうQOLを大切にするべきだとも語っているようでした。 この映画の主人公は小児ガンの10才の少年でしたが、ムコ多糖症という先天的な子供の難病があることを、良く訪問してくださり、またボクもしばしばお邪魔するブログの オコ*ジョーさんが日記に書かれていました。ここにご紹介させていただきます。 http://plaza.rakuten.co.jp/okojyo3/diary/200709010000/ 監督別作品リストはここから アイウエオ順作品リストはここから 映画に関する雑文リストはここから お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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