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2008.06.18
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テーマ:DVD映画鑑賞(9071)
カテゴリ:ヨーロッパ映画
MANDERLAY
Lars von Trier
139min
(DISCASにてレンタル)

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ラース・フォン・トリアー監督の「機会の土地アメリカ」三部作『ドッグヴィル』に続く第2編。前作で父とともにドッグヴィルを後にしたグレースは、南部の大農園マンダレイを通りがかり、そこで今なお黒人奴隷制が続いているのを知る。ちょうど黒人奴隷が縛りつけられ、むち打たれようとしていた。映画の設定は1933年。リンカーンの奴隷解放宣言やゲティスバーグ演説が1862~3年だから、既に70年もたっている。ショックを受けたグレースは父が約束してくれた権力を使って、この地の奴隷を解放し、民主化しようと企てる。

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グレースを演じるはニコール・キッドマンからブライス・ダラス・ハワードに代わっているが、物語は前作『ドッグヴィル』の続編となっており、映画の作りは『ドッグヴィル』同様地面に家や道や畑などがチョークで簡単に示され、最小限の小物による、壁のないセットだ。ちなみに第3作『ワシントン』ではキッドマンとダラス・ハワード2人がグレースとして登場するらしい。感想としては面白く見せてはもらったけれど、映画としてはつまらなくなっていた。ダラス・ハワードに代わって演技やキャラクターがどうのというのではなく、解説的になり過ぎていた。前作でも物語やグレースの心情などがジョン・ハートのナレーションで入っていたが、すべてとは言わないまでも、前作よりもこの解説に頼る部分が多く、役者の演技として見せられる比重があまりにも軽くなっていた。これでは「映画」というものを見る楽しみが減ってしまう。前作が178分で、今回が139分と40分も短くなっているせいかも知れないし、比較的オーラの強い役者が少ないせいかも知れない。

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最近の主流はどうなのだろう。映画館での上映では最後のクレジットロールが終わるまで場内な暗いままなのだろうか。観客は最後まで席を立たないのだろうか。幸いボクが普段行く桜坂劇場とリウボウホールはしっかり最後まで見せてくれる。観客の中にはクレジットロールが出るとすぐ席を立つ人もいるけれど。こんなことを書いたのは、『ドッグヴィル』もこの『マンダレイ』もセットもろくにない映画本編が終わった後、クレジットの字幕が出るバックは映画に関わるアメリカの記録写真が次から次へと映される。いままでセットの簡単な映画で観念的・理念的に見て来たことを、実際のリアリティーのある写真の中に見よ、ということなのだろうか。この『マンダレイ』ではデヴィッド・ボウイの曲が流れるバックに、KKKの写真であったり、首を吊られた黒人の写真であったり、キング牧師の写真であったり、黒人差別史の様々な写真が次々へと映る。その多数の写真の半ば過ぎにブッシュの写真。最後の方にはまだ健在だったワールドトレードセンターの写真、イラクに派兵された黒人米兵の写真。実はここにフォン・トリアーのこの映画に込めたテーマの1つが示されている。映画は最後の最後まで見なければならない。

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(以下ネタバレ)
最後にグレースは諦めてマンダレイを去るのだけれど、彼女のここでの物語を簡単に分析してみよう。結局黒人も、白人も、そして彼女の連れたギャングも、黒人の解放や自由や民主化を求めてはいなかった。それを理想として欲したのは、宥和ということを認めないグレースだけなのだ。ではグレースはその自由をどうやって黒人に与えようとしたか。それは引き連れた武装したギャングを使ってで、この構図は正に武力を持って「世界を自由にする」というブッシュと同じだ。だからここでフォン・トリアーは明らかに、現在に続く過去としての黒人問題を批判すると同時に、現代のアメリカ政権を批判している。

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グレースという人物をこのように動かしているものは何なのだろう。この第2編では「女の本性」のようなことが少し語られる。ギャングのボスの父は、女は「機嫌を損ねても花束で機嫌が直る」と思っている。グレースは善意をもって黒人を自由にしようとしていると思っている。支配・指導するのではなく一緒に生活し、労働もする。でも彼女を動かしているのは本当に善意なのだろうか。善意の至高の魂を持った自分であるということを感じたいだけなのではないだろうか。また『ドッグヴィル』のこともあり、それは彼女の被虐性なのではないか。アフリカの誇り高き王侯の出で、女を蔑んでいるムンジだと彼女が思っているティモシーに彼女は惹かれ、理想の追求と被虐的性的妄想のはざまで迷う。そして屈辱的とも思える形で彼に身を任せる。

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最後に彼女が逃げていく途中の樹木に黒人が吊るされていた。この黒人は映画冒頭で暴力的な妻から逃げた男だ。白人の女性の提案に乗ったのだったと思う。しかしきっとこの女性かその取り巻きによって、人種差別か何かで殺されたのだろう。この女性とグレースは似ている。どちらも白人女性で、黒人奴隷を救おうとする。グレースは死んだ白人の「お母さん」の後を継ぐことは拒否するが、怒りに任せてティモシーをむち打つのだ。

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最後に黒人たちはもとの黒人奴隷に戻ることを欲する。奴隷でいれば、「お母さん」の家の白人に搾取されることは確かだとしても、最低限の生存は確保され、何よりも「選択する」必要がない。選択とは自由であると同時に義務でもある。不満があれば自分ではなく白人を悪者にすれば良いのだ。奴隷だから給金が支払われることもなく、つまりは貨幣経済の外にいる。しかし貨幣経済のただ中に入れば、賭博業者が象徴するように、資本家に金は巻き上げられる。それも正当にではなくイカサマが象徴するように騙しによって。資本家はもともと存在しなければ、それが無くても不自由とは感じない商品を開発し、消費者に提示する。消費者の購買意欲が刺激されて、金はまんまと資本家の手に入る。消費社会、特にアメリカ的消費社会のカラクリの批判だろう。

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支離滅裂な感想の羅列になってしまったが、この映画は他監督へのオマージュなり引用も見られた。「マンダレイ」はヒッチコックの『レベッカ』に出てくる領地の名前だし、そしてこの『レベッカ』はヒッチコックがイギリスから「アメリカ」に渡って撮った最初の作品だ。タルコフスキーも見られるし、ドライヤーの『裁かれるジャンヌ』らしきものもあった。ドライヤーの『裁かれるジャンヌ』と言えばそれを引用したゴダールの『女と男のいる舗道』があり、その中で主人公のアンナ・カリーナは「私はすべてに責任があると思う。自由だから。・・・・不幸になるのも私の責任。・・・・」と言う。自由と責任というのは逆説的にこのフォン・トリアーの映画のテーマでもあり、色々なこと考えて、盛り込んでるな~、と思った。

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Last updated  2008.06.29 02:43:36
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