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2008.05.04
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ミヒャエル・ハネケ監督へのインタビューから

haneke_h.jpg

ここのところオーストリアの問題(?)、鬼才(?)映画監督ミヒャエル・ハネケの作品を見たり、(1年以上も前に見た『隠された記憶』の)レビュー書いたり。ネットでみつけたハネケ監督へのインタビューをちょっと紹介します。どちらも原文はフランス語ですが、逐語訳では著作権の問題もあるだろうから、「こんなインタビューを読んだよ」ぐらいの軽いノリの意訳/要約でいきたいと思います。



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haneke_haneke.jpg

『ファニーゲーム』のアメリカ版リメイクは「映画に暴力を使うことに反対する目的か」と問われたハネケはドイツでの最近の出来事を2つあげている。一つはドイツの学校で起こった事件。女子生徒が別の女子生徒を地面に倒して、顔を殴る蹴るの暴行をはたらいた。ところが周囲にいた他の生徒たちは、その様子を携帯電話で動画録画していただけだという。この事件は良家の子女の通う学校だった。もう一つはドイツの若者の一部で流行っているゲーム。数人で喫茶店に行って、一人が、老人の飲むコーヒーカップを取って老人の顔にぶっかける。残りの若者はそれを写真に撮り、「ジョーク」としてネットに画像を配信する。

呉宇森(ジョン・ウー)とタランティーノの映画を相変わらず監督は嫌悪するかと問われたハネケ。彼らの作品は無責任だとハネケは言う。アメリカ的発想があって、この問題をタランティーノと議論しようとしても、それは不可能だ。彼はこちらの言うことを理解できずに、我々を単なるバカと思うだろう。2人が有能な映画職人であることは確かだ。ジョン・ウーはフレッド・アステアの大ファンで、アステアが踊りでやったことを自分は暴力でやる、なんて言っている。こうした映画作家は映画には実体は伴わないと考えていて、現実とは無関係だから何を描いても良いと考えている。

『ファニーゲーム』は新たな『ソドムの市』なのでは?。この映画は自分が最も衝撃を受けた作品だ。ミュンヒェンで見たときのことを今も良く記憶している。満席800名いた観客が、30分後には半分になり、1時間半後には30名となり、最後には5~6名が残っただけだった。衝撃的で観て2週間ぐらい病気だった。このとき、暴力、精神的&肉体的苦痛が何であるかを知った。そして当然、自分も同じようなことに到達できないかと考えるようになった。1年前にDVDを買ったが、まだ観られないでいる。

元祖『ファニーゲーム』でウルリッヒ・ミューエとアルノ・フリッシュがいわば『ベニーズ・ビデオ』と入れ代っているのは意図的だったのかという問いにハネケは、ミューエは好きな役者だったのでこの2作品にも『カフカの「城」』でも使った。フリッシュはもともと役者ではなく知合いの家族の息子で、役に最適だと思っただけだ。適当な役者がいれば『ファニーゲーム』ではプロの役者を使いたかった。その方が『ファニーゲーム』の持つ風刺的意味をより強化できたと思う、と答えている。

アメリカ版リメイクの原典である『ファニーゲーム』は、今では恐怖映画の最高峰のカルト映画と捉えられてもいるから、監督の目的としたことから離れてしまってはいないか。と問われたハネケは、特に英語圏でこの作品のDVDがカルト化している事実を認める。しかしこの暴力の問題を扱うのに、他のやり方がそうたくさんあるわけではないと言う。暴力が不快だと人は知っているけれど、それを頭で解らせるのと、感性的に嫌悪感を感じさるのではまったく違う。どんなに暴力的な映画でも「観る楽しみがある」映画はあるけれど、そうではない映画を作るのはそう簡単ではないとハネケは言う。そこにある程度の誤解があっても仕方がない。子供の頃遊園地の恐怖ハウスに入るのは恐かったけれど、でもそれは自分の勇気を証明したいがためだった。15~16才の少年にとっては、それと同じような意味が「ファニーゲーム観た?」っていうのにあるということだ。

(出典:DVDRama)

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(ベニーズ・ビデオ、コード・アンノウン)
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(セブンス・コンチネント、71フラグメンツ)




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haneke_actrice.jpg

何故『ファニーゲーム』のUS版リメイクを撮るのか。『ノーカントリー』なんていう映画がまさにそうだけれど、今は『ファニーゲーム』の1997年より更に映画に描かれる暴力がエスカレートしている。暴力シーンを見て観客が喜びとするというのは、正直不可解だ。派手な爆破シーン、華麗な事故シーン、壮大な虐殺。ただもちろん、映画が一定の良い終わり方をすること、主人公が立派に描かれること、それが条件だ。つまりは暴力のコード化の規則が満たされているという条件。

それを粉砕したかったのかというと、むしろ明示したかった。先のコードに従わないと、暴力は不快なものであるということを。

なぜ前作と同じものをリメイクするかと言えば、もともとハリウッド映画のコード化された暴力を問題にした前作が、アメリカでは英語以外の映画は配給もされないし、観る人も少ないので、あまり観られていない。そしてビデオゲームで育った世代にも観てもらえるかとも思ったからだ。

どうしてセリフなど一文一句変えなかったかと言えば、前作の完成度が高いと思うからで、同じ室内配置や同じ光線などを実現するのに苦労した。「芸術映画」として受容されない方が嬉しい。『ファニーゲーム』は知識層ではなく大衆に観てもらうための映画だ。

撮影中の困難はたくさんあった。製作者が、描写を和らげること、音楽を入れること、要するにディズニー化した、より穏健な作品にすることを要求したからだ。幸い最初からファイナル・カット(最終編集権)まで自分が確保する契約があった。

あなたの作品作りは特殊で、見せるための映画作品を提供すると同時に、映画作品のあり方の批判をもしている。哲学と心理学を学び、映画批評をし、という経歴のせいかも知れない。舞台と観客の関係性が大きな問題となる舞台演出を長らくしていることもある。映画では反応が速い。だから挑発にも向いている。『ファニーゲーム』で男の子の殺害を描けば、即座に家族の日常の破壊を描けるし、不快を与えられる。この転覆に達するやり方は他にもあって、『コード・アンノウン』や『ピアニスト』では別の手法を用いている。

あなたは最初の映画から既に今までにない道を選んでいますね。1989年の『セブンス・コンチネント』は喪失の人生よりも自殺を選ぶ家族を描いた。続く『ベニーズ・ビデオ』『71フラグメンツ』『タイム・オブ・ザ・ウルフ』では、映画は我々の感情を消しゴムで消してはいないか?、という問いがあった。それで『ファニーゲーム』が生まれた。観客はそれぞれ満足いくラストを期待するが、少しずついちばん望まないラストが課されることになる。

そのあり方は一種不条理ですね。カフカの『城』に興味を感じたのもそれが理由だった。従来の語り(ナレーション)のあり方に対する疑問だ。

あなたは批評的映画作家ですか?という最後の質問に対してハネケは、自分は疑問を提示する語り手であり、あるときは恐怖を感じながら、あるときは皮肉を込めて、またその2つ同時に持って作品を作っている、と答えていた。

(出典:Le Nouvel Observateur誌)

haneke_ost.jpg haneke_us.jpg
(ファニーゲーム、ファニーゲームUS)
haneke_loup.jpg haneke_pianiste.jpg
(タイム・オブ・ザ・ウルフ、ピアニスト)




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Last updated  2008.05.11 05:59:22
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